三國/創作:V | ナノ


三國/創作:V 
【悪魔の花嫁V】
 




「私も隣の者も、すでに特別な奴隷を飼っている。これ以上奴隷を増やすのは時間的にも肉体的にも少々面倒だ。お前の主人になって、これ以上の快楽を与えてやる事は出来ん」

曹丕の隣でその遣り取りを見ていた司馬懿は彼の言葉に納得するように頷くと、『あの女一人だけでも調教に時間がかかりますからねえ…』と呟いて黒羽扇でゆっくりと顔を扇ぐ。


MがSに出くわした時のショックというものは、まるで稲妻に打たれた時のような、言葉にする事も出来ない程に鮮烈な衝撃である。


食物の好みが似ているとか、趣味が同じだとか、なんとなく気心が合うだとか、SMの世界からすればそんなものはとるに足らない表面的な相性の問題でしかない。

SMとはサディズムとマゾヒズムという対極的な要素を備えた人間の組み合わせによって発生する特殊な関係性であり、それは肉体的な結びつきというよりはむしろ精神的な色合いの方が濃い。

それ故に理想のご主人様、女王様に出会えた時のMの喜びは、ずっと捜し求めていた永遠のパートナーを発見した時のような、魂の伴侶ともいえる存在を見つけた時のように多大な喜びなのだ。


あまりにも残酷で甘美な、曹丕の持つ誘惑の声。一切の抵抗を封じるような、司馬懿の持つ妖艶な眼差し。

これこそが本物の魔性であり、世界中のM女が夢にまで見て、永遠に焦がれ続けている至高の存在、何よりも大切な『ご主人様』。

マゾ心に目覚めてから長い間自分の中で思い描いていた理想通りの存在に出会えた事に女は歓喜し、もはや彼女の目には他の客は一切映っておらず、曹丕と司馬懿しか視界に入っていない有様である。

こんなにも素敵なご主人様の寵愛を受けられる羨ましい奴隷とは、一体どんな女性なのだろう。

今の自分よりも若く美しく、見目麗しい女性なのだろうか。育ちの良い、良家の出身者なのだろうか。それでいてこの方達の情けを与えられるに相応しく、最高のM資質を持つ女性なのだろうか。

でも、それならあの男性の口から《あの女一人だけでも調教に時間がかかる》という台詞が出るはずはない。

私ならこの方々のお手を煩わせるような事は決してしない。どんな些細な事でもご主人様の言い付けに従って、ご命令とあらば喜んで泥でも食べてみせるのに……。


「縁がなかった。我々の代わりにいい主人を見つけるがいい」


何の感情もこもっていない、冷たい声音と共に吐き出される曹丕の言葉は、それでも女の体内に心地良く響く。

しかし曹丕にキッパリと断られてしまった事で、美しい女の両目に海の雫のような涙がジワリと滲む。

どうか私をお側に置いて下さい、身の回りのお世話をさせて下さいと叫んで曹丕の足元に縋り付き、ただひたすらに懇願したい。

そう思っても、愛するご主人様に『ダメだ』と拒絶されれば一切反論出来なくなってしまうのはM女の哀しい性。

美人奴隷は諦めたようにガックリとうなだれ、溢れる涙を堪えて深々とお辞儀をし、調教人に鎖を引かれて寂しげな顔で舞台の方に戻っていく。

傷心を引きずったまま舞台に戻った女を待っていたのは、次なる鞭打ちショーだった。

縄師によって女が手首を縛られ、天井からぶら下げられている鉄製の輪っかに手首を拘束した縄を通されているのを涼しい目で眺めつつ、曹丕がおもむろに口を開く。

「……仲達。初めての快感で思い出したが、この世に存在する絶対無二の快感とは一体何だと思う?」

すると司馬懿は、何ら考える素振りも見せず、至極当然の事といった物言いで間髪入れずに切り返す。

「言うまでもありません。性行為の最中に、共に命尽き果てる事です」

主人の問いに対する司馬懿の回答はこうだった。

非常に残念な事に、愛には必ず終わりがある。これは別に愛だけに限った事ではなく、物事には全て始まりが有れば終わりが有るのが必然。

例えどれだけ付き合い始めの恋人達が『私達、ずっとずっと一緒に居ようね』と約束しても、ようやく辿り着いた結婚式で新婚夫婦が『病める時も、健やかなる時も、永遠の愛を誓います』と神の面前で宣誓しても。

人間はとにかく飽き性で、この広い地球上のどこかで毎日新しいカップルが誕生すれば、それと同じだけ、もしくはそれ以上に多くのカップルが同時刻に別れを告げ、離婚届に判を押している。

だからこそ、愛の頂点で死にたいと人は願う。実際はそう思っているだけで一度も行動に移すことなく寿命を終える人間が圧倒的だが、好きな相手が出来、結ばれる度にそう思う。

この世に存在する全ての愛は、時間の経過と共に確実に腐敗する。


それが嫌なら物理的に『愛の時間』を止めるしかない。───すなわち心中だ。


それもあって、『心中』という言葉の響きは何やら切なく儚く、それでいて純粋で、崇高なもののように感じる。

心中こそが愛し合う二人に残されたたった一つの『永遠に変わらぬ愛』の証明であり、実際に心中にまで到った関係こそが『真実の愛』であると。

「しかし、心中というのはそれ程までに美しいものなのかどうか、と言えば謎です」

そこで一旦言葉を切り、司馬懿が深い嘆息と共に疑念混じりの言葉を漏らす。

曹丕はそんな司馬懿の姿を楽しそうに眺め、からかうような口調で司馬懿に問いかける。

「お前は心中してみたいと思った事はないのか?」
「私ですか?残念ながらそんな事は一度も考えた事はありませんし、またしてみたいと思った相手も存在しておりません。もっとも…そんな相手が例え現実自分の前に現れたとしても、その計画を実行に移す前に愛の方が先に冷めきってしまっていると思いますが」

皮肉めいた口調でそう断言し、司馬懿が黒羽扇を軽く揺らす。

≪この女となら例え一緒に死んでも良い≫
≪彼とずっと一緒にいられるなら、いっそ死んだって構わない!≫

…と思っているはずの愛し合う二人が、結局の所何も行動に移さず、具体的な心中計画も立てずにいつの間にか別れてお互い別の相手とくっついているのは、一体どういう事なのか。


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