三國/創作:V | ナノ


三國/創作:V 
【悪魔の花嫁V】
 




「……放っておくがいい。秀英の首根っこを押さえるに値する、絶対的な証拠が出るまでは……な」
「……では」
「このまま調査を続けろ。今しばらく泳がせておけ」
「承知しました」

ただでさえ妖しいムードに包まれた不気味な空間の中、曹丕と司馬懿の二人が座っている特等席の周囲はさらに濃い闇を流し込んだように一層暗く見える。

二人はその後何も言わずに舞台の方に視線を戻し、SMショーの続きを鑑賞していた。

そうこうしている内にショーは10分間の休憩タイムに入り、会場客に向かって熱の入ったショーを披露していた調教人と美人奴隷が一旦舞台の袖に引っ込む。

高級店の設備らしくピカピカに磨き上げられた舞台の床上には、つい先程までプレイに使用していた男性器を形取ったグロテスクな異物や浣腸器が無造作に転がっている。

もし友人宅を訪れた時にこれらの道具が転がっていたとすれば、何やら見てはいけない現場を見てしまったような気がして早々に立ち去る事だろう。

興奮冷めやらぬ、といった様子でガヤガヤと談笑する会場客達の声に触発されたのか、曹丕が不意に沈黙を破る。

「名無しは今どうしている?」

いかにも今思い出したような、取って付けたような曹丕の口振りに、司馬懿もまた大して興味なさそうな態度で答えた。

「秀英に誘われて、今夜は奴と一緒に夜桜の鑑賞会を開くようですよ。中庭の桜が満開なので、今丁度見頃なのだとか。夜食代わりに二人分の弁当を作るとか言って、仕事が終わってから無駄に張り切っていたのを見た記憶があります」

自ら発した台詞に自分自身で嫌悪感を覚えたとでも言うのか、司馬懿の鼻面に細かい皺が刻まれる。

思い起こせば数時間前。今日の名無しは朝から様子がおかしく、何かを気にしているような、ソワソワしている感じだった。

それだけでは特に気にする事もなかった。だが、業務終了後にいそいそと新品のエプロンを身に纏い、両手に食材と料理本を抱えて厨房に向かおうとする名無しの姿は明らかに何かが変だ。

そう思った司馬懿がさすがに『これは何だ』と思って名無しに軽く聞いてみると、名無しは夜桜鑑賞の件を素直に説明した。

その時名無しが見せた幸せそうな満面笑顔が、司馬懿の脳裏に蘇ったらしい。

「ほう…。夜桜鑑賞とは今の時期にピッタリではないか。実に風流だ。お前は参加しなかったのか?」
「はっ…ご冗談を。何故私が馬鹿女と優男の間に挟まれた三色団子のような形で花見をせねばならんのですか?屈辱です」
「独身男にとっては財布に優しいタダ飯付きだ。一応利点はある」
「別に自慢をするつもりはないですが、名無しの施しを受けねばならん程金に困っている身ではありません。ついでに言えば、あの女の手料理を食べさせられる位なら、カリカリに乾いたインコのエサでも食っている方がまだマシです」

聞く者の耳をゾクリと震わせるようなバリトンで、司馬懿は『大体』、と一言前置きしてから話を続ける。

「いい年こいた男女が夜中に二人きりで出かけて、何も起こらない訳がありますか」

使い古された言葉かもしれないが、男はみんな狼だ。

骨の髄までしゃぶり取られて捨てられぬよう、せいぜい気を付けるがいい。

ルンルン気分で身支度を始める名無しに、司馬懿は冷たい声でそう忠告した。


勿論、表面上だけの意味ではない。以前から秀英の正体に疑念を抱いていたからこその、色々な意味を込めた司馬懿の発言である。

そんな司馬懿の親切心を、名無しは今にも泣き出しそうな顔で頭をブルブルと左右に振って否定する。

『あの人はそんな男の人じゃない』
『秀英殿は曹丕や仲達とは違う!』

ムキになってそう反論する名無しの態度が、余計に司馬懿の神経を逆撫でした。

女の言い出す『あの人は違う』の基準が良く分からない。一体何の根拠があってそんな事を自信たっぷり言い切るのか?何の具体的な証拠があってそう思うのか?

司馬懿は長年その事を疑問に思っていたが、ここに来て

≪顔がいい男≫
≪自分の前ではいつも優しい男≫
≪髪型や服装を変える度気付いてくれる男≫
≪マメに声をかけてくれる男≫
≪可愛いね、綺麗だねと褒めてくれる男≫

の条件にどれか一つでも当てはまるというだけで、女は簡単に『彼はいい人』認定するという結論に辿り着いた。



────阿呆臭い。



そして名無しにもその傾向を認めた司馬懿は呆れ半分、軽蔑少々、脱力感120%となり、曹丕に誘われるがままに今夜このSMクラブに姿を見せたのだ。

「名無しの事が心配なのか」

険しい顔付きで名無しとの会話の内容を振り返る司馬懿を見て、曹丕がフッと微笑む。

それは読んで字の如く、ほんの僅かな、些細な微笑みであったが、見る者全ての目を釘付けにしてしまう位に魅惑的な笑みだった。

「心配しているのは殿の方ではないのですか。私の役目ではありません。人の忠告にロクに耳もかさないような馬鹿女は、秀英に犯り殺されて死ねばいいと思います」

素っ気なく言い捨てて、ワインを口にする司馬懿の双眸には、名無しに対する侮蔑の色はあっても同情の色はない。

そうか、とだけ答える曹丕の口元は、それでもやはり笑んでいる。

「中庭の桜と言えば、毎年見事なまでの花を咲かせる木があるな。今年はまだ一度も花見をしていないから、今どんな姿をしているのかは分からんが」
「ああ、中央にある桜ですね。確か城内に植えてある桜の中で一番樹齢が長く立派な桜だったような気がしますが。名無しの一番好きな桜です。多分今夜秀英と見ているのもあの桜でしょう。想像が付きます」

中にはそうではない物もあるが、植物と言うのはただでさえ育てたり面倒を見るのに手間暇がかかる物と世間一般的には言われている。

それもあって、自国の領土内や自分の敷地内に広大な植物園や花畑を所有するという事はすなわち富と権力の象徴でもあり、植物を愛でるというのは王族達や貴族達の優雅な趣味の一つであった。


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