異次元 | ナノ


異次元 
【すんどめ:VS司馬昭】
 




「名無し」

司馬昭は咄嗟に彼女の手を掴んだ。消えてしまいそうな幻影を、手元に引き留めるために。

せめて夢の中だけでも、彼女を繋ぎ止めておきたかった。

目が覚めたらいつも名無しは隣にいない。現実では会おうと思えば会える関係で、同じ城の中にいる存在なのに、気軽に手も握らせてもらえないのだから。

「どこにも行くな」
「子上……?」
「頼むよ。せめて今だけでもいいから、俺の傍にいてくれ」

男の懇願に名無しは言葉を詰まらせる。やがて長い吐息を漏らすと、穏やかに微笑んで彼の手を握り返す。

「私はどこにも行かないよ。ずっと子上の傍にいます。安心して」
「名無し……」
「それに…そんなことを言わなくても、私はもうとっくに子上の物でしょう」
「!」
「そんなに悲しそうな顔をしなくても、怒らなくても、私は子上だけしか見ていないのに。あなたと付き合うようになってから、ずっと」

名無しは司馬昭の身体に腕を回してぎゅっと強く抱き締めた。彼女の髪から微かに漂う石鹸の香りが、男の鼻腔を甘くくすぐる。

これはまずい。正直、かなりグッと来た。

夢の中だと分かっていても、名無しが自分から俺に抱きついてきた。しかも、何気にとんでもない台詞付きで。

これ、現実だったら本気でヤバイ。興奮どころの話じゃねえわ。嬉しすぎて鼻血が出まくる。出血多量で死ぬかもしれん。

そんな男の動揺と狼狽えっぷりを知ってか知らずか、名無しの攻勢はさらに続く。

「好き。子上、大好き」

名無しは艶めいた眼差しで司馬昭を見上げ、彼の頬に軽く口付ける。それは夢の中とは思えないくらい生≠フ感触で、司馬昭は頭がくらくらした。

「……っ。名無し、お前」

何だよこれ。本当に現実でこんなことされたら、俺死ぬんじゃねえ?死因は名無しからのほっぺにチューとか……最高じゃねえか!!

これもひとえに自分と名無しが付き合っている≠ニいう設定だからこそだろう。はい、優勝。もはや自分が優勝。彼氏って素晴らしい。

これ、俺以外の男だったら絶対勃ってるわ。いやまあ俺もすでに勃起してるけど。むしろ名無しが他の男にこんなことをしようものなら、その場でそいつを絞め殺す自信があるね。

「だから……、子上。お願いがあるの……」
「な、何だよ」

呼気が触れ合うほどの至近距離で返答する男の声は普段よりもずっと低く、熱っぽく、掠れている。

「子上がモテモテなのは分かっているけど…だけど…」
「……だけど?」
「…私には子上だけだから。私のことだけを見て欲しいの…。子上、お願い。他の女の人に目移りしないで…」

瞳だけではなく声まで震わせて、名無しは司馬昭に懇願する。続けて彼女は男の首に腕を回し、ちゅっ、と再び彼の頬に接吻した。

(ちょっ…、ダメだってこれは。本当に…っ)

あまりの衝撃に、司馬昭は理性を保つのが精一杯だった。

可愛い、可愛い、可愛い。もう完全に語彙力が崩壊してしまって同じ言葉しか思いつかない。

何という破壊力抜群の台詞を言ってくるんだ、名無しは。 そんなこと言われたら俺はマジで死ぬぞ?萌え死にするぞ?むしろこのまま死んでもいい。

だってこんなの絶対現実の名無しからは聞けねえもん。夢の中なら何度でも聞きたい。100回くらい繰り返し再生して欲しい。5分前から時間を巻き戻して、もう一度名無しに告白されたい。

司馬昭の頭の中は名無し一色だった。それほどまでに彼女の言動が愛おしく感じられ、彼の理性を直撃していたのである。

「ねえ、子上……。だめ?」

しかもだ。そこでトドメとばかりにまた上目遣いで俺を見る!俺を本気で殺す気なのか、この小悪魔は!

「……っ、だ、ダメじゃない。全然ダメじゃない」
「良かった。じゃあ、今日はこのまま……子上にもっとぎゅっとしてて欲しい」
「は…っ、名無し……」
「だって、最近忙しくてあんまり子上にくっつけなかったから。子上に会えなくて、寂しかった……」
「俺、も……。俺もさ、ほんとは名無しに会いたかったよ」

司馬昭はうわ言のように呟きながら、名無しをきつく抱き締めた。

これが本当に夢で良かった。こんな甘ったれた台詞を吐いている姿を父上や兄上に目撃されたら、多分俺は死ぬ。恥ずかしさで。

そう思う反面、やっぱりリアルであって欲しいと願う気持ちも心の中に根強くある。現実の名無しもこんな風に自分に甘えて、縋ってくれればいいのに。

「そんなに俺を独り占めしたいと思うなら、名無しがもっと見張っていてくれよ。俺が他の女によそ見する暇なんてないくらい、ずっと俺の傍にいて、毎日こういう格好して、俺を誘惑すればいいだろ。俺を夢中にさせてくれ」
「そんな……。毎日子上と一緒にいられるようになったら、子上のことがもっと好きになっちゃう」

はい死んだ。俺は。キュン死です。これはもう、死んでもいいです。はい、死にます。

もはや脳内の処理能力を完全に超えた司馬昭は、語彙力どころか思考回路すら完全に停止していた。

現実世界で名無しと思うように触れ合えないストレスと欲求不満が、ここにきて一気に爆発してしまったようだ。

夢だから当然と言えば当然なのだが、自分がまさに名無しに言われたい、こうして欲しいと妄想していた要素が過不足なくすべて詰め込まれている。これはもう、己の欲望が具現化したと言っても過言じゃない。

「いいじゃん。どんどん好きになってよ。俺も名無しのこと、もっともっと好きになるからさ」

クサい台詞だと思う。口から砂糖を吐き出しそうだ。

でもいいわけです。父上も兄上も、すぐに人の揚げ足を取るクソ生意気な鍾会も、突っ込み名人の夏侯覇も、今は誰もいないんで。

俺の知り合い、誰も見ていないよな?ならば良し。さあ、存分に夢の中でくらい名無しとイチャイチャしまくろうじゃないの。

「嬉しい……。子上、好き……」

男の腕の中で、名無しがそっと目を閉じる。そしてそのまま背伸びをして、自分の唇を彼の唇に重ねた。

(おわ───!!)

司馬昭は心の中で絶叫する。

何だこれ何だこれ何だこれ!こんな展開、俺の妄想の中でもまだ未開拓だったぞ!名無しの方からキスしてくるなんて、これ現実でもしたいけどまず無理だし。ああ、しかし……。これはたまらん。

これはもう完全に誘ってますよね?そういうことですよね?俺はそう解釈するぜ!!

今まで以上に強く名無しを抱き寄せると、司馬昭はもう辛抱たまらないとばかりに彼女の唇を荒々しく奪う。

「んっ……、子上……」

キスの合間に漏れる名無しの吐息がまた可愛いやら色っぽいやらで、興奮を抑えきれない。もっと名無しの声を聞きたくて、彼女の唇を貪るように味わった。

「ん……、ふ……」

指先や体の感触だけではなく、名無しの唇や舌の感触まで現実そのものと言えるレベルで柔らかい。もうこのまま一生覚めないで欲しい。こんな幸せ、二度と味わえない気がする。


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