戦国 【Snow】 「だから俺は、世の中で何より『善人』という種類の奴らが嫌いなんだ」 自分の腕を掴んでいる女官の手を強い力で振り解き、三成殿が反対側の腕を使って彼女が触れていた部分をパンパンッと手で払い、乱れた衣服の皺を元通りに直す。 まるで汚らわしい物を相手にしているような彼のその行為に、彼女の顔からサッと血の気が引いていく。 「何故なら『悪人』はまだ自分のしている事が悪い事だという自覚があるが、『善人』は自分の行為や言葉が悪い事だなんて微塵も思っていないからな」 「……三、成…様……」 「貴様の言葉を借りるとすれば、それこそ全く『悪気も無く』他人の心を傷つける。無自覚な人間の方が、よっぽど問題があるしタチが悪いとは思わんか?」 ───それと、もう一つ。 そこで一旦言葉を区切り、彼が女官の顔を見返す。 「何かあればいつでも私に話をして下さい、と貴様は言ったが……」 不意に思い出したように、三成殿が形の良い唇を上下に開く。 「折角の申し出だが、俺の方は貴様に対して何も聞いて貰うような話は無い。大きなお世話だ」 そこまで言うと、話は終わりだとばかりに三成殿は女官にクルリと背を向けた。 「三成様…お…お待ち下さ……っ」 もはや自分に用は無い、とでもいう素振りでその場から立ち去ろうとする三成殿の背後から、彼女が必死の思いで彼の名前を呼び掛ける。 三成殿は軽く首だけ捻って追いすがる女官の姿を横目で見ると、冷たい声で吐き捨てた。 「お前が俺の価値観を全面否定したお返しに、俺もお前の価値観を全身全霊で否定してやる」 「……な……」 「───消えろ。馬鹿女」 彼自身の言葉通り、最後に『トドメの一言』をくれてやると、三成殿はそのまま何の未練もない顔をして、こちらに向かってスタスタと歩いてきた。 ただ一人廊下の端に取り残されて泣き崩れている女官の傍に、彼女と三成殿のやり取りを遠巻きに眺めていた他の女官達が走り寄る。 《可哀相だとは思うけど、三成様はああいう御方なのだから》 《貴女が悪い訳ではないわ。選んだ相手が悪かったのよ、きっと》 そんな言葉を口々に言いながら仲間を慰めている女官達をチラリと冷ややかな瞳で一瞥すると、三成殿はフンと鼻先だけで軽く笑って軽蔑の眼差しを浮かべていた。 「人の事はいくらでも正論を振りかざして自分勝手に責めるクセに、いざ自分が責められると泣くんだな」 泣いている女とその周囲の女官達までさらに小馬鹿にしているような、彼の眼差し。 どちらに非があるという問題は別として、私のように大抵の男という物は女性が泣くとギョッとしてそれ以上の攻撃を控えるものだ。 それなのに、全くと言っていい程に追及の手を緩めずに、さらなる追い打ちまで叩き込む三成殿の対応は男からすれば一種羨ましい事ですらあるだろう。 女性に見せる彼の行為は、ある意味清々しいとも言える程に、常日頃から徹底して一貫だ。 磨き抜かれた廊下の上を、キュキュッという足袋の衣擦れの音が撫でていく。 流れるように無駄の無い所作で歩調を進める彼の目が、私の姿を視界に捉えた。 微かな驚きの表情と共に少しだけ見開かれた彼の瞳は、いつもの全てを見通すような、鋭くも深み掛かった眼光を放っている。 「何だ幸村。そんな廊下の隅っこで、体を寄せて丸まって。幼い頃から愛されずに育ったか?」 「み…三成殿。お願いですから、今の私にそういう冷たい言葉をかけないでくれますか?これでも結構…深い悩みがあるのですよ」 「ああ。そうだと思った。これが普段のお前なら、必ず俺の態度を諫めに来ると相場が決まっているからな。どうせそこから聞いていたんだろう?俺とあの女の不毛な会話」 全部分かっているんだぞ、というような声色で、彼がポツリと独り事のように呟いた。 「ああいうタイプの人間達は、何かあると決まって『私が、私が』だ。どんな考え方をしているのかなんてそいつらの勝手だが、自分達の価値観を他人にまで押し付けようとしてくるのは、いい加減にして欲しいよな」 整った顔立ちに微かな眉間の皺を寄せている三成殿は、常にこんな感じの対応なので、人によっては好き嫌いが激しく分かれるタイプの人物だ。 それでも彼のような男性が好きだ、という女性はかなりの割合でこの城内にも幅広く分布している。 どれだけ彼に冷たくされても淡い乙女心を踏み躙られたとしても、彼に愛されたいと言う女性を見る度に、私のような男は内心複雑な思いで一杯だ。 もし彼が今の私と同じ立場だったとしたら、どうする事だろう。 私とは全く正反対の価値観を持っているという彼の考えが聞きたい。 「三成殿。お願いがあります。私の悩みを聞いて欲しいのですが、相談に乗ってくれますか!?」 「いくら出す?」 「……えっ」 「自分にとって役に立つような情報が、無料で手に入るとでも思っているのか?そんな子供染みた考え方を持っている程、世の中は甘くはないぞ、幸村。勉強代はタダじゃないさ……」 「み、三成殿〜っ……」 同じ職場で働いている同僚武将に対する態度とは到底思えない、この台詞。 予想以上に冷たすぎる彼の応対に、私はつい自分でも情けなくなるような鼻声を出して彼の事を責めていた。 [TOP] ×
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