異次元 | ナノ


異次元 
【堂々巡り】
 




(俺って、こいつにとってどういう存在なんだろうな)

司馬昭は名無しと出会ってからの出来事を思い返す。彼女との関係は、正直言ってよく分からない。今までは、単に同じ職場の同僚というだけだった。

それが自分から動いたことで一歩どころか二歩も三歩もグッと進んだ関係に発展したと思った矢先、今度は名無しに他の男の影を感じて嫉妬して。

俺はお前のことが好きだ。俺の女になってくれってこっちは真剣に口説いてんのに、名無しは全然本気にしてくれない。俺のことが、分かってない。

そりゃ、俺はチャラくて軽く見えるし真実味のある愛情表現≠ネんて到底できないけどさ。

でも、お前が他の男と仲良くしてるとムカつくし、不安になるんだよ。お前は俺のことをどう思ってんのかなとか、他に好きな男がいるんじゃないかなとか、あれこれ考えて、悶々として。

その結果、色々と拗らせちまってついにあんな夢まで見てしまって、夢だったという事実に心底ガッカリしたり、また名無しに対する自分の感情について考え直して……。

(俺が好きだって言ってんのに、俺の気持ちに応えてくれないのはなんでなんだよ?)

何だかもう支離滅裂だ。思考も感情もまとまらないし、ずっと頭の中がぐるぐる回っている感じがする。

司馬昭は溜め息をついて思い悩む。

どれだけ考えてみても一向に答えが出ない。進まない。

───こういうのが、堂々巡りって言うんだろうな。

「子上……、どうしたの?何か心配事でもあるの?」
「別に何も」
「そう……。もし何か悩み事があるなら、私でよければいつでも話を聞くからね」

やっぱりこいつはいい奴なんだよな。そういうところが好きだけど、でも、今はその思いやりに満ちた視線と気遣いが辛い。

自分だけではなく、誰にでも等しく向けられる、その優しさが辛い。

「ああ、ありがと」

男は形ばかりの謝意を述べて、ぎゅっと名無しの手を握る。

(散々俺の心を弄んでくれたんだから、これくらいのことは別にしてもいいよな?)

少しくらいならいいだろ。どうせお前、すぐに嫌がって手を離すんだろうし。

そう思い、顔には出さずに不貞腐れる司馬昭の予想を裏切り、何故かこの時の名無しは普段と違って男の手を振り払わなかった。

名無しは男が休んだ理由を体調不良だと信じている。だからこそ、こんな彼の行動も、病からくる人恋しさと心細さの表れだとでも認識しているのだろうか。

それならばと、司馬昭はさらに大胆な行動に出た。名無しの顔色を注意深く観察しつつ、互いの指を絡めて恋人繋ぎにしてしまう。

意外なことに、それでも彼女は怒らない。男の手を、嫌がらない。

(ああ、やべえ……)

名無しの柔らかい手の感触に、司馬昭はゾクゾクとした快感を覚えた。これは現実なのか?それとも夢の続きを見ているだけなのか?

これまずいやつだ。本気で。

こいつの手、マジで気持ちいいわ……。もっと触っていたい。もっともっと味わいたい。

司馬昭の思考は止まらない。欲望に駆られ、空いている方の手を使って名無しの手の甲をすり、と撫ぜた。

それでも名無しは何も言わず、大人しくされるがままになっている。

確かに名無しは病人にはとても甘い。それは事実だ。だけど、こんな時にこんな風にして容易く身を委ねられると、都合のいい勘違いをしてしまいそうだ。

まるで、自分が彼女にとって特別な存在であるかのような錯覚を抱いて。

「……子上」

急に名前を告げられ、司馬昭はドキリとする。女の瞳は微量の熱を孕み、どこか切なげに潤んでいた。

手を離せと言われるのかと身構えた直後、名無しの赤い唇がゆっくりと上下に開かれ、普段よりも静かな声音で言葉を紡ぐ。

「私、子上のことが大好きだよ」
「!!」
「だから、早く元気になってね。待ってるから」
「……っ」
「子上と一緒にメイド喫茶に行けるなんて本当に嬉しい。……楽しみにしているからね」

意味深な台詞とともに、名無しは穏和に微笑む。その光景を見た瞬間、司馬昭の理性がガラガラと音を立てて崩れ落ちる。

(あ……、駄目だこれ)

やっぱり俺、名無しが好きだ。こいつのこと、どうしようもなく好きだ。

こんな不意打ち、卑怯すぎるだろ?俺ばっかりドキドキさせられて。男として情けねえよな……。

「名無し」

司馬昭は熱っぽい声で女の名を呼び、繋いだ手に再度力を込めた。

「子上……?」

司馬昭の行動に、名無しは数回瞬きを繰り返した。彼女の眼差しを真正面から受け止めて、司馬昭は無意識に喉を鳴らす。

「しばらくこのままでいてもいいか?」

ここまで言ったら、今度こそ拒否されるかもしれない。

男の渾身の問いかけに対する名無しの答えは、またしても司馬昭の予想外のものであった。

否、ある意味では予想通り≠ニ言うべきか。

「───はい。子上が望むなら」

名無しは即座に頷き、司馬昭の手を同じだけの力で握り返す。その返事に、態度に、心臓を撃ち抜かれたような衝撃を覚える。

もう駄目だ。

名無しの事がどんどん好きになる。どうしよう。ずっと前から好きだったけど、今が一番好きだ。

司馬昭は感動のあまり鳥肌が立ったが、それを名無しに気付かれるわけにはいかないと思った。溢れる想いをぐっと堪えて、あえてなんでもない調子で言い放つ。

「そっか。ありがとな」

───卑怯だろ。そんなの。

全部俺が望むから、なのかよ。お前の望みはどうなんだよ。お前の気持ちはどこにあるんだよ。

今、お前が俺を受け入れてくれるのはどうしてなんだ? 好きってどういう意味なんだよ。お前、本当に俺のことが好きなのかよ?

聞きたいことは、腐るほどある。聞こうと思えば、聞けると思う。

だけど、どうせ何を聞いたところで名無しから返ってくる回答なんて同じものだ。悩んだところで二人の関係には答えが出ず、俺の思考はやっぱり堂々巡り。

「ふふっ。どういたしまして」

なのに、お前はそうやっていつも通りに笑うんだよな。反則だろ、そんなの。

自分はこんなにも悩んでいるというのに、名無しはいつだって普段と変わらない態度に見えるのが面白くなくて、少々意地悪な感情が生まれてくる。

「じゃあお言葉に甘えて、ずーっとこのままでいさせてもらおっかなー」
「ずーっと?」
「そう。いつになるかは不明だけど、誰かが俺の部屋に来るまで。誰かの邪魔が入るまで」
「……。」
「下手したら数時間来ないかもしれないし、丸一日誰も来なかったりしてな。それでも名無しはここに居ろ、俺の傍から離れるなって言ったらどうする?」

今日も俺は、冗談めいた口調で名無しに新しい嘘を吐く。

邪魔が入ったとしても、悪いけど、もうお前のことを解放してやらない。

誰に見られても構わない。女たらしだの、チャラい男だの、必要以上にくっつき過ぎだのと咎められても構わない。

……繋いだこの手を、離さない。

お前が嫌だって言っても離してやらない。ずっと。

もし本気でそう告げたら、この女はどんな反応を見せるのだろうか。

名無しの手をより一層強く握ってみれば、名無しはさすがにびっくりしたのか、一瞬ピクリと指が動く。

だが次の瞬間にはまるで何事もなかったかのように頬を綻ばせ、繋がれた手を振り払うどころか、自らその指先を絡めてきた。

そして、いつも通りの柔和な声で。

秘めた思いを宿すような、ほのかに濡れた瞳で男を見返す。


「もちろん。それを子上が望むなら」


またこれだ。本当に、ずるい女だと思う。俺の気持ちも知らないで。


名無しの馬鹿。意地悪。鈍感女。Mのフリした隠れドS。


お前のせいで、俺はどんどんおかしくなる。俺の心はもうぐちゃぐちゃだ。


───ああもう。この小悪魔め……!




─END─
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