三國/創作:V 【悪魔の花嫁V】 哀れな犠牲者となった男達の体に、桜鬼は己の白い肌と長い髪の毛を巻き付けてジワジワと養分を吸い上げていく。 桜鬼の棲む桜の花びらが白からピンクへと色鮮やかに変化していくのを感じ、男達はそれを本望とばかりに喜んで自らの血と肉を彼女に捧げている。 何と言っても桜は薔薇科に属する植物だ。美しい花弁の下に鋭い棘を隠し持つ薔薇と同様、清楚で儚い外見の裏側に底知れぬ狂気や魔性を秘めていても何らおかしい事はない。 魔性と言えば、『ルナティック』という言葉がある位、月にも人の心を狂わせる力があると聞く。 そう思うと夜の闇の中、月光に照らされてぼんやりと妖しく輝く夜桜というものは、月の魔力と桜の幻惑性が合わさった最強のシチュエーションではないか。 いつの世も月と桜は人を狂気に追いやり、破滅へと駆り立てる。 「……殿……?」 急に黙り込んだ曹丕を不審に思い、司馬懿が静かに声をかける。 司馬懿が曹丕の顔に目線を向けた際、一瞬だけ曹丕の口端がニヤッと吊り上がって見えた。 それでも『なんだ』と言って司馬懿の顔を見返す曹丕はいつも通りの落ち着いた表情で、ただの気のせいだったかと司馬懿は思った。 「えっ。実家に帰る……!?」 慌てて声を上げた自分の、必要以上に強い反応に驚く。 びっくりしたような顔で背後を振り返る名無しの視線の先に、品のいい顔立ちをした美青年が立っていた。 「ええ。実は先日、故郷の両親から手紙が届いたんですよ。国を飛び出して行った後、何の音沙汰もない息子の安否が気になっていたようです。風の噂で僕が魏に身を寄せている事を知ったらしいのですが、今どうしているのか、何をしているのか心配だから、たまには連絡の一つくらいよこせと書かれておりまして」 「そうですか…。でも、ご両親のお気持ちはとても良く分かります。秀英殿のような方ならきっと自慢の息子でしょうから、行方が分からなくなってしまったとあれば余計にご心配されると思いますし…」 「ははっ、僕はそれ程いい息子でもないですよ!そんな嬉しい事を言ってくれるのは名無し殿だけです。有り難う御座います!」 そう言って爽やかな笑顔を見せるのは、名無しと同じ内政部で働いている秀英であった。 長身で余計な贅肉の全くない肉体と、男らしく凛々しい顔立ち。髪は耳より下で、襟足が肩にギリギリかかるかかからないか位の短髪だが、ストレートでサラサラッと風になびくような品の良い感じが女性陣の心を捕らえる。 「…まあ…その手紙もあって、仕事が一段落ついたら来週辺り一度実家に顔を出そうと思っていたんです。元気な顔を見せれば両親も安心するでしょうし。それに…せっかくこうして魏国に降り、有り難い事にそれなりの収入を得られるようになったのですから、たまには親孝行しないと罰が当たると思ったもので」 「……秀英殿……」 正面から自分を見つめる名無しの視線に気恥ずかしさを感じているのか、秀英はそう言って照れ臭そうに右手で頭を掻く。 (まだ年若い男性だと言うのに、何て出来た方なのだろう) 秀英の台詞を聞いた名無しは、感動で胸をジーンと震わせる。 『今日からこちらでお世話になる秀英です。まだこの城に来たばかりなので何かと分からない事も多いですし、到らない点も多々見受けられると思いますが、諸先輩方のご指導の元で少しでも早く仕事に慣れ、頑張りたいと思います』 思い起こせば数ヶ月前、突然名無しの前に現れた秀英。 今考えてみても、初対面の時から彼は礼儀正しくて元気が良くて、魏城にはおよそ似つかわしくない程に爽やかな男性だった。 人懐っこい性格の秀英は、自分からどんどん他人に声をかけていく積極的なタイプであった。 誰に対しても分け隔て無く接し、誰かと廊下ですれ違った時にも必ず会釈をし、挨拶をかかさない。 それもあって、秀英の周囲にはいつしか沢山の人々が集まり、いつしか彼は男女問わず多くの人々から慕われる存在になっていた。 「あ…でも、秀英殿。秀英殿のご実家って…もしかして……」 不意に何かを思い付いたような顔をして、名無しが不安げな瞳で秀英を見返す。 今まで特に気にした事もなかったが、秀英の故郷とは一体どこなのだろうか、と名無しは疑問に思った。 魏に近い場所にあるのだとすれば、まだいい。だが秀英は他国から移り変わってきた人間だと聞いているから、普通に考えれば以前籍を置いていた国に故郷があると考えるのが当然の事だと思う。 そうなると、秀英は一度出てきた国に再び舞い戻る事となる。これは少々厄介な事になってしまう危険性があるのではないだろうか。 いくら国王の横暴で勝手に追い出された身とはいえ、今や秀英は魏の文官であるのだし、魏の為に働いている人間だ。以前の国からすれば裏切り者扱される可能性もあると思うし、諸手を挙げて歓迎される存在ではない可能性もある。 両親に会いたい、と思う彼の気持ちは至極真っ当な感情だと思うが、それによって彼の身に危険が及んでしまう事はないだろうか? 「…大丈夫ですよ。僕の故郷は魏とも前の国とも違う小さな国の農村です。名無し殿がご心配されているような事はありません。ここからですと多少距離はありますが…」 他人を安心させるのに十分な威力を持つ優しい声音で、秀英が穏やかに告げる。 名無しの心を全て見透かしているかのような秀英の口振りに、名無しは一瞬ドキッとしたが、すぐにいつも通りの落ち着きを取り戻し、ホッとしたような安堵の笑みを見せる。 秀英はそんな名無しを意味深な眼差しでじっと見下ろすと、唐突に話題を変えた。 「そうそう、この間の夜桜鑑賞会、本当に楽しかったですね。中庭にある桜の評判は僕も以前から聞いていましたが、想像以上の見事さでした。特に一番奥の桜が言葉に出来ない程に神秘的で、それでいて美しくて…」 「本当ですか?良かった〜!私もあの桜の木はとっても大好きなんですよ。毎年あの桜を見るのが楽しみで、春が来るのが待ち遠しくて仕方なくて。秀英殿も気に入って下さったなんて嬉しいです!」 心底嬉しそうな表情を浮かべ、秀英に手渡す書類を両手に持ってトントン、と揃えている名無しの頭上から、男の静かな声が降り注ぐ。 [TOP] ×
|