三國/創作:V 【悪魔の花嫁V】 『秀英。お前……≪ロミオ≫だろう?』 『!!』 男の発した≪ロミオ≫という単語に反応し、秀英がギクリとして目を見開く。 ほんの僅かな秀英の動揺さえ読み取り、曹丕は赤い唇をニヤリと歪めた。 曹丕の言ったロミオという存在は、簡単に言ってしまえば女タラシを専門とするスパイの一種だった。 ロミオの仕事は一般的なスパイと同じくまずは敵の陣地に潜り込み、周囲の人間の信頼を勝ち取り、敵組織の中で重要なポジションに就く事である。 そこで役職上手に入れた重要な文書や国家機密を丸ごと盗み出し、頃合いを見て脱走を図り、本土へ情報を持ち帰るのが普通のスパイだとすれば、ロミオはさらにもう一点追加オプションを持って帰るのだ。 それは敵国で重要な地位についていた女そのものである。王族の姫君、高い位に就いている貴族の女、高位の女官・文官など、ロミオはそんな女達を騙して自国に連れ帰る。 そして場合によってはその『戦利品』を人質にとって敵国との交渉を有利に進め、または彼女達から国の機密を聞き出し、聞き分けが悪いようであれば陰惨な拷問にかけ、戦争の道具として使う。 一般的に考えて、男の人質よりも女の人質の方が扱いやすく、情報を引っ張り出しやすい。女は拷問に弱く、ちょっと痛めつけてやればすぐに音を上げ、何でもベラベラとしゃべる。 また、用無しになった女は性奴隷としての活用も出来る。牢に繋いでおいて好きな時に犯すも良し、散々嬲り倒して飽きた後は適当な奴隷商人や兵士達にセックス用として売り払うのも良し、とにかく『資源』としての活用の幅が広い。 そんな訳で、秀英は表向きは流浪の文官として魏の城内に潜り込んだ後、持ち前の高い事務能力を発揮して上手い具合に高位の文官の地位を手に入れ、今回のターゲットとして名無しに目を付けた。 なんせ名無しは城内にいる女文官の中では最高位に就いてあの名軍師司馬懿と共に仕事までする人間である。ちょっと叩けばいくらでも重要な機密を彼女の口から引き出す事が出来る、と秀英は踏んだ。 その上名無しは独身者であり、城内の誰ともまだ婚姻を結んでいない女。これが人妻だったら口説くのにも色々と余計な神経を使うが、独り者とはロミオにとってあつらえ向き。 しかしそんな秀英の算段も、曹丕の命で彼の身辺調査をしていた司馬懿によって横槍を入れられる事となる。 司馬懿は部下に命じて秀英の後を密かにつけさせ、彼が会う全ての人間との会話の内容をメモに取らせていた。 そして秀英が外部に宛てて出した書類は曹丕の許しを得て中身を確認し、ついに秀英が自国宛てに出した紛れもない裏切りの文書を発見する事に成功していた。 その事実を曹丕に報告していた時、丁度名無しが曹丕に届ける為の書類を携えて扉の向こうに立っていた為、運悪く会話の一部が聞かれてしまったという事である。 ≪ロミオ≫である秀英が名無しに仕掛けたのは、己の仕事の為に行った、偽りの恋だった。 『このような事をされては困るな。お前の正体が判明した以上、裏切り者を生かしておく訳にはいかん。これは国家の掟だ』 『……。』 『お前も専門職に就いている人間であれば、≪任務失敗≫がどのような意味を持つのか分かるであろう?秀英…』 チャキン、という金属質な音を響かせて、曹丕が愛用の剣を利き手に構える。 武器を手にした曹丕を見て、秀英もまた観念したように腰元に手を滑らせ、携えていた長剣を鞘から抜き取る。 ここで自分が武器を捨てて曹丕の足元に屈しても、結局スパイである自分を待っているのは公開処刑による確実な死。 勿論名無しも見ている前での、死刑。 どのみち逃げられないと決まったら、最後にするべき事は己の命を懸けて曹家の皇子である曹丕を討つのみ。 (……名無し殿……) 死を背負った秀英の脳裏に浮かぶのは、何故か名無しの笑顔だった。 名無しの手を握った時の、彼女の温もり。 初めて彼女とキスをした時の、唇の感触。 どうして、こんな時に。 『ふっ……』 『……?』 急に穏やかな笑みを浮かべた秀英を見て、曹丕が怪訝な顔をする。 秀英はしばらく何かを考えるような顔付きで黙り込んでいたが、やがてポツリポツリと話し出す。 『名無し殿を見ていると…僕は今まで自分が忘れていた大切な何かを、思い出せそうな気がしていました……』 『……。』 『曹家の皇子よ。僕は確かに貴方の言う通り薄汚い女タラシの≪ロミオ≫ですが、彼女の事は仕事抜きで愛していました。本当に、好きだったんです』 秀英はそう言って素早く踏み込み、曹丕との間合いを一気に詰めると、曹丕の胸元めがけて剣を突き出した。 己の視界にハッキリと、曹丕の胸部が見える。 やれる。 『皇子、覚悟っ!!』 迷うことなく、曹丕の心臓に狙いを定める。 鋭い剣の切っ先が曹丕の心臓に深々と突き刺さった。 そんなイメージを思い描いた瞬間、秀英は自らの肩に見舞われた強烈な衝撃に、思わず信じられないといった表情で目を開く。 手にした剣で秀英の剣を受け止めつつ、曹丕が長い足を繰り出して、骨をも砕く強さで秀英の肩を真横から蹴り付けたのだ。 『なっ……』 自分の攻撃を受け止めると同時に、そんな不安定な体勢で蹴りを放ったというのか。 バランスを崩した秀英の体が傾いた直後、曹丕の剣が秀英の左胸を深々と貫く。 ────勝負あった。 『……秀英。お前は名無しの事を本気で好きだったと言ったな』 秀英の剣が指先から離れ、カランという空虚な音を立てて落ちる。 拾い直し、曹丕にもう一度斬りつけようとしてみたが、次第に指先の感覚が失われていく。 『もしそうだとしたら、困るのだ』 最後に見開いた視界の中で、闇のように黒い曹丕の瞳が冴えた輝きを放っていた。 『───余計に、な』 秀英の意識はそこで途絶え、そのまま身体ごと崩れ落ちる以外術を失う。 妖しく輝く月光の下、舞い散る桜の花びらが秀英の遺体に降り注ぎ、まるで装飾品のように彼の体を所々桃色に飾っていった。 [TOP] ×
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