異次元 【有毒男子】 「いやだなあ、もちろん仕事で来たんだよ。名無しに業務上の連絡事項を伝える為にね。私の部下を使いに出しても良かったけど、やっぱり大切な事は自分の口から彼女に直接伝えた方がいいかと思って」 「ほ〜う。では先程お前がうちの奴にキスしようとしていたのも、名無しに直接伝えた方がいいという大切な事≠フ一種なのか?」 普段通りの軽やかな口調で話す郭嘉と同様に、涼しげな表情を保ったまま司馬懿が尋ねる。 端整な司馬懿の顔こそ普段の彼とは変わらぬクールさだが、郭嘉に問う時の司馬懿の声はと言えば、怪談話に出てくる幽霊も真っ青の不気味な暗さを宿していた。 「────さあ?」 しかし、当の郭嘉と言えば司馬懿の冷淡な声音に全く動じる事もなく、クスクスと笑いながら軽く受け流すだけ。 そんな男達の間に挟まれる形になった名無しだけが、何とも言えない緊張と不安で一人ハラハラしながらその光景を見守っていた。 「名無し」 「……!はっ、はいっ!!」 急に司馬懿に名前を呼ばれ、名無しがビクッとして返事をする。 授業中、不意に教師に当てられた時のようにピシッと背筋を伸ばしてカチンコチンの状態で自分を見上げる名無しに、司馬懿が怜悧な視線を返す。 「今後郭嘉と二人きりになる状況に陥った際、身の危険を感じたら郭嘉の股間を思い切り蹴り上げろ。情けは一切かけるな。こいつの玉も竿も全部蹴り潰すくらいの勢いでいい。全力でやれ。私が許す」 「……はい……」 反論を許さないというような強い口調で断じる司馬懿に逆らう事も出来ず、名無しはとりあえず頷く。 ああ、神様。 自分の周りにいる美しい男性は曹丕も仲達も張コウも郭嘉も、神に愛された天使の如く綺麗な顔をして、どうしてこういう下品な事ばかりさらりと言うのでしょうか。 そんな事を考えながら名無しが一人物思いに耽っていると、司馬懿と郭嘉は名無しの悩みなど露ほども気にしていないといった様子で未だに冷たい戦争を続けている。 「そんな事をされたらさすがに困るなあ。父親になれなくなっちゃうじゃないか。それに、私との一夜を心待ちにしている一億人の女性達が泣くよ」 「残念だが女の貞操観念ほど信用ならん物はない。お前一人が使い物にならなくなった所で、心配せんでも女達の方でさっさと次の男を捜してくれているはずだ。気にするな」 「う〜ん、それって慰めているように見せかけて実はコケにしているって手法?高度だね。別に女性達だけの話じゃなく、私だって切ないよ。今まで磨き上げてきたテクニックで女性達を悦ばせてあげる事が出来なくなってしまうだなんて……。私の今までの努力と修行の日々はなんだったのか、悲しすぎて涙が出るね」 「そんなにご自慢のモノなら、その辺のあばずれにでも使ってきたらどうだ。繁殖活動はこの部屋でやるな。よそでやれ」 「おや、場所を変えれば名無しを口説いてもいいのかな?存分に」 「話が通じん男だな……。お前みたいな軟派男は世の中の為にならん。お前そっくりの顔でヤリチンの遺伝子を受け継いだ子供が100匹、1000匹と増殖せんうちに、呪いでもかかってさっさともげろ」 「ちょっと待ってくれ。大切な商売道具がもげたら困る。丁寧に手入れをして、これからも大事に使うよ」 相変わらずの司馬懿節と郭嘉節を耳にして、名無しの頭がズキズキと痛む。 このように才能も地位も実力も容姿も全て兼ね備えている男性達が、自分の前で何の遠慮もなく平気でシモネタトークを繰り広げる光景を目の当たりにする度に、名無しは危うく男性不信に陥りそうになる。 めちゃくちゃ仕事が出来る上に家柄も良い男性達のはずなのに、何故? それとも、自分の周りにたまたまいないだけで、世の中にはこんな事も言わず、浮気もせず、誠実な男性というのもちゃんと存在しているのだろうか。 それなのに、どうしてこの城にはこの手のぶっ飛んだ男性ばかり在籍しているのだろう。心底謎だ。 「まあ、この続きはまた別の機会にでもお話しするとして。司馬懿殿も彼女に用事があって来たんだろう?私もそろそろ部屋に戻って自分の仕事をしたいし、この辺で退散するよ」 司馬懿が手にしている書類の束にチラリと目線を落とし、郭嘉が言う。 郭嘉は司馬懿との言い合いなど全く気にも留めていない素振りで名無しの机に手を伸ばし、自分の持ってきた資料を手早く片付ける。 忘れ物がない事を確認した後、荷物を小脇に抱えると、郭嘉は名無しと司馬懿の横を猫のような動作でスルリと通り抜けて扉の方へと向かう。 そして途中で立ち止まると、郭嘉はゆっくりと背後を振り返り、名無しに向かって優しく微笑む。 「ああそうだ。名無し、さっきの話だけど。クリスマス周辺が空いているかどうか、あなたの予定が分かった時点で教えて貰えるかな?出来れば早い内に返事が貰えると嬉しいけど、遅くなっても構わないよ。私も出来る限り名無しの都合に合わせるから」 郭嘉の言葉に、名無しがハッとして目を見開く。 名無しの隣で聞いていた司馬懿の眉が、他人から見たら分からない程度で微かに跳ねる。 「では名無し。────色良い返事を期待しているよ」 ニッコリ。 どこから見ても隙のない完璧な笑顔を名無しと司馬懿の前で披露すると、郭嘉はヒラヒラと2,3度手を振った後クルリと身を翻す。 バタン。 郭嘉が立ち去った後の名無しの部屋には、シンとした不気味な静寂が訪れた。 「……。」 「……。」 名無しも司馬懿も共に黙り込み、何とも言えない微妙な空気が辺りを漂う。 (なんだか言い辛い) 名無しの喉を、生暖かい唾液が通過する。 別に隠す事でもないと思う。 ただ郭嘉に誘われただけで、自分が何かしたという訳でもない。特にやましい所もない。 そう思いつつも、聞かれてもいないのに自分から『実は…』と言い始めるのも何だか変な気がして、名無しはどうしたものかと思い困惑する。 [TOP] ×
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