三國/創作:V | ナノ


三國/創作:V 
【悪魔の花嫁V】
 




「名無し殿が好きな物は僕も好きです。それに…桜も素晴らしかったですが、名無し殿が作って下さったお弁当も美味しかったです。名無し殿は料理も上手なんですね。きっといい奥さんになるだろうなあ」
「またまた〜。秀英殿は本当にお上手なんだから。そんな風に言って下さる方こそ、秀英殿しかいらっしゃいませんよ。仲達にはいつも不味いとか下手くそとか言われてばかりだし、もっと勉強しなきゃと思ってて」

苦笑しながらしみじみと漏らす名無しの返答に、秀英が顔の前でブンブンと片手を振って懸命に否定する。

「いえ、本当に美味しかったですよ。お世辞なんかじゃありません!」
「……え……?」
「そりゃ司馬懿殿はグルメだから基準が厳しいのかもしれませんが、僕にはこれ以上なく美味しいお弁当でしたよ。名無し殿の手作りだと思ったから余計に美味しく感じたのかな。好きな女性の手料理が食べられるなんて、男にとってこれ以上嬉しい事はありません」
「…秀英、殿…?」

秀英はそう言って名無しの頭に手を伸ばし、くしゃり、と彼女の髪を掴んで指先に絡ませる。

秀英がたまにする親密な仕草は、名無しの心の奥底をいつも暖かにしてくれた。

彼と初めて顔を合わせた時は、こんな事をされるなんて想像も付かない事だった。今だって、本来ならばそうすべき相手ではないのかもしれない。

けれど今の名無しにとって、秀英はオアシスとも呼べる存在だった。

曹丕や司馬懿によって散々身も心も弄ばれ、意思を奪われ、自由を奪われ、魂さえも拘束されてしまった名無しには、自分の身近にいる男性の中で秀英だけが唯一心を許せる相手でもあり、彼との会話は癒しの一時であった。

だからこそ、秀英の口から突然放たれた『好き』という言葉が、名無しの胸に届くまでに若干の時間を要した。

曹丕や司馬懿以外の男性から関心を持たれる。求められるという事が、すっかり彼らの支配下に置かれている名無しには、今一つピンとこない事だったのだ。

「名無し殿はどんな男性がお好きですか?顔とか身長とかにはこだわりないですか?と、言いますか…好きですか?男性」

異性が好きか、と。

普通に考えれば至極当たり前な事を聞いてくる秀英に、名無しは半ば条件反射のような形でコクリと頷く。

そんな事、わざわざ聞かれるまでもない事だ。しかし、咄嗟に『はい』と声に出して答えられなかった自分自身に、名無しは微妙な違和感を覚える。

「本当ですか?いや〜良かった。名無し殿、あんまり男性とデートデートって感じでもないし、恋愛よりも今は仕事!って感じがしますし、無理かなあって思っていたんですよ。恋愛に興味が無さそうで」
「……そんな…事は……」


興味が…無さそう?


秀英の言葉を脳裏で反芻させる毎に、名無しの心の中で何かがザワリと毛羽立つ。

興味があるか無いかと聞かれたら、断然興味はある。こんな仕事をしていたって、自分は立派な女だ。お洒落だって好きだし、恋愛事にも関心はあるし、素敵な男性にも、結婚にも……


(結婚)


その二文字が頭に浮かんだ瞬間、名無しの背筋にゾワゾワっとした悪寒が走り、一切の思考が停止する。

その事について深く考えようとすると、体が拒否感を示すというか、あえて自分から考えないようにしているような感じなのだ。気持ち悪くなってしまうのだ。


(頭が……痛い)


正確に言うと、曹丕と司馬懿以外の男性との恋愛を意識した途端、その時点で思考がプツリと停止する。足元がグラリと揺れる。

彼ら以外の男性と愛を育み、愛を誓い、結婚し、裸で絡み合っている姿をイメージすると頭痛がし、目眩が起こる。


『お前は一生我々の玩具だ。従順な奴隷女だ。この手の中から逃げ出そうとするなど、許されると思っているのか』
『一度でも私達の所有物に成り下がった女に、≪普通の女≫みたいな恋愛が出来ると本気で思っているのか?』


ズキンズキンと響く鈍い痛みと共に、脳内で誰かの声がする。

これはどういう事なのか。一体、自分の体に何が起こっているというのか。

自分自身、全く気付かない内に起こっていた己の変化に、名無しはどうしていいのか分からず戸惑う。

「本当に?別に僕の事を気遣って嘘を言ったりしなくてもいいんですよ。今、好きな男性はいらっしゃいますか。それとも……すでに恋人とかいたりして?」

悪戯っぽい口調でからかわれ、名無しは今度こそ本当に心臓が飛び出るんじゃないかと思う位に驚いた。

(……恋人……?)

頭の中で考えてみても、何ともあやふやで曖昧なイメージの言葉だ。

そもそも恋人って何だろう。たまに会って、一緒にご飯を食べて、一緒に出かけて、セックスして、時には朝まで共に時間を過ごすような関係の事を言うのだろうか?

その条件で言うのなら、自分と曹丕や司馬懿の関係はまさしくそれに当てはまる。しかし、他人に『あなた達の関係は?』と聞かれた時に胸を張って『恋人です!』と答えられるかと言うと、とてもじゃないがそんな自信はない。


『恋人』とか『彼氏』とか『彼女』とか。そんな生易しい物じゃないのだ、自分達の関係は。


「いいえ……」

自分と曹丕達の間にある力関係と、彼らの圧倒的な支配力と強制力を思い出し、名無しは大きく首を横に振った。

すると秀英は見るからにパアッと瞳を輝かせ、嬉しそうな笑顔で名無しに告げる。

「嘘…!やった、じゃあ僕にもチャンスはあるって事なんですね!名無し殿は恋愛に興味がないか、他の男性がいるのかと思って今まで様子を見ていたんですけれど、今の返事を聞いて心置きなくアタック出来るようになりました」
「し、秀英殿っ。アタックって…私…まだ何も…っ」

引きつった声を上げ、名無しがしどろもどろな返答をする。

しかし秀英はそんな名無しの動揺など全く意に介さない素振りで、笑いながら名無しの髪の毛を指先で弄ぶ。


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