三國/創作:V | ナノ


三國/創作:V 
【Under WorldX《後編》】
 




キングはスッと立ち上がり、床に散らばった木材や陶器の破片を踏み締めながら珠稀の方へと向かう。

そこには、どうにか最悪の事態を避けられたことに安堵しているのか、早すぎる話の展開についていけないのか、放心状態でへなへなと座り込む名無しの姿があった。

キングは彼女の前へと歩み出て膝を折り、目線の高さを合わせる。

「え……?」

名無しは男の気配に気付き、困惑気味の瞳で見返してきた。まさかこのタイミングで、周瑜達や珠稀以外で自分に近付く者がいるとは思っていなかったのだろう。

しかし、キングにとってそんなことはどうでも良かった。

重要なのはただ一つ。銀狼の推論通り、名無しが本当に利用価値のある人間なのか、自分達にとって役に立つ都合のいい傀儡なのかという事だけだ。

彼女がつまらない小者だった場合、この場でその両目と心臓を抉り取ってやろうか。

そうしたら、珠稀や周瑜、凌統、そしてあのクソ生意気で憎らしい陸遜という少年はどんな反応を見せてくれるだろう。

想像するとおかしくて、キングの唇には我知らず嗜虐的な笑みが浮かぶ。

だが名無しは、今もって気の抜けた顔で男を見つめていた。どうやらまだ状況を飲み込めていないようだ。

(……大したことのない女)

あまりに警戒心の無いその様に拍子抜けし、興醒めすると同時に失望を覚えたキングは、無言のままで彼女を無遠慮に眺める。

特にこれといった魅力も感じない。顔の造りであれば、自分や珠稀、銀狼の方が100倍優れているし、こんな女など足元にも及ばないというのはさすがに言いすぎだろうか。

偶然と言えばただの偶然ではあるが、周瑜や凌統、陸遜を含め、今この空間には一流モデル顔負けの美形が一堂に会しているのだから、比較される方は流れ弾に当たったようなもので、たまったものではないだろう。

店の中に数多くの美女を従える身分であるにも関わらず、彼女を優遇する珠稀の審美眼を疑う訳ではないが、もう少しまともな人材がいなかったのだろうか。

善良で仲間思いといえば聞こえはいいが、所詮はお人好しなだけの平凡な女ではないか。

もっとこう、裏社会に君臨する帝王の寵愛を受けるに相応しい、聡明で狡猾で美しく、男心を蕩かせる、稀代の悪女の類ならば百歩譲って納得も出来たというのに。

(まあ、どうでもいいか)

別に、ここでこの女を殺してしまっても何ら問題はないのだ。むしろ、そうしてしまった方が面倒事が減っていいとすら思える。

キングは熟練の暗器使いだ。敵に一切の痛みを感じさせずに針で刺す技術も習得しているし、半日、もしくは24時間以上経過してからゆっくりと命を奪う秘毒も常に所持している。

もし数日経ってからこの女が死んだとしても、自分が犯人であることを指し示す確固たる証拠はない。珠稀には追及されるかもしれないが、白を切り通せばいい事だ。

ここまで考えるのに要した時間は1分以下であったが、その間にキングを見る名無しの眼差しに変化が生じていた。

ぼんやりとしていた思考が次第にまとまり、目の前の男に焦点が合っていく。

「……なんて、綺麗……」

うっとりと、夢見るような眼差しで呟かれた言葉に、キングは思わず目を瞠る。

容姿について他人から褒められるのは日常茶飯事だ。しかしながら、目の前の女は他の女達とはどこかが違う。

キラキラと輝く瞳は邪気のない純粋さと輝きを湛え、こちらに対する畏怖や欲望は微塵も感じさせない。

美女や美男子に対する賛美、異性に対する欲求や性欲からくる言葉というよりも、夜空に煌めく満天の星を目にした時や、この世に一点しかない至高の芸術品を目の当たりにした時のような感情───あるいは感動がそこにはあった。

大量殺人犯である自分に注がれるにはそぐわない、男の容姿に一目惚れした人間が抱く卑俗な恋愛感情とも種類が異なる、神聖な物を見るような眼差し。

そんな彼女の反応が珍しくて、キングはまるで自分の身体が自分のものではなくなったかのような不思議な感覚が沸き起こり、ドクンと心臓が跳ね上がる。

それは決して不快なものではなかったが、妙に居心地が悪くて、どうにも落ち着かない。

「……あ……」

キングの内心の動揺に気付いたのか、名無しはようやく我に返り、慌てて居住まいを正して頭を下げた。

「ご…、ごめんなさい!初対面の方を不躾に眺めるなんて、私ったらとんだ失礼を……」
「……。」
「本当に申し訳ありません。私は名無しと申します。あの、あなた様は……」

頬を赤く染め、恥ずかしそうに漏らす姿は、本心からの謝罪に感じる。

キングは少し考えて、名無しの問いに答える事にした。

「キング」

本名ではなく、裏社会で使用している偽名を伝えるのは、これで一体何度目だろう。

この名を名乗れば、同業者であれば必ず相手は自分を警戒する。その反応を楽しみつつ、恐怖に怯えて後ずさる瞬間に喉笛を掻っ切ってやるのが常套手段なのだが。

「キング……、王≠意味する言葉ですよね?」

名無しは数回瞬きをして、キングの顔を正面から見つめた。そして再び感嘆の溜め息を漏らす。

今度は先ほどまでとは違う、別の意味合いで。

「素敵なお名前ですね。その眩いばかりに優美なお姿と、気高いお顔立ちにとってもよくお似合いです」

まるで口説き文句のような台詞ではあるが、彼女が言うと不思議と嫌味がない。それどころか、純粋に賞賛されているようで悪い気はしなかった。

なるほど、この女はこういうタイプなのか。

他者の心をじんわりと温かくするような、柔らかい声。

この声で本当の名前を呼ばれたら、どんな心地になるのだろう。ほんの少しだが、珠稀の気持ちが分かったような気がした。

(殺すのはいつでもできる)

男は名無しの顔を両手で包み、至近距離からその瞳を覗き込む。

珠稀とはまた違う色の、妖しい魅力を秘めた瞳に見つめられ、彼女の鼓動が急速に早まっていく。

「またね、小鹿ちゃん」

耳元で囁かれた甘い声に、ぞくりと体が痺れた。男はそのまま彼女から離れ、何事もなかったかのように踵を返す。

「てめ…」

地の底のように低い珠稀の唸り声が間近で聞こえたが、キングは気に留めずさっさと出口に向かう。

ちらりと視線を横にずらすと、周瑜達が自分を凝視している事に気付く。どうやらこちらの会話に聞き耳を立てていたようだ。

さっきまで殺し合いをしていた男が、不意に仲間に接近したのだ。あんな状況になれば誰だって気になるに決まっている。

ついでに、彼らの双眸が苛立ちとどす黒い負の感情で満たされていくのも見て取れた。まあ、当然だろう。

「じゃあな、五代目。今日は面白いモンが見られて得したぜ。丁度いい運動にもなったしな。あばよ!」

去り際に軽く手を上げて挨拶する銀狼に合わせ、自分の部下に命じて荷物を持たせると、キングはそのまま銀狼ファミリーとともに店を後にした。

連絡も無しに来るのも自由、飽きたと思えば帰るのも自由。堅気の人間から見れば勝手すぎるが、それがこの世界のボス達のやり方だ。

かくして、室内には珠稀とその部下、そして名無しと周瑜達だけが残される形となった。

パキ、と、足元に転がる木片を踏み砕きながら、周瑜は不機嫌に顔をしかめる。


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