戦国 | ナノ


戦国 
【三成クンの憂鬱】
 




眩しい太陽が容赦なく照り付ける、8月下旬。


数週間前までまるで生き急ぐかのように大声でミンミンと鳴り響いていた蝉時雨の音量も大分収まり、夏の終わりが近づいている事を感じさせる。

しかし、それでも相変わらず日中には強烈な直射日光が降り注ぎ、地表からは陽炎のような熱気が揺らめいて、人々は体力を奪われていた。

そんな中、いつもと変わらぬ態度で執務に当たっていたのは豊臣軍が誇る名軍師・石田三成である。

この日名無しは所用で外出しており、残った三成は執務室で一人調べ物をしていた。

名無しと共同で使っている執務室には彼らの仕事に必要とされる物が沢山集められており、ある程度の地位のある物しか閲覧できない重要文書や貴重な参考文献、巻物類が部屋の隅に幾重にも積み重なっている。

真夏の蒸し暑さをものともしないその容貌。

最も太陽の位置が高くなるであろう昼間の時間帯、城内の者達が女官も兵士も皆暑そうに顔をしかめ、流れ落ちる汗を手ごろな布切れで懸命に拭い取っているにも関わらず、三成という男に限って言えば汗一つ全くかいていない。

長い足で胡座をかき、分厚い書籍のページを1ページずつめくっては興味深そうな目付きで紙面を眺める三成の目元はなんとも言えず涼しげで、彼の周りだけ心地よい秋風が吹き抜けているように思える。

真剣な面持ちで文献を漁っている三成は、まるで絵に描いたように典型的な美男子だ。

普通にしているだけでも十分カッコイイ彼が真剣な面持ちで職務に当たっている姿はより一層カッコよく感じられ、彼の仕事風景を見た多くの女性はたちまち虜になり、目の形がハート型になっていく。

そんな彼が実は非常に苛烈な性格で豊臣軍きっての毒舌家である事実に気付くのは、女達が彼に無謀とも言えるアタックをかけ、辛辣な口調で完膚なきまでに叩きのめされてからなのだが。


「……なり」


ふと、遠くの方で何かの声がした。

けれども資料探しに真剣な気持ちで取り組んでいる今の三成には、ただの小さな雑音程度にしか聞こえない。

「三成。いないのか?」

今度ははっきりと耳に届き、三成は怪訝な表情で顔を上げる。

三成の事を下の名前で呼び捨てにする場合、彼にとって真っ先に思い当たる相手は自らが仕える相手・秀吉とその正妻・ねねだ。

しかし今聞こえた声はそのどちらとも似ておらず、全くの別人のように思える。

では彼と同じく豊臣に籍を置く他の武将達かと言うと、三成が思いつくような相手とはどれも声の質が違う。

普段から接している人物以外で、自分の事を名前で呼ぶ人間。


(おらんな。そんなの)


三成は自分なりに考えてみたが、すぐに該当する人物が出てこない。

頭の中で浮かんだ考えを即座に否定すると、三成は何事もなかったかの如く紙面に視線を戻す。

「三成。いないのか?ワシだっ!」

三成が再び仕事モードに思考を切り替えようとした矢先、より一層大きな声が執務室に響き渡った。

距離的にも近い位置から聞こえたような感覚から、声の主はどうやら執務室のすぐ近くまで迫ってきているようだ。

それを悟った三成の眉間に、不快感を示す皺がくっきりと刻まれる。

(どこのワシだ。ワシじゃ分からんだろうが!!)

せっかく探索作業がノッてきている所だったというのに、俺の貴重な仕事の時間を妨げるとは一体どういう了見だ。

それになにより、この俺様の名前を気安く呼び捨てる態度が気に入らん。

そう思った三成は手にしていた書類を一旦机の上に置き、仕方なくといった素振りで席を立ち、廊下に面している襖の方に歩き出す。

「誰だ!!」

明らかに尖った三成の声。

そう言うや否や、怒りに任せて勢いよくガラガラッと戸を開けた三成の視界に、意外な人物の姿が映し出された。

「おお、やはりここに居たのか。久しぶりだな三成。ワシだ!」

三成の前で嬉しそうに笑う男の正体は、彼にとって何人かいる叔父の一人であった。

三成同様、この叔父も豊臣の配下として秀吉に仕えていたが、任されている地域が違う為普段は全く別の場所で働いている。

それなので、何か特別な用事でもない限り、こうして彼と三成が顔を合わせる機会は稀だ。

最後に会ったのは年が明けた直後。『新年会』という名目で豊臣に属する者同士が集まって大きな宴会を開いた時以来の顔合わせだった。

「これは叔父上…!お久しぶりでございます。ご無沙汰しております」

つい先程まで業務を中断された不愉快さを全身から滲ませていた三成だが、相手が自分の叔父である事が判明した途端、即座に礼儀正しい好青年の姿を身に纏う。

三成は誰に対しても高慢不遜な態度を崩さないように思われがちだが、意外とそうではない。

自分が仕える相手、そして目上の武将、親類縁者など世間一般的な常識に照らし合わせて礼を持って接する事が必要と思われる場合にはちゃんとそのように対応する。

これが三成のような男性、いわゆる『デキる男』の処世術であった。


基本、『出だし』に関しては。


「申し訳ありません。丁度執務に没頭していた所でして、叔父上の声に気付くのが少々遅れてしまいました」

いかにも申し訳なさそうな雰囲気を漂わせ、三成が叔父に対して頭を下げる。

どの口がそんな事を平気で言うのか!と思わず突っ込みたくなってしまう程にいけしゃあしゃあとした三成の態度だが、いい男の場合は何をしても様になるし許されやすい。

それが分かっていて形ばかりの謝罪に頭を垂れる三成を見下ろし、中年の男は満足そうに相好を崩す。

「いや構わん。男子たるもの、1に仕事2に仕事。何を差し置いても職務を最優先するのは至極当然のことであろう。我が甥が秀吉様に重用されて今や豊臣の軍師まで勤め上げているとは、ワシもつくづく鼻が高いわ!」

楽しそうに笑い、男がガハハと豪快な声を放つ。

三成自身がそうであるのと同じように、彼の叔父であるこの男性もまた仕事第一主義の人間であった。

と言うよりも、誰がどうというよりも石田家という一族自体が『そういう集まり』という認識の方が色濃い。

三成が物心ついた時から自分の周囲にいるのは仕事熱心で厳格な性格の男達ばかりだったので、そのような環境で育ってきたという背景が三成という人物の人格形成に大きな影響を及ぼした可能性は決して低くはないだろう。


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