三國/創作:V 【Under WorldX《後編》】 「名無し…!?」 驚愕した顔で名を呟いたのは凌統だ。 どうして彼女がここに居るのかと、信じられないといった様子で固まっている。 「…なぜ…」 予想外の人物の登場に面喰ったのは、周瑜や陸遜も同様であった。そんな男達をよそに、名無しと呼ばれた女性は一番近い距離にいた仲間の姿を捉え、迷わず彼の元へ走る。 「ああ、凌統!無事だったんだね……!」 名無しは今にも泣き出しそうな表情で、彼の身体に縋りついた。 よほど急いで走ってきたのか、彼女は息も絶え絶えになりながら、乱れた呼吸を整えようと深呼吸を繰り返す。 「えっ、あ、ああ……」 戸惑いながらも凌統は頷く。普段通りの彼を目の当たりにして、名無しはホッとしたように大きく息を吐いた。 「…子猫ちゃん。あんた、なんで…」 茫然と呟く凌統の声に応えるように、名無しが顔を上げる。だがすぐに、慌てた様子でキョロキョロと周囲を見渡す。 「周瑜、陸遜!」 二人の姿を見つけた彼女は、不安げな面持ちで走り寄る。彼等の外見から推測する限り、負傷しているようには見えない。その事実を確かめて、名無しはようやく胸を撫で下ろす事ができた。 「二人とも、大丈夫?」 心配そうな声で問い掛けられ、両者は同時に首肯する。その返事に、名無しは安堵の笑みを浮かべた。 「良かったぁ……」 心底安心しきったような声色に、周瑜は少しだけ表情を和らげる。彼女の安らぎが伝染したのか、凌統や陸遜も緊張で強張っていた肩の力が少し抜けていく気がした。 「良かった…、何もなくて本当に良かった…!」 「…名無し。どうして君がここに…?」 幾分落ち着きを取り戻した声で、周瑜が問う。 「孫策の部屋を訪れた時に教えて貰ったの。みんなが蠢く者に向かったって」 「……そうだったのか」 「店舗型性風俗業を営む店の巡回強化とは聞いたけど、周瑜達三人だけで中に入るらしいって言われて、場所が場所なだけに本当に不安で…。勿論、みんなの強さは十分承知の上だけど、それでももし何かあったら…命に関わるような事があったらって思ったら、私……」 震える声を絞り出し、名無しが俯く。 彼女の話から推測するに、同僚に危険が及ぶのではないかと心配でたまらなくて、居てもたってもいられずに城を飛び出してきたようだ。 女の身で随分と思い切った行動に出るものだと思ったが、普段から仲間思いで、その為なら体を張る事も厭わない彼女の性格からすればさもありなんということか。 「……は?女ぁ?」 他方、敵陣のど真ん中に見知らぬ女が飛び込んでくるという奇妙なシチュエーションに困惑しているのは銀狼だ。 それもただの敵陣ではない。泣く子も黙るマフィアファミリー・黒蜥蜴一派が経営するこの場所に単身乗り込み、応接室までやってきたというのだ。状況が理解できず、大口を開けたまま呆けている。 「名無し……、あれが……」 鎖分銅を油断なく構えたまま、キングは呟く。複雑な表情を浮かべ、女の姿を凝視していた。 「だ、旦那様、申し訳ございません…。お客人がお見えになっている旨をお伝えしたのですが、お嬢様がその、緊急につきどうしてもと仰るので、こちらまでご案内した次第でありまして……」 室内の様子を目にした瞬間、戦闘の真っ最中だったと悟ったのだろう。名無しと共に部屋に入ってきた黒服は、震える声で説明を加える。 自分の行動が、あろうことか主人の戦いを邪魔してしまった。男の顔は、哀れな程に顔面蒼白状態だ。 しかし、当の珠稀はそんな彼の発言など全く気に留めていなかった。部下の存在を完全に無視して、乱入してきた女ただ一人にじっと視線を注いでいる。 「ああっ…、名無しちゃぁ〜んっ!!」 ……はあ?? 突如、裏返った声が室内に響き渡った。妙に甘ったるい猫撫で声を発したのは、言うまでもなく珠稀本人だ。 まるで語尾にハートマークが無限につきまくっているかのように上機嫌な声音で彼が名無しの名前を呼ぶのは、これが二度目である。 「ウッソー、俺に会いに来てくれたのぉ!?よりによってこの状況で、俺がピンチに陥っている時に!?」 喜色満面で嬉々として叫ぶ彼の態度に、周瑜達は揃って唖然となる。先程まで自分達と対峙していた男と同一人物とは到底思えない豹変ぶりだ。 珠稀は双剣を革ベルトに納めると周瑜に背を向けて名無しの方へつかつかと歩み寄り、そのまま一気に距離を詰め、彼女の両手をガシッと掴む。 「ああもう…、信じらんない!俺の危機に颯爽と登場するなんて、まさに囚われのお姫様を救い出す騎士みたいだよ〜。ビンビンに運命を感じちゃうっ。そうか分かったよ!名無しちゃん、君が俺の王子様だったんだね!?」 ……性別が逆じゃない……? 突っ込みたい気持ちは山ほどあるが、あまりにも非現実的な光景に言葉が出てこない。呆気に取られた表情で固まる周瑜達を置き去りに、珠稀姫と名無し王子の会話は続く。 「それとも、ご主人様の危険を察知して駆けつける忠犬?この際どっちでもいいよ。マジで惚れ直したんだから〜。もうホント大好き!」 言いながらも、両手で握った名無しの手を上下にぶんぶん振り回す。しかも何故かノリノリだ。テンションが完全におかしい。 そんな珠稀に気圧されながら、名無しはおずおずと口を開く。 「あっ…、あの、五代目……」 「うん?」 突然の出来事に名無しもまた動揺していたが、やがて意を決したようにゴクリと生唾を呑み込み、真剣な眼差しで彼を見上げる。 「その…、こんな時に、急に押しかけてしまって誠に申し訳ありません。どのような事情があってこのような展開になってしまったのかは存じませんが、ここにいるのは全員私の大切な仲間なのです。彼等には…手出しをしないでくださいっ」 それは懇願だった。そんな彼女の言葉を耳にして、珠稀は少し驚いたように目を丸くする。 「どうかお願いします、五代目。何かご不満がおありだと仰るのであれば、私がその責め苦を全て引き受けます。ですから、この場は一旦引いて頂けませんか」 そこで言葉を切り、彼女はゆっくりと瞼を閉じた。祈るような気持ちで、最後の訴えを口にする。 「もし、どうしてもご容赦頂けないというのであれば……私はあなたと敵対せざるを得ません。仲間が傷つけられるのを黙って見ているくらいなら、いっそ彼らと共に戦いにこの身を投じ、あなたに斬り捨てられた方がまだマシです」 「!」 その言葉に、室内の空気が一変する。ピリッとした緊張感が漂い、男達は固唾を呑んで場の流れを見守った。 珠稀は黙ったまま、顔色一つ変えずに名無しをじっと見つめている。 「私はどうなっても構いません。だから、この人達には手を出さないでください。お願いします……!」 出来る事なら、珠稀と敵対することなどしたくはない。けれども、仲間の命を危険に晒す訳にもいかない。 そんな地獄の苦しみに身を焼かれるくらいなら、いっそ……。 ───周瑜達の無事と引き換えに、珠稀の手で、一思いにこの首を切り落として貰える方が本望だと思える。 そう心の中で呟き、名無しはギュッと唇を噛み締めた。暫しの沈黙の後、珠稀は唐突に口を開く。 [TOP] ×
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