戦国 | ナノ


戦国 
【罪と罰】
 




「夜しか、空いてない…」

某の告げた内容を聞いて、彼女がゆっくりとその言葉をなぞる。

何かを思案しているかのようにゆらゆらと揺れる名無し殿の瞳。

その瞬間、ゾクリとした感覚が某の体内を駆け巡る。

この人は、なんて悩ましい表情を浮かべて男を見上げる女性なのだろうか。

「じゃあ…今晩私の部屋に来て頂いてもよろしいですか?出来れば、書物のように具体的に文字としてまとめた物をお持ち頂けると嬉しいです」


ビシッ。


彼女の唇から漏れる言葉を聞いて、突然周囲に緊張感が走るのを感じた。

三成殿と、幸村殿だった。

二人とも黙ったまま何の発言もしなかった。

だが三成殿は美しい顔を眉一つ動かさず何もない風を装ってはいるが、我々の会話に神経を集中して聞き耳を立てているように見えた。

幸村殿はと言えば、整った顔を悔しそうに歪ませてキュッと唇を噛んでいる。

「分かりました。浅井を出てくる時に一通り持参した物があるのですが、それでよければお持ちしましょう」

本来こうした物はあまり外に見せる物ではないのだが、上の命令とあれば仕方がない。

それを彼女に差し出す事で某の義が果たせるというのなら、別段断る理由もないだろう。

しかし、一体何なのだ。この二人から発せられる異様な緊張感は。

心なしか名無し殿も三成殿と幸村殿に極力目を合わせないようにして、まるで本当はこの二人に怯えているかのようにも見える。

おかしい。

どう見ても、違和感だ。

「ごめんなさい三成。そういう訳だから、今夜は三成と一緒に仕事が出来ないの。また明日ね」
「……勝手にしろ」

やはり何かに怯えるような眼差しを向け、三成殿を見つめる彼女。

淡々とした口調で返答をする三成殿だが、僅かにその声に怒りに似た感情が含まれているように私には思えた。

「名無し殿っ…。な、何故長政殿を部屋にお呼びになるのですか!?」
「幸村…。彼から今後の戦について役立つ事を教えて貰うように、というのは殿の直々のご命令なの」
「そ…そんな…。しかし、ですね…」
「今の私にとって、それが何よりも大切な最優先事項なの」
「名無し殿……」

彼女に詰め寄る幸村殿の顔は切なく歪められていて、まるで恋人同士の会話のようだ。

某に嫉妬しているかのようにも見える彼のこの態度は一体どういう事なのか?

「あ…でも幸村にも前回の戦の事で聞きたい事があるの。明日私の部屋に来て貰っても大丈夫?」
「!!嬉しいです…名無し殿っ。明日他の用事が終わりましたら、真っ先に名無し殿のお部屋に参ります!」

穏やかな声音で幸村殿にそう告げて、彼女はまたふと何かを思い出したような表情で三成殿に問う。

「そうだ三成、税制対策の書類でどうしても分からない所があるの。今からもし時間があれば、私に教えてくれる?」
「何であんな簡単な物が出来んのだ、お前。そんな面倒な事をする位なら俺がやる」

頬を赤く染めて嬉しそうに彼女に微笑みかける幸村殿に、眉間に皺を寄せて溜息混じりに吐き捨てるような態度を取る三成殿。

その様子を興味深く観察しながら、某はドクンドクンと不思議な程心臓の鼓動が早まって、何とも言えない胸の高まりを感じていた。

この名無しという女性は一体何なのだ。

某に向けられる彼らの嫉妬と憤りにも似た態度の理由が、彼女の事を深く知れば分かるとでも言うのだろうか。

この女性に、某の知らない特別な魅力があるとでも?

城内の女に関する事で、某がまだ知らない事があるなんて。


知りたい。


今すぐにでも知りたい。


この瞬間、某は名無し殿に対して猛烈な興味を抱く事となったのだ。




「さすがは浅井家の兵法ですね。すごく興味深い物ばっかりで…。こんな戦術初めて見ます」
「───お褒めに預かり、光栄です」

もうすっかり外の景色が暗くなった夜の刻。

先程の約束通り、某は当家の秘伝の書を持って彼女の部屋を訪れていた。

某が手渡した巻き物をスルスルと広げて紙面に視線を走らせると、その内容を見て名無し殿がたちまち目を輝かせて感嘆の声を漏らす。

某が城内で聞いた彼女の噂はどうやら本物のようだ。

女だてらに一目見ただけでこの難解な内容に理解を示すとは、秀吉公が信頼を置くほどの高い能力を兼ね備えているのだろう。

「……。」

何気ない風を装いながら、某は不覚にも目に映る彼女の姿に心を奪われてしまっていた。

考え込むように唇にそっと指を当てて伏し目がちな目で書類を見つめるその仕草。

正座をするのが疲れてきたのか時折するりと体の向きを傾けて、しどけなく横に投げ出された足元は無防備にも裾が太股まで大きく捲れ上がり、眩しい程の白い足が何のためらいもなく男の目の前に曝される。

もう完全に仕事に集中しているのだ。無意識の仕草なのだろう。


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