戦国 | ナノ


戦国 
【Snow】
 




「そんな風に最初から何もかも決め付けないで、否定しようとしないで欲しいのです。少しでも人を愛する事の素晴らしさとかを、三成様に理解して頂きたいのです。本当の幸せという物に、早く気付いて頂きたい物ですわ。何かあれば、私にいつでもお話して下さって構いませんから…」

真剣な面持ちでそっと三成殿の腕を掴んで見上げる女官に対し、彼の瞳が妖しく光る。

その鋭利な双眼は暗く深遠な輝きを宿していて、まるで闇の世界の支配者のような印象を受けた。


ああ、きっと彼女はこの後彼の冷酷無慈悲な言葉によって、完膚無きまでに叩きのめされる事だろう。


自らの人生観を全て覆される程に、精神的に大きなダメージを被る羽目なる事だろう。


彼女が良かれと思って口に出した言葉の内容が、彼にとっては最も嫌いな手合いの『価値観』だったからだ。


豊臣に身を寄せるようになって、彼と共に職場の同僚として生活するようになった私は、これと同じような現場に幾度と無く遭遇していた。

彼の考え方が良い物なのか悪い物なのか、なんて、そんな事はどうでもいい事だ。

だって世の中には数えきれない程に多種多様な考え方をする人間達が存在していて、色々な人々が自ら得てきた人生経験や修羅場等を基にして、それぞれの価値観や信念に沿って日々の生活を送っている。

私には私だけの考え方があるのと同じように、三成殿にも三成殿だけの考え方があるのが当然なのだ。

そんな私自身もそのように考えられるようになったのは、一国の武将という責任ある立場となって、幾多の戦場を潜り抜け、色々な場面に遭遇し、色々な人々との出会いと別れを経験してきた今だからからこそ言える事なのだが。

自分と周囲の『女友達』しか知らない狭い世界で過ごしている彼女のような女官には、今一つ理解する事が出来ないのかもしれない。


自分一人の考え方が、必ずしも全てなのだという訳ではない。


世の中には自分と異なった『そういう考え方』をする人間もいるのだと言う事を、知らなくても───無理もない事なのかもしれない。


(……きっと彼女は、これから三成殿にケチョンケチョンにやられるな)

しかし、別にそれは彼女が彼に特別嫌われているからという理由でもない。

我々が仕える立場である名無し殿が相手ですら、彼は何の物怖じもせずに残酷な言葉を吐き捨てる事が出来る男なのだ。

彼は、元々そういう性格なのだ。


これが普段の私なら、三成殿と女官の間に割り込んで、彼の辛辣な言葉を諫めていた事だろう。

しかし今の私は完全に自らの悩みで頭が一杯になっていて、脱け殻のようになった私にはもはやそのような元気すら残されてはいなかった。


許して下さい、知らない女官。


「それの一体どこが『淋しい事』なんだ。相手の事情や心境も、何一つ『他人』の貴様が知る訳もないクセに、よくそんな事が言える物だな」
「だって…、それは『普通』に考えたら当たり前の事じゃないですか。人を愛する事は素晴らしい事だって、愛を知らない人は『可哀相な人』だって、『普通』の考え方じゃないですか!」
「貴様の言う『普通』というのは一体何なんだ。それはどこから出てきた言葉なのだ。今の話は、あくまでも貴様だけの『独自の主観』に基づいた話なのではないか?どこが『普通』の話だと言うのだ。言葉の使い方が間違っているな。きちんと正しい日本語に訂正して貰おうか」
「そんな…だって、そんな事は『皆』が思っているでしょう?『世間の人達』が全員思っている事でしょう?これってごく一般的な、普通の価値観ではないですか?」

淡々とした三成殿の台詞を受けて、女官が今にも泣き出しそうな顔をして食い下がる。

そんな彼女の姿を見ても、相変わらず彼は冷たい微笑を口元に貼り付けているだけだった。

「『皆』って、どういう意味だ。『普通』って、具体的には何なんだ?」
「えっ…?皆は、皆という意味ですよ…。普通って、それ以外にどんな意味があるんですか?」
「───貴様の言う『皆』というのは、本当に全員の事なのか?日本の人口、約一億三千万人が全て一人の例外も無く、等しく思っている考え方だと言うのか。全てが口を揃えて『正しい』と思っている事なのか?」
「!!」

三成殿の言葉を聞いて、女官がハッとしたように口籠もる。

酷く狼狽しているような表情を浮かべていたが、それでも彼女は果敢に三成殿に対して己の意見を述べていた。

「で、でも、少なくとも私の周囲の人達は、全員同じ意見ですわ。それって『世間一般的』な考え方じゃないんですか?」
「フン。やっと正直な話が出たな。では聞くが、貴様の周囲の人間全員と言うのは、どれだけの数なのだ。具体的に俺の前で名前を全て上げてみろ」

恐ろしい程に整った顔を面倒臭そうに歪めながら、三成殿がそっと鋭利な双眼を細める。

「A子とB子とC子とD子。所詮貴様のような女の『周囲の人間全員』という物は、この程度の話だろう?」
「…!!…ぁ…っ…」
「百歩譲って、貴様に百人の知り合いが居たとしよう。その百人が全て貴様と同じ価値観を持って生活していたとしよう。だがたった百人程度の事で、貴様は自分の考え方が約一億三千万人『皆』の考え方と同じだと言い張るつもりか?」

情け容赦のない三成殿の攻撃に、女官の顔が益々曇る。

最愛の男性に自らの考え方を否定されて、自分自身の愛情すら突っ張ねられて、心の奥底から傷ついているのだろう。

真直ぐに澄んだ彼女の瞳に、みるみる内に涙が溢れ出していく。


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