戦国 | ナノ


戦国 
【Love Wars】
 




「君、すまない。そちらにいらっしゃるのはひょっとしてあの名無し殿か!?こんな感じの髪型で、こんな顔立ちの…」

必死で身振り手振りでオレの記憶に残る名無し殿の姿を若い女官に伝えると、彼女はオレの迫力に押されるようにしてコクコクと何度も頷く。

「えっ!?あっ…、はい、そうですっ。仰る通りのお方です。私は名無し様の専属の女官です。今から名無し様よりお預かりした荷物を運びに……」
「ありがとう。助かったよ!」

それだけ聞ければもう十分とばかりにオレは早々にその場から立ち去る。

オレを見上げる女官の両目がハートマークになっているのに気付いていたが、これ以上ここで足止めを食らうのは面倒とばかりにオレは愛する人の姿を求めて走った。


この角を曲がれば彼女がいる。名無し殿がいるっ!!


「名無し殿っ!!!!」


自分でも驚くような大きな声でオレは名無し殿を呼ぶ。

自分の名前が聞こえた事、オレのあまりの大声っぷりにビックリしたのか名無し殿は肩をビクッ!と跳ねさせた後、ゆっくりとこちらを振り返る。

「……あなたは……?」

不安と戸惑い、そして疑問の入り交じった瞳がオレを見る。

この時の名無し殿は以前会った時と違ったデザインの衣装を身に纏っていたが、それでもオレはこの姿形に見覚えがあった。

(ああ。間違いない。この姿にこの顔だ……名無し殿!!)

名無し殿。名無し殿。

この一年ずっとずっとお会いしたかった、愛しい人。

声にならない感動で全身を震わせているオレを見て、名無し殿が困ったような表情を浮かべている。

「本当に……お久しぶりです。オレの事を覚えていらっしゃいますか?名無し殿……」

まるで風邪をひいた時のように、高熱に侵されたような熱っぽく潤んだオレの視線と掠れた声を受け、名無し殿はさらに困惑に染まった顔をした。

彼女はしばしの間しげしげとオレの姿を眺めていたが、やがて心底申し訳なさそうな顔を作ってオレに答えた。

「ごめんなさい。ずっと考えていたのですが、全然思い出せなくて…。どこかでお会いした事がありますか?」
「……。」
「本当に…思い出せないんです。私ったら…なんて失礼な事を……」

悲しげに睫毛を震わせて、名無し殿がオレに謝罪の言葉を述べている。

以前会った時のオレと今のオレを結び付ける要素はまるでないのだ。彼女でなくてもこう答える結果になるのは無理もない。

けれど、オレはそんな名無し殿の返事により一層心が奪われていくのを感じていた。

どれだけ考えても分からないなりに一生懸命思い出そう、名前が出てこない事を謝罪しようと精一杯頑張ろうとしている名無し殿の姿が、とても純粋で汚れない物に思えたから。

「思い出せなくても仕方ないです。オレです、加賀谷千代丸です。丁度今から一年前…今と同じく桜の蕾が出来る季節にお会いしました。城の西、最上階近くにあったあの執務室で。一度だけ……」
「───!!」

オレの台詞を聞いた名無し殿の目が、見る見る内に大きく見開かれていく。

名無し殿はそのまま10秒くらい固まっていたが、やがて何かに弾かれたようにしてパタパタとオレの方に走り寄ってくると、勢い良くオレの両手をギュウッと握った。

「うそ…!!あの時の千代丸殿ですか!?お久しぶりですっ!譲って頂いた穴開け機、今でも大切に使っています!」
「…名無し殿…」
「執務机の上に置いて毎日使っているんですよ。もう本当に便利で、あれがない生活なんて今じゃ考えられなくて。私があんまりしょっちゅう使っているものだから、今では私の同僚も一緒に使っているんです。同僚も凄く感心していたんですよ、これを考え出した人間は頭が良いって……!」

感極まったという様子で、名無し殿がオレの手を握りながら興奮気味に話す。

今でも彼女がオレの事を覚えていてくれた事。そして今でもあの道具を使ってくれているという事。自分の机の上に置いて、毎日活用してくれていると聞いたオレは嬉しくて仕方が無くてなんだか泣きそうになる。

(ああ、そうだ。この笑顔。この声に、この眼差しなんだ)

今から一年あまり前、当時のオレを一日にして虜にした彼女の暖かいオーラと立ち振る舞いが今日ここで再現される。

間違いない。これこそがオレの大好きになった名無し殿。

他の女達のように今のオレを見て態度を変える訳でもない。オレに媚びる訳でもない。オレに迫る訳でもない。

驚くほどにごくごく普通。一年前に会ったあの日のまま、それがつい昨日の事のように変わりのない態度で接してくれる。


本物なのだ。


「あの…、名無し殿…。実は……」
「はい。なんでしょう?」

最愛の人を前にして昔のようにモゴモゴと口ごもるオレを、名無し殿は以前と変わらぬ優しい眼差しで見つめてくれる。

この日の名無し殿は今の季節に合わせた桃色の着物を羽織っていて、腕と足下の裾には金糸で縫い込まれた小さな花々が控えめな光を放っている。

衣装の全面に豪華な刺繍を施す訳でもなく、仕立ての良い生地にさりげなく可愛らしい花が所々飛び交う衣装が名無し殿の穏和な雰囲気によく似合っていて、以前会った時よりもまた一段と愛らしい姿に感じられた。

「あの…、オレ……実は……」
「はい」


オレと、付き合って下さいっ!!


ていうかむしろ、嫁に来て下さいっ!!


そんなお付き合いをすっ飛ばしてオレと今日、即結婚して下さい────っ!!


そう言いたいのは山々なのに、言いたくて言いたくて仕方ないのに、名無し殿の目を見ていると全然上手くしゃべれない。

「お、オレ…。名無し殿……。オレと…その……」
「……?」
「その……むしろオレと……オレの……」

不規則に唇を動かしてばかりで肝心な事が何一つ言えないオレを名無し殿は暖かい目で見上げ、オレの話の続きを辛抱強く待ってくれている。


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