異次元 | ナノ


異次元 
【籠の鳥】
 




『そういう意味じゃなくて、ですね…。名無しの目から見て、私がどんな姿に映っているのかという事です』

まだ若いくせに生意気だとか、小姓の雰囲気が抜けきっていないだとか、全然武将らしく見えないだとか。

そういった彼女なりの≪実直な感想≫を私は求めていたのだが、再度尋ねてみたところでやはり彼女から返ってきた答えは同じものだった。

『うーん…。やっぱり蘭丸…だと思う』

これ以上はどう答えればいいのか分からない、といった困惑気味の名無しの面持ち。

いつまで経っても一向に自分の求める返答が得られない苛立ちに、私は少々声を荒げてもう一度彼女に聞き返す。

『人が真剣に聞いているのに茶化すのは止めて下さいよっ。私が本当に聞きたいのは…』
『────農民でも、商人でも、小姓でも、武士でも、大名でも。他の人に何て言われているのかは知らないけれど、私にとって蘭丸はどこまでいっても≪蘭丸≫だよ』
『!!』

全く予想もしていなかった彼女の返答に、私は目を白黒させた。

咄嗟に反応を返す事が出来ずに息を飲む私の両目を、名無しがまじまじと覗き込む。

『例え今の貴方の仕事や身分がどんなものだとしても、そしてこの先変化していくとしても、蘭丸は蘭丸だもの。それ以上でもそれ以下の存在でもない。≪森蘭丸≫っていう存在はこの世にたった一人しかいないんだから、貴方は貴方以外の何者にもならないし、蘭丸は蘭丸。今のままで十分素敵だと思うよ』
『……。』
『こんな返事じゃ、駄目かな。私は出来る限り真剣に答えたつもりだよ。でも…貴方の求めている答えにはならない?』
『……名無し……』

至極当然すぎる事なのだ、と言わんばかりの名無しの迫力に、私は条件反射的にコクコクと頷いた。

穏やかな声音で語られる名無しの言葉は私の荒んだ心に染み入るように響き渡り、今まで抱いていた悩みが全てクリアになっていくような気がする。

男とか女とか、小姓上がりだとか、戦国武将とか。そんな形式的な事にとらわれていた過去の自分が、まるで馬鹿みたいに思えた。


『蘭丸は信長様の事が大好きなんだね』
『えっ……』


何の脈略もなく、名無しがしみじみと独白を漏らす。

『分かるよ、その気持ち。あの方の頭脳と行動力は天下一だもの。私が男でも、きっと同性として憧れていたと思う』
『貴女も…信長様の素晴らしさをご存じなのですか?』
『もちろん。蘭丸にとっても、私にとっても。私達の中では信長様が≪世界≫だもんね』


────信長様が、世界。


確かに私は信長様に対して主従を超えた尊敬と畏怖の念を抱いていたのだが、自分では上手く表現出来なかった事を、彼女が私の代わりに代弁してくれたような気持ちになり、嬉しかった。


『私、信長様の事を陰ながら見守っている時の蘭丸が好きだよ。信長様のお側に控えて、戦場でも常に光秀と二人であの方の背後を固めていて。信長様の後ろを守っている時の蘭丸が、信長様の為に剣を振るっている時の蘭丸が、私は一番好き。その時の蘭丸は誰よりも、この織田軍の誰よりも、一番格好良く見える。それに…この世で一番強く見えるよ』
『……!』
『信長様も、蘭丸の事が本当に大好きだもんね?』

にこやかに、名無しが私に向かって笑いかける。

眩しい程の笑みで正面から見つめられ、私は気恥ずかしさから妙に口ごもってしまう。

『だと…いいのですが……』

ほんのりと頬を上気させて答える私の姿を目の当たりにして、名無しが目を丸くする。


この女性は、きっと私の気持ちを分かって下さる。私という存在を、丸ごと受け止めて下さる。


そう思った矢先、私は変に彼女の事を意識してしまい、それ以上の言葉がピタリと止まってしまう。

これが普段の私なら、女性相手でも、いくらでも何とでも軽口や冗談を交えて話が出来るはずなのに。

相手の事を少しでも意識し始めてしまった途端、どうしてこんなにも上手く言葉が話せなくなってしまうのか。


『本当に…蘭丸は信長様の事が大好きなんだね。信長様の事が大好きだから、一番大切に思っているから、どれだけ苦しい鍛錬でも我慢出来たんでしょう?どれだけ辛い事を言われても、ずっと我慢してこられたんでしょう?』

優しい声で呟いて、名無しが私の頬に手を伸ばす。

そっと、壊れ物でも扱うかのように両側から彼女の掌を押し当てられ、私は自分の身に何が起こったのか瞬時に分からずに硬直した。


『誰かの為にそこまで出来るなんて、本当に凄いと思うよ。貴方がどれだけ辛い思いをしてきたのかは貴方本人にしか分からない事だし、私は何も言える立場じゃないけれど。それでも蘭丸が大切な誰かの為に、守りたいと思える何かの為に。ここまで強くなる事が出来たなら、その≪想い≫はとっても素晴らしい事だと思う』
『……名無し』


あの夜名無しが最後に見せてくれた、溶けそうな位に優しい笑顔。

その時の情景を、私は今でもまるで昨日の事のように色鮮やかに思い出すことが出来る。



『それって…きっと物凄く素敵な事だよ。貴方の大切なものは、貴方にとっての一番は、とっても素敵なものなんだね。蘭丸』



─────堕ちたんだ。



一瞬で恋に。



私の全てを包む込むような、暖かい言動。穏やかな微笑み。身分や出身に関係なく私の事を好きだと言ってくれる、彼女のどこまでも甘く優しい囁き。

自分の立場をわきまえろとか、今はそんな事をしている場合じゃないだとか、彼女とはまだ初めて会話を交わしただけの関係なのだ、とか。

そんなしがらみや世間体めいた言い訳を全て吹き飛ばして、私は名無しに恋をした。


[TOP]
×