戦国 | ナノ


戦国 
【Snow】
 




「三成殿はまだ読まれていないのですか?巷では話題の最新作なのに。博識な三成殿の事ですから、世間の物は片っ端から目を通されていると思っていましたよ」
「それが実は読んでないんだ。女官達がいつもその話を俺にしてくるものだから、嫌だと言っているのに勧めてくるのが本当に腹立たしくてな。面倒臭く思えてきたんで、もうとっくに読んだと言っている」
「…三成殿…。また適当な嘘ですか…」

他の奴らには内緒だぞ、と言って三成殿は軽く口元の端を緩ませる。

開いていた扇子を上下に一振りして一気に閉じると、腰元に納め直して私を見た。

「何が悲しくて、戦を終えて自分の部屋に戻ってからまで『人殺し』の話を読まなきゃならんのだ」
「ですよね」

そう言って互いに顔を見合わせると、私達は喉元まで出かかった笑いを堪えるのに苦労した。

誰々の事が憎いから殺したとか、自分にとって邪魔だからついつい殺してしまったとか。

そんな事は日常茶飯事な世界に住んでいる我々のような人間からすれば、どうして『仕事』以外の時間にまでそんな話を持ち込まなくてはいけないのか、とげんなりしてしまうのだが。

世間の人々にとってみれば、こういった話は自分には全く縁のない御伽話の世界であって、ただ面白可笑しく読んでいるというだけの事かもしれない。

「人間が猛獣を殺した時は、勇猛果敢な行為であり、神聖な競技の一種だとか抜かす奴もいる。逆に猛獣が人間を殺した時は、何という残虐な、危険極まりない生物だろうと迫害される。所詮、正義の概念なんてそんな物だ。自分達にとって都合の良い理屈さえ付ければどうにでも言い訳できる」
「それは…一理ありますね」
「恋愛もそれと似たような物だろう。片方は『本当に愛しているならそんな事は出来ないはずだ』と主張するが、もう片方は『本当に愛しているからそういう事が出来るはずだ』と主張する。罪悪の区別なんて、その程度の物だ」
「堂々巡り、ですか…」

皮肉を込めた彼の口調に、私もニコリと微笑み返す。

「私もそう思います。三成殿とは何だか気が合いますね」
「そうか?俺とお前の恋愛観ははっきり言って間逆だぞ」

どことなく甘さを含んだ低い声が、自分のすぐ隣できっぱりと否定する。

「恋愛の本質は、何をするのも当人同士の『自由』だとは思わんか」
「いいえ。恋愛の本質という物は、当人同士の深い愛故による『束縛』です」

ギンッ。

外気の冷たさを物ともしない熱気を放ち、私は三成殿を睨み付けた。

にやりと目を細めると、三成殿は薄く笑って私の顔を見つめ返す。

「変わらないな、お前は」
「どうせ三成殿も、左近殿や兼続殿と一緒で私の事を重たいだとか、変だとか言うんでしょう」
「そうか…?確かに反論したいと思う事は山程あるが、別にお前の価値観を否定したいとも思わんぞ」

煩わしそうに長い前髪を掻き上げると、三成殿は空の雲の流れをじっと目で追っていた。

少し前まではあんなにも天気の良かった冬空が、今ではすっかりと灰色の光に包まれて、鈍い色の雲が低く垂れ込めている。

「───雪雲だ」

微かに驚いた顔をして、三成殿が低く掠れた声で囁いた。

輪郭が全くない、どことなくぼんやりとした分厚い雲が、空一面を覆っているのが人の目でも確認できる。

パッと見ただけの私の頭上はまだ青空が僅かに残っているが、そこから目線を落としていくと、白く煙がかった部分がだんだんと増えていく。

「あっ…、本当ですね。さっきまでは、あんなに綺麗な空だったのに…」

私の視界に映し出される遠くの空は、深い灰色になっていて、山にかかる部分は完全に黒く染まっている。

情緒感が溢れている、白から灰色へと変化していく、何とも美しいグラデーション。

そして黒い雲が自軍の領域を全てすっぽりと包み隠した時には、地上には白い雪が降り積もり、強い風が容赦なく国中の者に吹き付ける。

「今夜は降るな。間違いなく冷えそうだ……」
「……ですよね」

隣に座っている彼と同様に私も空を見上げながら、昔の記憶に思いを馳せた。


ああ。今年もまた雪が降る。


あれ以来、雪という言葉を耳にするだけで、過去の記憶が昨日の事のように鮮烈に蘇るのだ。

私が愛する女性の為に流した真っ赤な他人の血液は、雪が溶けると共に地面に吸われて綺麗さっぱり消えていった。

どこまでも、限りなく降り積もる白い雪の大地と、深紅の血のコントラスト。

私達武将の戦いは基本的に年中無休で、時間も季節も関係ないが、それでも一番『死』を思わせるのは冬の景色ではないかと思う。

春が生命の誕生と光の季節だとしたら、冬は全くそれと正反対の、暗闇と死を司るイメージをどことなく彷彿とさせる。

地表を覆い隠す一面の銀世界は、まるで人が死んだ後に施す死化粧の匂いがする。

そんな事を思うのは、私達のような男が常に死と向かい合わせの世界に自らの身を置いているからだろうか。


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