三國/創作:V | ナノ


三國/創作:V 
【悪魔の花嫁V】
 




詐欺師だってもっと信憑性のある、実現しそうな嘘を吐くと相場が決まっている。

それなのに、《君がいれば他の女はもういらない》とか《貴方以外の男性なんて目に入らない》とか根も葉もない大嘘を平気で吐くのが世間のカップルという奴ならば、詐欺師の方がまだ誠実だ。

どれだけ綺麗事を言って上辺だけ取り繕ったとしても、所詮そんな感情は一時限りの短い夢。

世の男女にとって、その情熱を保ち続けるよりも愛が冷める方が早いからでしょうな、と司馬懿は言った。

「これがこの世で行う最後のセックス。二人で共に絶頂を極めた後は、死後の世界に旅立つのみ。残るはただひたすら快楽へと続く階段を駆け上るだけ、という状況は、この世に存在するありとあらゆるセックスよりも最高の官能を約束するものでしょう。後先の事を何も考えず、互いの体を思う存分貪るだけで良いのだから。しかし……」
「───その結果、出来上がるのは二つの死体だけ。二人して溺死を図れば水を吸ってパンパンに膨れあがった醜い腐乱死体が水面に浮かび上がるだけであるし、結合したまま毒をあおって死ねば死後硬直のせいで局部を引き剥がすのに骨が折れ、大勢の人間に助けを求める事となる。残った遺族は恥をかき、周囲の者に迷惑をかける。愛があろうとなかろうと、死んでしまえばただの肉の塊が無惨に転がっているだけだ」

司馬懿の発言を遮る形で続けた曹丕が、まるで彼の台詞の続きを語るように言葉を紡ぐ。

「その残酷さに耐え得る覚悟がある者だけが、心中する資格がある。……お前が言いたいのは、そういう事であろう?」

闇よりも深い黒い双眼が真っ直ぐに、司馬懿を見る。

微かに笑みをたたえた曹丕の口元にあるのは、言葉通り司馬懿の心の中など全てお見通しだ、と言いたげな自信だ。

曹丕の質問に司馬懿は長い睫毛を伏せ、厳かな声で『仰る通りです』と答える。

舞台上では先程の美女が天井から縄で吊り下げられており、爪先がギリギリ床の上に着くか着かないかの状態になっていた。

先が無数に分かれた鞭を手にした調教人が無表情な顔付きのままで何度も女を打ち据える度、ビシッ!!ビシッ!!という物凄い音がする。

鞭で叩かれる度に女は絹を引き裂くような悲鳴を上げるが、鞭打ちの刑が辛いからなのか喜んでいるからなのか遠目からは判断がつかない。

白い下腹部をエビのようにジタバタとばたつかせ、大声で叫ぶ女の肌が見る見るうちに真っ赤に染まり、鞭で打たれた部分がミミズ腫れのように腫れ上がっていく。

「……よって心中そのものが快感なのではありません。『死を背負った快楽』こそが絶対無二の快感なのです」

常人からすればこれ以上続けたら死んでしまうのではないか、と思える程の折檻を受け続ける女の姿を正面から見つめ、司馬懿がキッパリと言い切る。

どれだけ女が泣き喚いて許しを請うても、調教人は決して行為を中断しない。相手に苦痛を与えるよう、だが相手の命にまで影響が及ぶ事がないように、というプロならではの絶妙な力加減で女の体を打ち続ける。

やがて女は失神し、ガクリと頭が下がる。しかし調教人は女の頬を打ったり、頭から冷水をぶっかけたりして女を無理矢理目覚めさせ、また鞭打っては気絶させ…を繰り返す。

女はとうとう失禁してしまう。普通の家のお嬢さんなら、所謂『こんな姿を他人に見られてしまったら、お嫁にいけない』というような無様で淫らな醜態を、世にも美しい類い希な美女が大勢の観客達の前でたやすく晒け出す。

「ひいいい……」

耐え難い程の恥ずかしさと情けなさで、女はさらに泣く。鞭で打たれる。気絶する。叩き起こされる。また失禁する。もはやここまでくると夢幻の境地だ。

(それを踏まえると、SMという行為は性行為の中で最も『死を背負った快楽』に近いのではないかと思うがな)

会場中の客達が全員鞭打つ男に自己投影し、自分が女を打ち据えているのだと思いながら興奮し、股間を膨らませている光景を目にして曹丕は思った。

古代インドの有名な性愛指南書『カーマスートラ』にも、ちゃんと≪打擲(打つ事)も愛撫の一種である≫としっかり記載されている。

恋愛という行為の内には、相手をただひたすら優しく包み込み、甘やかし、大事にするという『表の一面』以外にも、嫉妬心をぶつけ、縛り付け、命令し、自分の言う事を聞かせ、言葉や態度で傷付けるという『負の一面』がある。

恋愛の中には、≪これはひょっとして拷問に近い行為じゃないのか≫と思えるような相手の酷い仕打ちとか、まるで外科手術のように大きな痛みを伴う行為もあるではないか。

それなのに、

『私、痛いのだけは苦手なの。どうしても嫌なの』
『悪いけど、私そういう趣味はないの』
『友達に聞いたけど、SMって変態行為なんでしょう?』

とか何とか意味不明な事を言ってSM行為を全面否定する女達が存在するという事が曹丕には全く理解できず、許し難い事だった。


(何という浅はかさ。視野の狭さ。許容性の無さ。理解力の無さ、認識不足、想像力と優しさの無さ、───極めつけに愛の無さだ)


薄い唇を歪め、曹丕は心の中で毒づく。

崑崙山に棲む不老不死の仙人でもあるまいし、たかだか10年、20年、30年しか生きていないような人間風情が、今まで過ごしてきたちっぽけな人生経験のみで得た知識と情報だけで、他人の性癖を知ったような口振りで決めつけようなど思い上がりも甚だしいわ、と曹丕は思う。

それはそのまま、曹丕と司馬懿による調教行為を『愛のない行為』と断言し、隙あらばなんとかして自分達の腕の中から逃げ出そうとする名無しにも言える事である。

(もう少し利口な女だと思ったが)

多分、理由などないのだ。

名無しのような女に言わせれば、具体的な愛の言葉もなく、目に見える優しさもなく、分かりやすい愛情表現もなく、『無駄な抵抗はやめろ』『おとなしく言う事を聞け』と高圧的な態度で命じてくるだけの曹丕と司馬懿の言動は理解の範疇を超えているのだろう。


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