異次元 | ナノ


異次元 
【月下美人】
 




「そもそもお前の言う他人の女≠ニいう言い方も正しくない。それはあくまでも現時点≠ナの概念だしな」

理路整然とした口調で淡々と告げる宗茂を見据え、清正がげんなりと眉をひそめる。

「理屈的には分からん事もないけどな…。道徳とか仁義とか、そういうのはお前の中にないのか?」
「もちろんあるが、俺の場合はそれよりも合理性や現実主義がより勝るというだけだ」

それに、といつもと変わらぬ涼しげな風情を崩さぬまま、宗茂は言葉の端を意味深な笑みで歪めた。

「その時は目の前にいる相手が運命の相手だと思っていても、実はもっと相性のいい相手が他にもいる可能性だってあるだろう。その女も一緒だ。三成が一番合う男かもしれんが、案外俺の方が合うかもしれんだろう?」

眉間に皺を寄せたまま唖然とした顔付きで自分を見る清正を見返す宗茂の態度は、どこまでも飄々としたものである。

これが普通の男の発言であれば、清正とて『ハイハイ』と軽く笑って流して終わる。

だが、問題はこの男が立花宗茂だという点。

宗茂に限っては、冗談なのか本気なのか分からない場合があるのが恐ろしいのだ。

「おいおい、いいのかよー。ミイラ取りがミイラになるってやつになるぞー。もし本気でその女が欲しくなっちまったらオマエ、どうすんだよー」

そんな清正の懸念も知らず、程良く酒が回って良い気分になっているのか、正則は自分の肘で宗茂の腕をつついて楽しそうにこのこの〜≠ニかやっている。

「その時はその時だ。本気で欲しくなったら奪えばいい。女にだってよりイイ男を選ぶ権利がある。その女の前で俺が三成より男として勝っている事を証明すればいいだけの話だろう?簡単な事だ」
「カーッ!なんだその強気な態度!?前から思ってたけど、お前さ、絶対自分の事世界一イイ男だとでも思ってんだろ!」
「自分から進んで言うつもりもないが、まあ、会う女は皆そういうから現実かなりのイイ男なんだろうな」
「ぐおおお…!!やっぱりコイツ、ム・カ・ツ・クーッ!!」

わざわざ自認してくれなくても、普段の言動からしても相当自信に満ちた男だというのは想定の範囲内だったが。

誰と戦う事になろうが決して負ける気がしない、と言わんばかりの宗茂の態度に正則は畳の上でもんどり打って何やら一人で悶えている。

(こいつ、三成とはまた違った方面で敵を作りそうなタイプだぜ)

どちらもプライドが高い自信家という点で三成と宗茂の共通点を見出した清正は、試しに三成と宗茂のバトルシーンを想像してみた。

しかし、考えるだけで頭が痛い事になりそうなので、あえて余分な仮説は立てないことにする。

ただでさえ自分と正則、三成の間で微妙な亀裂が入っているのに、その上宗茂まで巻き込んでこの城内で新たな確執が生まれるのはまっぴらゴメンだ。

「あ、そうだ。三成で思い出したけどよ、三成といつも一緒に仕事している…えーと…なんだっけ。そうそう、名無しって名前の女。あのねーちゃん、どんな感じ?」

不意にまた何かを思い出したような口ぶりで、正則が顔を上げて清正を見た。

正則の視線からその質問が自分に向けられたものだと気付き、清正が怪訝な顔をする。

「どんな感じって…仕事ぶりがどうのとかか?」
「まあ仕事っつーか、人としてもっつーか、女としてもっつーか」
「何でいきなりそんな事を聞くんだ。というより、そんな事俺に聞いてどうすんだよ」

まじまじと正則を見やり、清正は演技ではなく本気で分からないといった口ぶりで聞き返す。

「いや、だって清正って名無しと結構仲いいらしいじゃん?だから色々知ってるかなーって。俺、軽く挨拶したり一緒に戦ったりしたことはあるけど直接組んで仕事した訳じゃねえからあんまりよく知らねーんだよな、あの人」

必要とあれば一緒に戦場にも出るし彼女と同じ軍法会議に出席する事もあるが、個人的な付き合いをする程の関係性ではなかった正則にとって、名無しは『顔と名前くらいは知っているがどういう人間なのかはまだ知らない』という存在だった。

それに比べ、清正は度々名無しと組んで仕事をする機会があったせいか、この数ヶ月で大分彼女と親しくなっていた。

最初は仕事の打ち合わせも兼ねて時間短縮のために一緒に昼食を取りながら作戦を練っていた事もあったのだが、そのうち特に用事がなくてもどちらからともなく食事に誘い合うようになった。

ついこの間は城下町に新しく出来た武器屋に行ってみたいと言う名無しの話を聞き、自分も興味を惹かれた清正は彼女と二人で昼休憩の時間に出かけた事もあった。

清正と名無しは別に恋愛関係という訳ではなかったが、それでも単なる職場の同僚というだけの関係と言うよりは普通に男友達、女友達といったもう少し上の関係性にはなっているのではないかと清正は思う。

正則の言った名無しと結構仲いいらしいじゃん?≠ニいうのはそういう意味の事かと思い、清正はああそうか≠ニ一人で納得した。

「一言で言うと性根が優しい女だ。老若男女、女官や兵士、子供達にも分け隔て無く接するし、生まれや育ちで他人を差別しない。秀吉様の補佐という武将達のとりまとめ役に就いていても変に驕った所もないしな。人懐っこくてとっつきやすい性格の上、仕事ぶりも真面目で働き者の部類に入るだろうよ」

名無しと聞いて清正の脳裏に真っ先に浮かぶのは、いつ誰と会ってもにこやかに微笑みながら挨拶を交わしている光景と、重たそうな書類を抱えて急ぎ足で廊下をパタパタと歩いている姿だ。

男も女もある程度の高い地位に就くと妙に気位が高くなったり、他人に対して上から目線で口を利くようになったりと変化を見せる人間も多いが、名無しに関してはそういった事は一切なく、むしろこうして気軽に名前で呼び捨てにしたくなるくらい気安くて身近な存在だった。

それが彼女のような立場の人間にとって果たして本当にいい事なのかどうなのかは分からないが、少なくとも清正はそんな彼女の人間性に対して好感を抱いている。

自分よりよっぽどガタイも良くて屈強な男の武将達を相手に秀吉との間で様々な調整役をこなすのは骨が折れる執務だと思うが、人前で弱音も愚痴も吐かずよくやってくれている方ではないだろうか。


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