異次元 | ナノ


異次元 
【堂々巡り】
 




「じゃあ、ちょっとお茶を淹れてくるね。子上は座っていて」

そう言って、名無しは椅子から立ち上がると、パタパタと軽い足音を響かせて別室に向かう。

司馬昭は一人寝室に残された。自分のためにお茶を淹れてくれるという名無しの優しさが彼の心をじんわりと溶かす。

しばらくするとら手に湯飲みの載った盆を持って名無しが戻ってきた。

「お待たせ、子上」

中身を零さないよう、名無しは慎重な手付きで司馬昭に湯呑みを渡す。受け取る時に指先が触れて、またしても心臓の鼓動が早くなる。

やばいな、俺。夢のせいだか何だか知らないが、もしかして相当拗らせていないか……?

司馬昭はポーカーフェイスを保ちつつも、胸中に渦巻く感情を持て余す。

というか、何で今日に限ってこんなに名無しと触れ合ってんの?いつもは全然そんな機会すらないのに。神様って奴は本当に性格が悪いよな。新手の嫌がらせ?

「まだ熱いから気を付けてね」
「ああ」

淹れてくれたお茶は温かく、ほんのりと甘くて、とても美味しかった。

一つ一つは小さな喜びであっても、それがいくつも積み上げられていく毎に幸福度が緩やかに上昇し、男の中で名無しに対する想いがますます募っていく。

「……あ。そういえば子上。メイド喫茶って、知ってる?」

はい──────!!??

唐突に投げられた名無しの質問に、司馬昭は即座にお茶を噴き出した。まるでコントのように、それはもう盛大に。

(ちょっ、おまっ……何でそれを!?しかもよりによって茶を飲んでるこの流れで言うか普通ー!?)

知っているも何も、つい数時間前にその手の夢を見たばかりではないか。それも、まさしくこの名無しがエロ可愛いメイド服を着た格好で、あんなことやこんなことを自分にされて可愛く喘いでいる夢を。

「ちょ、ちょっと子上!?大丈夫!?」

慌てる名無しに、司馬昭は咳き込みながらも何とか答える。

「げほっ、げほっ……熱っちい!やっべ、思いっきり噴いちまった……。いや、でも大丈夫」

口に含んだ茶の量が少なめだったので、そこまで被害が大きくならずに済んだのが不幸中の幸いか。

あらぬ妄想をしていた気まずさから、司馬昭は視線を逸らした。

そんな夢を見てしまったせいで動揺してお茶を噴きましたなんて言えるはずもなく、名無しが心配すればするほど、司馬昭は一層自責の念に駆られる。

「本当に?火傷してない?」

名無しが首を傾げた拍子にふわりと香ったそれは、夢の中で嗅いだものと同じ香りで。

何というか、もう……色々と駄目な気がした。

「ああ、平気だって。それよりえーと、何だって?」

司馬昭は軽く手を挙げて名無しを制止すると、改めて聞き返す。

名無しはお茶と一緒に用意していた布巾でポンポンと叩くようにして司馬昭の衣服の濡れた部分を手際良く拭き取りながら、心配そうに眉を寄せて話を続けた。

「さっきたまたま城に来た商人さん達から聞いたんだけど、先月城下町に新しくメイド喫茶が出来たんだって。今すごく流行っているみたい」
「……へ、へえ。そうなんだ」
「それでね、メイドさん達が皆すっごく可愛いって評判らしいの。そんなお店が先月から開店していたなんて、私全然知らなかった」
「ふーん。そうなんだ……」
「ねえ、子上も興味ある?」
「……うん、まあ。多少は」

嘘です。多少は、どころか大アリです。むしろ俺はメイド喫茶の常連です。開店してからもう何度も通っています。

っていうか、会員証も持っています。しかも会員No.は一桁です。完全なるお得意様なので、俺が行くとメイドさん達もめっちゃサービスしてくれます。

ああでも、サービスっつったって別に性的なサービスとかじゃないからな?

そりゃ地下の店とか、金持ち相手の裏の店とか、メイド服を着た風俗嬢が待機しているその手の店も探せば無いことはないけど、俺の場合は普通の喫茶店と変わんないから。うん。あくまでも接客の一環だから。勘違いすんなよ?

「……で、そのメイド喫茶がどうかしたのか」
「あ、うん。なんかね、可愛いメイドさん達が沢山いるお店っていうと一見男の人向けなのかな?って思うけど、それが女の人も入って大丈夫なんだって……!女性客だけで行っても、普通に接客して貰えるみたい」
「へ、へえー。なるほどね?」
「男性客にはメイドさん達が『お帰りなさいませ、ご主人様』って言ってくれて、女性客には『お帰りなさいませ、お嬢様』って言ってくれるんだって。ふふっ、嬉しいけどちょっと照れちゃうね。しかも、お帰りなさいませのほっぺにキスとか、他にも色々してくれるらしいよ」
「そうなんだ……。っていうか、何でそんなことまで知ってんの?」
「さっき話した商人さんの一人がそのお店の常連さんみたいで、質問したら色々と詳しく教えてくれたの。しかもその人、凄いんだよ。お得意さんの証の会員証まで持っているんだって!確か100番台前半だって言っていたかな。会員さんが全部で何人いるのかよく知らないけど、きっと凄いことなんだよね?」
「お、おう……。そうかもな……」

はい、雑魚。一桁No.持ちの俺からすれば雑魚中の雑魚です。

元々負けず嫌いの性格なのに、こんな言い方を名無しにされちまったら『俺の方がもっと凄いんだからな!ばーか!』って自慢したい気持ちを止められない。すげえ言いたい。

でもそんな発言したら馬鹿野郎は俺だろ。あーもう、死にたい……。

司馬昭は心の中で、名無しにくだらないことを広めた商人に対して毒づくが、すぐに虚しくなってやめた。

本当にもうっ!!俺の馬鹿っ!!

「それでね、他の人にも聞いてみたら、城の女性も結構行ってみたことがあったり、推しのメイドさんが出来て通っている人も多いんだとか。商人さんからお聞きしたお話の内容だけでも凄く楽しそうだし、お店の雰囲気を教えてくれる人たちの顔も本当に嬉しそうで、なんだか羨ましいなあって思ったの」
「ふーん」
「でも、子上はそういうの興味ないのかな?」
「え?ああ、えーっと、まあな……?」

考えろ俺。この状況でどう答えれば正解なんだ。いっそ興味あるって言っちまうか?

名無しの口ぶりから推察するに、俺が思っていた反応とは随分違う。名無しはそういうのにてんで興味が無いと思っていたが、蓋を開けてみれば案外好感触だ。

どうする。通っている事を正直に打ち明けるか?いやでも名無しに引かれたら嫌だし……。あーもう、わっかんねえ!

「子上?」
「ん、ちょっと考え事してた」

司馬昭は咄嗟に誤魔化した。嘘をつくのは心苦しいが、ここは正直に話すわけにはいかない。

落ち着け。まだ慌てるような時間じゃない。ここはもうちょい慎重に、俺の方から名無しに探りを入れてだな……。

「そういうお前はどうなんだよ」
「え…」
「今までの話の流れからすると何だか興味ありそうに聞こえたんだけど。お前、そういうの好きなの?」

司馬昭はあえてサラッとした軽い口調で名無しに尋ねる。すると、彼女は少しだけ困ったような表情になった。

「えっと……、確かに興味はあるんだけど、噂に聞くだけでまだ行ってみた事は一度もなくて……」
「……興味あるのか?」
「もちろん。だって、可愛いメイドさん達が沢山いるんでしょ?出来れば実際に行ってみて、お会いしてみたいなあって思うし」
「うん、まあ……、そうだな。でもさあ、名無しは女だろう」
「……?それがどうかしたの?」
「『私もメイドさんにお嬢様≠チて呼ばれたい!』って理由ならまだ分かるけど、そうじゃなくて『可愛いメイドさんに会いたい』のかよ。男ならいざ知らず、同じ女が可愛い女とか美女とかに興味あるもんなの?」
「うん、あるよ。私、可愛い女の子とか綺麗なお姉さんとか大好きだもの」
「……マジで?」

司馬昭は思わず聞き返す。性別を逆にして考えてみれば、司馬昭にそのような感情は全くない。

美男子や美少年が勢揃いの執事喫茶だの、美形と評判の男性バーテンダーがいるバーだの、イケメンが多数所属しているホストクラブだのと聞いても、行きたいなんて全然思わないし、これっぽっちも興味が湧かない。


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