異次元 | ナノ


異次元 
【堂々巡り】
 




顔見知りの人間とめちゃくちゃ濃厚なセックスをした夢を見る。

いや、正確には本番一歩手前という一番盛り上がる場面で身内に妨害されて目が覚めたので、俺の楽しみやら何やらは文字通り夢破れる¥態で終わったわけですが。

そんなものを見てしまった後は、なるべく本人には会いたくないと思うじゃん。どんな顔をして接すればいいんだよとか、どんな話をすればいいんだよとか。色々と面倒くせ、とか思ってしまうわけで。

通常なら相手を避ける。普通はな。自分の気持ちが落ち着くまで、そして相手の顔が平気で見られるようになるまで、顔を合わせないのが正解。

でも今回はそれが出来なかった。こういう時に限って、何故か狙いすましたように招かれざる客って奴はやってくるものだ。丁度いいところで邪魔をしてきた兄上もそう。世の中って奴は、本っ当に上手く出来ている。

それだけでもウンザリすることなのに、夢の原因までノコノコとやって来た。俺ってどんだけツイてねぇの? 俺、前世で何か悪いことでもしたっけ? いや、まあ……してたから今こんなことになってんのか。

ああ、もう! 誰のせいで俺がこんなに悩んだり頭を抱えたりしなきゃなんねーんだよ! 全部あいつのせいだ!



「子上、今日の会議の資料はここに置いておくからね。何か他に必要な物があったら教えてちょうだい」

夢の原因となった女が、あろうことか今、司馬昭の部屋にいた。当然のことではあるが、本人は男の葛藤なんて露知らず。何食わぬ顔で寝台のすぐ傍にある椅子に腰かけ、机の上に数種類の資料を並べている。

何故そんな状況になっているのかというと、それは彼自身の行動にある。

あれから司馬昭は考えた末に有給申請を提出し、結局丸一日休みを取ることにした。

こんな状態ではまるで仕事にならないと思ったし、全然やる気も出なかったからだ。そういうわけで、今は自室の寝台で横になっている。

別に理由まで告げる必要はなかったが、当日急に決めたことなので一応対外的には『体調不良』ということにしておいた。とりあえずそう伝えておいてやる、と言って部屋を出て行った兄の司馬師も承知の話だ。

確か会議の予定があったはず、という点は若干気になった。さりとて、今回の議題に関してはどうしても自分が出なければならないというような内容ではない。いなくても何ら問題はないだろう。

つまり男には、今日だけは何が何でもこの部屋を出て行かぬぞという固い決意があった。誰が何と言おうともこの部屋から一歩たりとも出て行かないし、誰にも会わない。この決意を覆すことは、絶対にない。

そのはずだったのに、だ。

コンコンと扉を叩く音がしたと思ったら、名無しが中に入って来たのだ。意味が分からない。

驚きのあまり硬直した司馬昭の反応に全く気付いていないのか、名無しは『具合はどう?』と言いつつ男の近くに寄ってくるので、全く予想もしていなかった展開に司馬昭は余計に混乱した。

そして、現在に至る。

「……ありがと」

資料に関する一通りの説明を終えた名無しに、礼儀として司馬昭はそれだけを返す。こういう時、どんな顔をして何を言えばいいのかなんてわからない。それ以前に、何を言うべきなのかもわからない。

普段はチャラい、軽い、適当すぎる、と評判の司馬昭も、今回ばかりはさすがに普段通りの軽いノリを発揮できずにいた。何せ、夢の中で散々お世話になった女≠ェ目の前にいるのだ。意識するなという方が無理な話。

「っていうか、なんでお前?他の奴らは?」

素朴な疑問が、つい男の口から零れる。

確かに会議で使用した資料くらいは手元に欲しいと思っていたのでありがたい。しかし、それはあくまで他の誰かが≠ニいう話であって、よりにもよって名無しが来るとは。

そう思って尋ねる司馬昭に、名無しは普段と同じ穏やかな声音で答える。

「なんでって…、子元に頼まれたからだよ?昭は今日体調が優れなくて休んでいるから、会議の資料を届けてやってくれって。それで私が引き受けました」

何余計なことしてくれてんだよあのクソ兄貴がッッッ!!!

俺が今、どんな状況なのか知ってんだろ!? てめえ絶対に面白がってんな!?ああそうだ、絶対そう。そうに違いない。俺はあの男の腹の底までお見通しなんだよ!!

喉元まで出かかった叫び声を必死に抑え込み、司馬昭は心の中で兄を思い切り罵倒した。

無理やり白状させたことにより、己の弟がどんな夢を見ていたのか全て知っているはずなのに、わざわざ当の名無しを指名して部屋に寄こすなど正気の沙汰とは思えない。どう考えても悪意を感じる。

しかし、同時にそんな真似をするのがいかにも我が兄上様っぽいとしみじみ実感する。さすがはドSの極み。人の嫌がることをさせたら右に出る者はいない。

賈充が今ここにいたら、間違いなく自分の代わりにあのいけ好かない兄を斬ってくれと頼むだろう。まあ多分無理だろうが。

夢の内容といい、今ここに派遣されてきたことといい、名無し本人には何の罪もない。腹の中で膨れ上がるイライラやモヤモヤやムラムラは膨大だが、名無しに文句を言うわけにはいかない。平常心、平常心。俺はできる子。

そう自らに言い聞かせ、何とか冷静さを取り戻そうとする司馬昭の心情を知ってか知らずか、名無しは心配そうな顔で男に問う。

「子上、体調不良なんだってね。子元も凄く心配していたよ。大丈夫?」

名無しの口からさらに司馬師の話題が出たことで、司馬昭の額にピキッと青筋が浮かぶ。

あの鬼兄貴、何が『子元も凄く心配』だ。わざとらしいにも程がある。

どうせニヤニヤしながら、面白おかしく様々な想像を巡らせているのだろう。そんでもって名無しが戻った後で『で、どうだった。昭の様子は。少しは回復していたか?』とか、あのドヤ顔で名無しに尋ねるに違いない。想像するだけでイラっとする。

血を分けた兄ながら、本当にどこまでも極悪非道な野郎だぜ……と司馬昭は思った。司馬一族の血を引いている以上、自分も根っこではその兄に似ているという事実は、この際考えないことにする。

とにかく、今は目の前の女をどうにかする方が先決だ。

「いや、別に。ちょっと朝から気分が悪かっただけだって。寝れば治るからさ。ありがとさん」

これが普段なら、わざわざ名無しの方から自分を訪ねてきてくれれば喜ぶし、二人きりの時間を過ごせるなんてと内心感激するが、今日は状況が異なる。

これ以上一緒にいると、自分が何を言い出すかわからない。

いや、ナニとは言わないが、何かとんでもないことを口走ってしまうかもしれない。むしろ思い詰めてヤっちまうかもしれない。それだけは何としても避けねば。

この年になって盛りのついた童貞みたいな真似はできないし、名無しに軽蔑されたくもない。これ以上嫌われたら、俺はマジで立ち直れない。

「……本当に?」

なのに名無しはなおも食い下がってきた。気遣い自体は嬉しいが、今は困る。本当に困る。色々と限界だ。

「私、子上のことが心配なの。子上がそんな風になるなんて滅多にないことだから。熱はない?」

額に伸ばされた名無しの指先が肌に微かに触れた瞬間、司馬昭は思わずビクリと肩を揺らす。

「……っ」

しまった、と思った時にはもう遅い。手を引っ込めた名無しと目が合ってしまい、一気に気まずくなる。


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