三國/創作:V | ナノ


三國/創作:V 
【悪魔の花嫁V】
 




魏の城内にある中庭には、大小様々、種類も様々な植物が沢山植えられており、薔薇や百合、牡丹や月下美人など季節によって色とりどりの花々が咲き乱れ、城内の者から城を訪れる他国の客人まで大勢の人々の目を楽しませている。

その中でも、この時期最も人気が高いのはやはり桜である。

何十本もの桜が植えられた桜エリアは定番のお花見スポットとして貴族達から多くの支持を得ているが、中庭中央付近にある桜は曹丕や司馬懿の言う通り一際巨大で、中庭の名物とも言える物だった。

「特別桜が好きだという訳でもないが、あの桜だけは私も愛でている。異国の有名な小説にある一文のように、まさに屍体が埋まっているのではないかと思える位の妖しさだ」
「≪桜の下には屍体が埋まってゐる!≫ですか?まったくあの言葉は凄いですな。あの一言で、桜という樹木に対する我々の認識が決定付けられてしまいました」

他の桜よりも数倍太い幹や枝、地面を覆い尽くす程に生い茂る葉、空を一面ピンクに染め上げる程に大量の花を咲かせるこの木を見ていると、一体どのようにしたらここまで巨大になるのだろう、どのような肥料を与えればここまで成長するのだろう、と誰しも一度は不思議に思った事があるのではないかと思える老齢の桜。

ひょっとしたら、この下には何か特別な養分が蓄えられているのではないか、常人には計り知れない未知の世界がこの桜と地面の下には眠っているのではないか…と一瞬錯覚してしまうこの桜を曹丕は一段とお気に召していた。

「桜の木には桜鬼という魔性の女が棲んでいる、という伝説を何かで耳にした事がある。それ以来桜を見る度桜鬼の名前を思い出す。もしその伝説が真実だというのなら、死ぬまでに一度で良いからその女に会ってみたいものだ」
「桜…鬼…ですか。名前の感じからして、何やら人間っぽい匂いを感じませんな。鬼や悪魔に近い存在ですか?」

長い指でグラスを持ち、そっと鼻に近付けてワインの香りを楽しむ曹丕を、額にかかる長い前髪の下から司馬懿の怜悧に輝く瞳が見る。


まあ、我々だって人の事は言えませんが。


そう言って笑う司馬懿に、楽しげな声で『そうだな』と返し、曹丕が唇の端を吊り上げる。

桜鬼は人間ではない。その漢字が表す通り、満開の桜に魅せられてフラフラと近づいた人間の男を誘惑し、その手を取ってしまったが最後地獄に引きずり込まれてしまうという、美しい女の姿をした鬼の一種だ。

だからこそ張り合いがある。だからこそ面白味がある。

桜鬼という女が魔物だか妖怪だか知らんが、相手にとって不足はないと思わんか、と曹丕は言った。

「それは…確かにそうですね。その辺に歩いている普通の女同様、一度目が合っただけで簡単に奴隷化してはつまりませんし。前回のゴリラは久々に手応えを感じましたが、結果的には一月で殿の目を見て足を開くようになりましたね。私は殿より少々遅く、1ヶ月半もかかってしまいましたが…」

どことなく不満げな物言いで結果報告をする司馬懿に、グラスに口を付けたままの曹丕が粋な仕草で片眉を上げる。

「どうだ仲達。勝負するか?」
「またですか。私は別に構いませんが、相手は桜に棲む魔性の一種です。出会えるかどうかも分かりませんし、そもそも本当に存在しているのかどうかも分かりませんよ」
「良いではないか。そうでなければゲームは面白くない」
「ああ…それは分かります。堕としにくい相手、手に入りにくい相手を堕とすという事だけが、男女関係における唯一の楽しみですからね」

曹丕や司馬懿のような人間にとって、男女の恋愛とは全てゲームでしかなかった。

ゲームならば、簡単にクリア出来るような物はつまらない。相手が強くなければつまらない。手応えがある相手でなければつまらない、という二人の言い分も理解出来るだろうし、いかにも曹丕や司馬懿らしい感覚だ。


その魔力に満ちた妖艶な眼差し一つで、どんな女の心も容易く手に入れてきた彼らにしてみれば、桜鬼のような存在は興味と知的好奇心をそそられる相手であっても、恐怖の対象などではない。


例えこの世の存在でなかろうと、メス科の生き物であれば必ずや堕としてみせる。


そう自信たっぷりに言い切る事が出来るのは曹丕や司馬懿だからこそであり、普通の男には決して真似の出来ない台詞であろう。

「そう言えば、『籠釣瓶花街酔醒』も桜が関与している話だったな」

独り言のように呟いて、曹丕がグラスをテーブルの上に戻す。

歌舞伎の『籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)』という作品ではしがない田舎商人・次郎左衛門が花魁八ツ橋に出会い、恋に落ちる。満開の桜が美しく咲き誇る頃だった。

その後次郎左衛門は愛も金も一身に八ツ橋に貢ぐが、散々手玉に取られた挙げ句に大勢の人間が見ている前で手酷く振られる。

怒りに狂った次郎左衛門は数ヶ月の後、吉原に乗り込む事を決意する。

八ツ橋と二人きりになった次郎左衛門は隠し持っていた名刀『籠釣瓶(かごつるべ)』でにっくき八ツ橋を切り殺し、『籠釣瓶は、よく斬れるなあ』と呟いて不気味に笑う。

あれもきっと、次郎左衛門は桜の持つ魔性に狂わされてしまったのだろう。桜にまつわる哀しい伝説や物語は沢山ある。

それらの事を踏まえて想像を膨らませてみると、≪桜の下には屍体が埋まってゐる!≫という有名な一文は、男の屍体を指しているのではないか、と曹丕は考えていた。

桜の木の下には女でもなく、子供でもなく、老人でもなく、男女のカップルでもなく、若い男の屍体が埋まっているのだと。それも一人二人の話ではなく、沢山埋まっているのだと。

例の一文が本当に指しているのは男女どちらの事なのかは全く知らないが、数え切れない程に大勢の男、しかも裸の若い男…と想像したのは曹丕の勝手な推理である。

思うに、桜の下に埋もれている屍体というのは桜鬼に魅入られてしまった若い男達なのではないだろうか。彼女の魅力に狂わされた数多くの男達が、まるで木の根っこのように互いの腕や足を絡ませ合ったまま眠ったように死んでいるのではないか。


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