戦国 | ナノ


戦国 
【Love Wars】
 




怯える目付きで襖を睨み付けていると、すーっと静かに襖が開いて一人の女性が姿を現した。

すると女性はオレの顔を見るなり『あっ』と呟き、一瞬驚いたような顔をしたあと、ニッコリと微笑む。

「こんにちは。急にお声がけしてすみません。私は名無しと申します。見ないお顔ですが、初めてお会いする方ですよね。豊臣軍の方ですか?」

女性は流暢な口調で自己紹介をしつつオレに質問を投げかけると、襖に手を添えて静かに閉めていく。

突然の問いと女性の笑顔に面食らい、オレはなんとかして言葉を発しようとした。

「あ、あの…。オ、オレの名前は、加賀谷千代丸と…言います……。豊臣の配下の者です……。き、今日は定期報告も兼ねて、父と…こちらに伺いまして、ち、父と秀吉様の話が終わるまで…この部屋をお借りして仕事を……」

自分でも情けないと思う程に、言葉が上手く話せない。

太った男が全身に冷や汗をかきながらモゴモゴと口元を動かし、拙い口調でしゃべる様は傍目にも薄気味悪い印象を与えるものだと思う。

しかし名無しと名乗ったこの女性はそんなオレのみっともない姿を見てもなんら引く様子もなく、何かに納得した様子で『ああ!』と答えた。

「加賀谷の方ですね!存じております。では今秀吉様と話していらっしゃる方は千代丸殿のお父上なのですね。加賀谷というとここから大分離れた場所にあるそうではないですか。遠路はるばるご足労願いまして本当に有り難うございます。久しぶりにお父上や千代丸殿とお会い出来て、きっと殿も喜んでいらっしゃると思います!」
「そ、そんな……。いえ、こ、こちらこそ……」

名無し殿はそう言ってオレを見つめ、深々と頭を下げた。彼女の動きにつられるようにしてオレも慌てて頭を垂れる。

予想外な程に好意的な対応に驚きを感じつつ再度顔を上げてみると、そこには長年連れ添った親しい仲間や家族を見る時のように柔和な微笑みをたたえた名無し殿の顔があった。

戸惑いが、隠せない。

「お仕事中に邪魔をしてしまって申し訳ありません。そこに置いてあるの、私の文鎮なんです。昨日ここで作業をしていたのですが置きっぱなしで忘れて帰ってしまって。それだけ頂いていいですか?」
「え?ああ、これ……」

名無し殿の言葉に促されるようにして『そこ』と示された場所を見てみると、確かに文鎮が置いてあった。

繊細な模様が施されているその文鎮はとても優美で見た目も美しい物で、一目で高価な物だと分かる高級感を備えていた。

「ど、どうぞ……」

慌ててその文鎮を取って彼女に手渡そうと思った瞬間、オレはハッとした。

オレみたいな醜い男が触った物なんて、女が受け取る訳ないじゃないか。

そう思い、かといって差し出した手を今更引っ込める訳にもいかず、どうしたらいいのか分からずオロオロするオレの態度を気に留める事もなく、なんと名無し殿はなんの躊躇いもなくオレの手に自分の手を添えた。

「ああ…、確かにこれです。私の文鎮……。昨日からずっと探していたんです。ありがとうございます」

オレの手から文鎮を受け取ると、彼女はペコリとお辞儀をした。

「代わりの物を使っても良いのですが、普段から使い慣れていないとなんだかしっくりこなくて。仕方なく同僚の三成に借りたのですが、用が終わったら俺の文鎮さっさと返せ、早く自分の物を見付けてこいって散々急かされていたんです。あー、思い出せて良かった!」

そう言ってふふっと笑う彼女の笑顔に、オレの瞳は釘付けになる。


(この人はなんて優しそうな笑みを浮かべる女性なんだろう)


名無し殿の会話に出てきた三成≠ニいう名前が一瞬引っかかり、どこかで聞いたような人物名だと思ったが、彼女の微笑みに吸い寄せられていたオレはそれ以上の事が思い出せなかった。

知らない相手の事なんて今はどうでもいい。


こんな目をしてオレに話しかけてくれる女性は、初めてだ。


「そ、それ…オレも…分かりますっ。や、やっぱり普段から使い慣れている道具がいいですよね。オレも他の道具だと慣れなくて、それで…今日も城から色々仕事道具を持ってきて……」

胸の前で両手を合わせ、左手と右手の指を絡めてはモジモジと落ち着かない動きをしているオレの姿はまるで小娘のような女々しさだ。

「そうなんですか?ふふっ。一緒ですね!やっぱりそうですよね、仕事道具って手癖が付いちゃっているものだから、妙なこだわりをもっちゃって」

そう言って名無し殿はオレの隣に置いてある『貫通君』を目にすると、おや?という感じで目を見開いた。

「千代丸殿…、これはなんですか?ごめんなさい。私が無知なせいかもしれないけれど、初めて見る道具なので……」
「あ、ああ…!これは…その…『貫通君』ですっ」
「えっ。かんつうくん=H」
「はっ、はいっ。オ…オレが自分で作った道具なんです。ほら、書類に穴を開ける時って大変じゃないですか。それでここに紙をセットして、上からこう押さえて……」

オレは名無し殿にやり方を説明しながら、貫通君を上から両手で押さえる。

そしてそのままギュッと己の体重をかけると『ガチャコン』という音が鳴り、いつも通り何十枚もの紙に一度で二つの穴が開いた。

「えっ…!えええ─────っ!?」

目の前で起こった出来事に驚いたのか、名無し殿が素っ頓狂な声を上げた。

名無し殿は処理の終わった書類の束を手に取り、貫通した穴の部分を指でなぞって確かめるような動作をした後先程よりも大きく両目を見開き、睫毛をパチパチとしばたかせている。

「ほら……。一瞬です」
「い、今何が起こったんですか?こんなに沢山あった書類がいっぺんに…。ええええっ!?」
「こ、この板に取り付けられている二本の針のおかげなんですよ……。そ…それでこうして押すと、穴が開いて……」
「ああ…そういう仕組みなんですね。本当だ!凄い!凄い…!!」

オレの説明を受けた名無し殿は何度も紙と貫通君を見比べて、フンフンと頷きながら感嘆の声を漏らす。

名無し殿はひとしきりそうやって貫通君の事を褒め称えると、真横にいるオレに顔を向け、今度はオレに対しても賛辞の声を送ってくれた。


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