三國/創作:V | ナノ


三國/創作:V 
【Another worldW】
 




「………憎悪から怒りへ。怒りは己の原動力へ。自分ではどうする事も出来ないような膨大な負のエネルギーは、上手く使えば驚くべき程の力になります」

俺と甘将軍の会話を聞いていた陸将軍が、不意にぽつりと独り言のような言葉を漏らした。

「憎しみのあまり相手を呪い、嫉妬して、陥れようとするような人間ははっきり言って下の下です。愚の骨頂。醜い自己顕示欲の塊です。ですが、哀しみや憎しみの感情を激しい怒りに変えて、最終的にはその怒りを上手く力の全てに昇華して、我々は今までこの世界を生き抜いてきました」
「怒りを、力に……」
「貴方と私達の決定的な違いと力の差は、案外その辺にあるのかもしれませんね」

反論をしようとする間もなく、3人の武将達は全員その場から立ち去ろうとする準備をしていた。

あぐらをかいていた凌将軍も黙って立ち上がり、服についた汚れを掌で軽く叩き落としている。


「────秦。今のままの貴方では、それ以上強くなる事は不可能でしょう。貴方はまだ『憎しみ』を知らないから────……」
「……憎、しみ……?」


憎しみを知らないって、何の事ですか。

『それ』を知ることは、何の役に立つというのですか?

「善には常に悪が混じっています。極端な善は悪となります。…もっとも、極端な悪はなんの善にも成り得ませんけどね」

驚きを浮かべた俺の瞳を、形の良い陸将軍の双眼が真っすぐに見返してくる。


≪今に…分かりますよ。秦。貴方なら……≫


初めて陸将軍に出会った時に言われた言葉の意味を、今一度考えてみる。

どれだけ思考を巡らせてみても、俺の求める答えには到達出来ない。

「待って…下さいっ。待って……!!」

枯れかけた声を精一杯振り絞り、出せる限りの大きな声で彼らに訴える。

だが、それに応える彼らの返事はない。

唯一凌将軍だけが俺に背を向けたままでヒラヒラと軽く手を振って『サヨナラ』の合図だけはしてくれたが、それきり彼らが俺の元に戻ってきてくれる事は二度となかった。





「はぁ……」

まるで海の底のように深い溜息が、俺の口から零れ出る。

大切な試験前夜の夜だというにも関わらず、俺は夜中に兵士達の宿舎を抜け出して、城内の中庭で一人ベンチに腰掛けていた。

陸将軍に稽古をつけて貰った後、あれからずっと俺は彼の言った台詞の意味について考えていた。



≪貴方はまだ『憎しみ』を知らないから────……≫


(……貴方はすでに『それ』を知っているというのですか。陸将軍)


文官でありながら、陸将軍をあれほどまでの武芸の域に高めた憎しみとは、力を求める動機とは、一体何なのだろう。

凌将軍を突き動かしている力の根源は、やはり戦争で大切な父親を失ったという哀しみと憎しみが根底にはあるのだろうか。

では、あの時あんなにも苦々しげな顔で苛立ち混じりに『力なき正義』の存在を糾弾していた甘将軍の抱える『憎しみ』とは?


あれから後、陸将軍は俺に一通の手紙をくれた。


その紙面には今回俺が一般人と喧嘩をしそうになった事が上層部に伝わっていた件について、上層部から『不問に処す』という返答が返ってきたらしい。

話の内容をよく吟味して貰ったという事と、甘将軍がその話題についてお偉い方が話し合っている現場に乗り込んで、『文句があったら俺んとこに言ってこい』と啖呵をきったのも要因の一つであるようだ。

そんな訳で、明日は何も気にせず本番試験に挑んで下されば結構です、と結んであった陸将軍の伝言だが、『最後に一つだけいい事を教えてあげます』と書いてあった。


≪嫉妬と羨望の境界線を、貴方は知っていますか≫、と。


人は、例えどれだけ相手が自分より恵まれていたとしても、自分とあまりにもかけ離れた存在に対して殆ど嫉妬や妬みの感情なんて覚えません。

平凡な一市民が、王族の煌びやかな生活や身分に憧れていたとしても、「まあ、俺達とあの人達はそもそもの生まれからして全然比べものにならないんだから」と、自分を納得させる事でしょう。

ですが、自分よりもいい思いをしている相手が自分の身近な人間だという場合。もしくは年齢的にも育った環境的にも、自分とそれほど大差ない場合。

そういう場合に、人間は最も激しく醜い憎悪の感情を抱くのですよ。

生まれつきお金持ちのお嬢様には、普通平民が嫉妬なんて抱きません。

ですが、その相手が自分のクラスメイトである場合。もしくはすぐ近くの家に住んでいた時に、彼女の身近にいる同世代の女性は激しい嫉妬を抱くかもしれません。

一流のモデルに彼氏を寝取られた場合には涙を飲んで自分から引き下がるかもしれませんが、同じ職場の、自分より2つ3つ若いだけの同僚女性に恋人を奪われてしまった場合は、激しい殺意すら沸くかもしれません。

それと同様に、貴方に対する同僚兵士の嫉妬が存在していたとすれば、それは相手が貴方の事を自分と同列に見ているからなのですよ。

あいつと俺は大して変わらないはずなのに、何で?と。

同じレベルの人間なのに、何であいつばっかりがいつもイイ思いをしているの?と。

そういうのが、憧れや羨望ではなく、醜い嫉妬や妬みの感情というのですよ。

その感情をうまく利用して、より自己を高める努力をしたり、自分磨きの為に有効な時間の使い方をすれば良いものを、相手の足を引っ張ることや妨害する事に無駄な時間を費やしている愚かな人間というのです。

ですから、そんな彼らと同じレベルまで、自分を下げる事はありません。妬みや嫉妬の感情などに負けず、試合に専念するようにして下さい。

貴方の事を妬んでいるのは、貴方よりも下のランクの人間だけなのですから。


────陸伯言より。


「そんな事、言ったって……」

陸将軍から届いた書面に書かれていた話の概要を思い出し、俺はまたしても深い溜息を吐く。

陸将軍の言っている事は、よく分かる。

そんな事は気にするなと言って下さる彼の言い分も、分かる。

でも、どれだけ理性では納得できていたとしても、感情では割り切れない部分もある。


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