異次元 【月下美人】 「なるほどな。素直で真面目ちゃんなのかー」 清正が思った事を率直に告げると、正則は軽く腕組みをしながら彼の『名無し論』に力強くウンウンと頷く。 まどろっこしい説明をするのが苦手な自分だが、どうやら正則にはちゃんと分かって貰えたようだ。 肩の荷が下りたとばかりに清正が酒の残りを飲もうとお猪口に手を伸ばすと、次の瞬間、彼の予想を裏切るような発言が正則の口から放たれる。 「まさに昼間は淑女、夜は娼婦って感じだなー。男の理想がパンパンに詰まった感じじゃん、それってー!」 ………は? (今の俺の説明でなんでいきなりそうなるよ!?) (どこから来たんだ!?娼婦設定) どの話をどう聞いたらそんな結論が導き出されるのか分からず、清正と宗茂は思わず互いに顔を見合わせた。 すると正則は二人が『意味不明』といった目付きで自分を見ている事に気付いてか、何かを強調するようにして二人の前にビシッと人差し指を突き出した。 「あれは実にけしからん尻だぜ。いやマジで」 ………はあ!? 意味不明、二回目。 清正がしていたのは名無しの性格と仕事ぶりについての話だったはずだが、何故ここでいきなり名無しの尻が出てくるのか。 二人の脳裏に浮かぶ『???』の疑問符をよそに、正則は真面目な顔で不真面目としか思えない事を言い出した。 「なんたって左近のダンナのお墨付きだからなー。ありゃあ締まるぜ。間違いない!」 正則曰く、以前左近と酒を飲み交わした時に段々話が仕事からプライベートに関するものに移り、どんなタイプの女が好みか∞付き合うなら誰がいいか≠ニか男子学生の修学旅行の宿泊先トークみたいな軽いノリの世間話になった。 始めはごく普通の当たり障りのない事ばかり話していたが、酒の勢いと深夜という時間帯もあって自然にと言うか当然の流れで次第に話は段々過激な方向へと変わり、シモネタに突入した。 その際、この城の中で、一度抱いてみたい女を挙げるとしたら誰か?≠ニいうテーマになった時、一人、二人、三人、四人…と次々に思い浮かぶ女の名前を挙げていった後、左近が最後に口にしたのが名無しらしい。 『一発抜きてえ女だぜ』 溜息混じりの低い声で述べるかたわら、男らしく節ばった指先で煙草を摘み、ふうっ…と紫煙を吹き出す左近のポーズは羨ましいほど様になっている。 『俺の骨格鑑定によると、腰の張りといい尻から太股にかけてのラインといいあっちの方もなかなかの名器と見たね』 『ま…、マジでっ!?』 『ああ。一度くわえ込んだらなかなか吐き出しそうにない。まさに男を狂わせる魔性の壺ってやつだろうね、あれは』 きっぱりとそう言い切って妖しく笑んだ左近の口元と彼の言葉が、正則の記憶に今でも焼き付いている。 ────男を狂わせる魔性の壺。 それ以来、普段は意識していなくても城内で名無しの姿を見かけると、ふとした拍子にその言葉が蘇り、正則は複雑な気持ちになるのだそうだ。 「……下らなさすぎるだろ、馬鹿」 ほとほと呆れ果てたという顔付きで、清正が吐き捨てる。 「ほーう。見ただけでそんな事まで判断が付くのか。城中を連れて歩き回りたい男だな、左近」 そんな正則の左近話を聞いてバカにする風でもなく、半ば感心したように嘆息する宗茂を見て、清正が鋭利な眼光に苦い色を浮かべた。 「お前まで何言いやがる。名無しはそれを生業としている娼婦じゃない、俺達と同じ豊臣軍に所属して同じ志を抱く大切な職場の同僚だろ?そういう目であいつを見るなって!」 真剣な双眸で覗き込まれ、宗茂は面白くてたまらないといった様子で『ふふっ』と笑う。 「お前こそなんだ、こんな酒のツマミ程度の軽口にそんな風にしてムキになって。何の罪もない他愛ない話だろう。それに立場を変えれば女達だって俺達男の事を好き勝手にああだこうだと論評しているはずだ。そう怒る事でもあるまい?」 「世間の奴らがどうだろうが、俺はとにかく嫌なんだよ。同僚を男の眼で見るなんて俺の信念に反するからな」 「ほう…?」 清正の言葉に、宗茂が意外そうに眉を吊り上げる。 「大体なあ、名無しは今までに何度も戦場で一緒に戦った仲間だろうが。命を懸けた戦いに共に身を投じている以上、あいつは俺にとって正則と同じで家族同然の存在なんだよ。そんな自分の妹や姉、時には母親みたいに感じている大切な相手に、今更性欲なんて抱けるかよって感じだぜ」 苛立ちと苦さ、そして怒りが複雑に入り交じった怒声は、間違いなく男の本心だ。 何事もない普通の間柄、ただそこいにいるだけの男と女という関係なら別にいいが、『家族同然の相手』や『戦友』を性の対象にするのは清正のモラルに著しく反する事だった。 「家族同然、ねえ……」 宗茂は手にしたお猪口を唇に近づけ、やれやれといった素振りで冗談混じりに肩をすくめる。 「コラー!お前ら、何真面目な顔して難しそうな話してんだ!俺なんてもうこんなに酔っぱらってんのによー。さてはまだまだ飲みが足りねえなーっ!?」 楽しい酒盛りの最中、急に清正と宗茂がシラフっぽい会話をし始めた事に不満を感じてか、新しい日本酒の瓶を抱えた正則が二人の間を割るようにして勢い良く滑り込んできた。 「うわっ!ちょっ、やめっ…。ていうか正則、注ぎすぎだろ!見ろ、普通に零れただろーが!!」 「わははは!!飲め飲めー!!」 清正の言葉通り酒が零れて畳に染みこむのも構わず陽気なノリで両者のお猪口に酒を注ぎまくる正則によって場は騒然となり、議論を中断する羽目になった清正と宗茂は仕方ないとばかりに正則から杯を受け取って飲み直す。 その後話題は仕事の事、給料の事、最近思う事、将来の目標など三人の興味の赴くままにどんどん二転三転していき、話が進むと同時に夜も一層更けていった。 (飲み過ぎて気持ち悪い) 件の酒盛り終了後。 月明かりの下、城内の廊下には辛そうな表情を浮かべて右手で腹部を押さえながら自分の部屋へと戻ろうとする清正の姿があった。 [TOP] ×
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