異次元 | ナノ


異次元 
【魂喰い】
 




「名無しって、やっぱちまちましてて可愛いよなぁ…」

司馬昭はそんな名無しを見てしっとりした声で呟くと、馴れ馴れしく彼女の頭に手を乗せてグリグリと撫で回す。

「ええー!何言ってるの!?それは子上が大きいからだよ。子上に比べれば大抵の女の人は小さいと思うよ」

手加減無しの力で繰り出される司馬昭のスキンシップにグラグラと頭を揺らしつつも、こんな扱いに慣れているのか名無しは苦笑混じりに言い返す。

あと10pで2メートルに届くというくらい背の高い司馬昭。

そんな彼と直立の姿勢で並んだとすれば、自分でなくてもほとんどの女性は小さく感じるのではないかと思う。

髪がくしゃくしゃになる!やめてー!と言いながらも本気で怒った様子はなく、あくまでも優しく男の行為を窘める名無しの態度に司馬昭の口元が軽く緩む。

「あー、確かに。言われてみりゃそっか。俺、名無しのそういう間髪入れずに返してくれる所が好き。見てると飽きないし、楽しいぜ」
「えっ。そ、そう?なんかそんな風に真面目に言われると照れちゃうな〜。私も子上のそんな風にストレートな所が好きだよ」

てらいのない司馬昭の言葉に恥じらいを感じているのか、名無しがはにかむ。

名無しは曹操と曹丕の下で魏の武将達をとりまとめる役目も担っているという立場から、普段からもよく人の長所や美点を探し、口に出して相手を褒め称える事も多かった。

『あなたのそういう所が凄く素敵だと思います』という名無しの言葉は他人の心を暖かくするが、司馬一族の男子にしては独占欲が強めの司馬昭にとってはそんな名無しの態度は微妙に面白くない。

「嬉しいんだけど…名無し。そういうの、他の奴にも簡単に言ってんの?」
「……?どうしたの?子上。急に……」
「あのさあ。男って単純だから、褒められると『この女、俺の事好きなんじゃね?』『イケるんじゃね?』って勘違いする馬鹿が多いんだよ」
「そ、そうなの?」
「俺も人の事言えねーけど。ムカつくから褒めるのは俺だけにしとけって。な?」
「ちょっ…、子上!痛いっ。痛い痛い〜!!」

お仕置き二回目とばかりにまたしても回した腕に力を込められ、名無しの口から悲鳴が漏れる。


「────がっつくのはまだ早いぞ、昭」


ブンブンと首を左右に振って必死に『やめて』の意思表示をし続けていると、部屋の奥から新たな音が聞こえてきた。

「まだ時間はたっぷりある。そう焦るな」

名無しの部屋の中で、明瞭に響く声。

司馬昭とは別の存在がまだ中にいる事に気付き、ハッとして室内を見る名無しの視線の先にいたのは眉目秀麗な司馬昭の兄・司馬師だった。

「ははっ。すみません。やっと名無しが来たかと思うとついがっついちゃって」

司馬昭はそう言って快活に笑うと名無しの体の向きをクルリと反転させ、室内にいる司馬師と名無しが正面から向き合える形に修正した。

そして長い腕を回し、今度は後ろから抱き締める形で名無しを抱き直す。

司馬昭だけでなく司馬師までも部屋にいて、二人揃って自分の帰りを待っていたなんて。

予想しなかった出来事に、名無しの思考は一瞬『えっ…?』と混乱した。

だが当の司馬師と司馬昭はそんな名無しの動揺など全くお構いなしといった感じで、不法侵入の事実にも特に悪びれる様子もなく平然とそこにいる。


「昭。扉を閉めろ。夜風が中に入って寒い」
「はいはい。風邪ひきますもんね」
「ついでに鍵もかけておけ。用心の為だ。今夜は風が強いから、その勢いで開くかもしれないだろう?」
「はいはい。そうですよねえ。勝手に開いたら困りますもんね。こんな夜は、きっちり用心しとかないとだめですよね?」


クスクス。


楽しげな色を滲ませ、美しい若者二人が笑う。

なんということはない内容。なんということはない行動。

ごく普通の会話を交わしているだけのように思えるのに、それを聞いている名無しの背中が妙にゾクリとしたのは何故だろう。

急な話の展開についていけず呆然とその場で立ち尽くす名無しをよそに、司馬昭は片手を後ろに回して素早く扉の取っ手を掴む。


バタン。


ガチャッ。


司馬昭が後ろ手で器用に扉を閉めて鍵を固くかけた直後、名無しの体は原因不明の悪寒でブルリと震え、スウッ…と己の体温が下がっていくような感覚を抱いた。

思い起こせば、この時司馬昭の腕を振り解いて扉の向こうに脱出を試みる事が、名無しに残された最後のチャンスだったのかもしれない。

だが、残念な事に名無しは彼らと一緒のこの空間に残ってしまった。

「子元…?あなたまで、どうして……」

ポカンとした顔で、名無しが尋ねる。

社交的な司馬昭が『一緒に飯でも食おうぜ!』と食事の誘いで名無しの部屋を訪ねてきた事は過去にも何度かあったが、司馬師が来たのは初めてだった。

「お前に用事があって来た。もっと散らかっていると思ったが、意外と片付いているのだな。仕事机の上はいつもあんなに書類でグチャグチャなのに」
「あっ。それは先週掃除したばっかりで…って、もうっ。大きなお世話です!ちょっと子元、どうでもいいけど人のベッドの上に勝手に座らないでよ!」

名無しの私室。そして毎日使っているベッドの上という究極のプライベート空間に司馬師が勝手に進入している現場を目撃し、名無しはあたふたしながら司馬師の行為を責める。

しかし司馬師は名無しの指摘をあっさり無視し、それどころか名無しが最近愛用している枕に手を伸ばしてポンポンと叩く。

「どうでもいいなら別にいいだろう。それよりお前、苺柄の枕なんか使っていたのか。激しく似合わんな。ガサツな女だと思っていたが、乙女チックな部分も僅かにあったとは驚きだ」
「そ…その苺枕は私が買ったものじゃありません。夏侯覇が私の誕生日に買ってくれたプレゼントなのっ」
「ほう。……あいつが?」
「私の悪口なら甘んじて受けるけど、人の贈り物にケチを付けるのはやめてちょうだい。いいから子元、ベッドから降りて!」

これ以上勝手に人の物を探られるのは勘弁して欲しいと言わんばかりの形相で、名無しは赤面しながら懸命に司馬師に訴える。


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