異次元 | ナノ


異次元 
【すんどめ:VS司馬昭】
 




「やっぱり忘れちゃったんだね」
「いや、待ってくれ。今思い出すから」

心底悲しげな顔をする名無しに対し、司馬昭は困惑して眉尻を下げる。

むしろ、いきなり自分と同じ立場に置かれてこの質問に即答出来る男がいたら教えて欲しい。いないだろう?こんな無茶苦茶な質問。

こうなったら仕方がない。とりあえず何でもいいから言うしかない。

ええい、ままよ……!

「あー分かった。ほら、あれだ。その…俺と名無しが出会った日…、じゃなくって、付き合い始めた記念日だろ?」

やぶれかぶれで男が口にした回答を耳にした名無しは、零れ落ちそうな程に大きく両目を開く。

この反応はどっちだ。正解なのか、それとも不正解なのか。

司馬昭は固唾を呑んで彼女の反応を待つ。すると、名無しの顔がぱぁっと明るくなり、みるみるうちに満面の笑みに包まれる。

「正解です」

驚いたことに、どうやら当たりだったらしい。夢に整合性を求めるのも野暮な話だが、何とか誤魔化せたようだ。

あーホッとした……、じゃない。ちょっと待て。その前に俺は今なんて言った。そして名無しのこの反応。付き合い始めた記念日って言ったよな!?

「良かった、ちゃんと覚えていてくれたんだね。嬉しい。子上、ありがとう!」

感激したように声を弾ませ、名無しは司馬昭の腕にぎゅうっと抱きついた。二の腕に押し付けられる柔らかな膨らみの感触に、司馬昭は一瞬硬直する。

「ん、いや、別に礼を言われるほどのことでも……」

実際、正直単なる当てずっぽうで言ってみただけだし。そう思いながらも司馬昭はこっそり興奮していた。

名無しが俺に身を寄せている。何これ最高かよ。 いや、最高すぎるだろ! 神様ありがとう!

「今日は付き合って三ヶ月記念日だったよね。三ヵ月を迎えたら、二人で特別なお祝いをしようって約束をしていたでしょう?子上はお仕事で忙しそうだったからずっと待っていたんだけど、待ちきれなくなっちゃって」

それは初耳だ。しかしこの説明で確定した。これは明らかに夢であると。

そもそも名無しとは現実では交際していないのだから。それだけでもすでに十分すぎる理由だが、付け加えるとすれば名無しが自分に対してここまで積極的に迫ってくることなど皆無。

それなのに、この状況。だからこそ夢と分かるのだ。……悲しいけれど。

「そっか、ごめんな。でもこれからは時間あるからさ。いっぱいお祝いしようぜ」

今の自分に出来る精一杯の笑みを浮かべて答えたつもりだが、現実はこうじゃないんだよなと思うとやっぱり上手く笑えない。

参った。自分はもっとネアカな性格の男だと思っていたのだが。

何度真剣に口説いても、何度抱いても一向に靡かない名無しに痺れを切らしてこんな夢を見てしまうほど、そして変な脳内回想を毎回かましてしまうほど、思った以上に名無しに対して鬱屈した思いを抱いていたのだろうか。

どうせ夢。されど夢。だったら、いっそ名無しが泣き狂うまで犯し潰してしまおうか。

そんな凶暴な考えがふと頭を過ぎり、司馬昭は人知れず苦笑した。

「……子上、どうしたの?なんだか元気がないみたい。疲れてる?それとも、何かあったの?」

名無しは心配そうに司馬昭を見上げながら彼の頬にそっと触れる。その指先の感触に、司馬昭の胸は大きく高鳴った。

名無しはいつもこんな風にして自分に触れる。夢の中とはいえ、彼女のその仕草はあまりにもリアルだ。名無しの指の長さも、温かい体温も、何もかもが現実と何ら変わらない。

この夢に迷い込んだ当初こそ戸惑いを隠せなかった司馬昭だが、今ではこの非現実的な状況も少しずつ受け入れつつあった。これが夢だろうが現実だろうが、もうそんなことはどうでもいいと思えるくらいに。

「ごめんなさい。私ったらつい嬉しくて、強引に押しかけちゃって」
「そんなことないって。むしろ嬉しかったよ」
「……本当?」
「ああ。だって、好きな女と一緒にいられるんだしさ。嬉しくないわけないだろ?」

自分でもベタな台詞だなと思ったし、こんなやり取りを兄上や鍾会辺りに目撃されたら絶対に爆笑されるだろうなとも思ったが、今は夢の中なのだから構わないだろう。

男の言葉に、名無しの頬が一瞬にしてポッと染まる。

「ありがとう。私も嬉しい。そんな風に言って貰えて……」

名無しは司馬昭の腕に抱きついたまま、彼の肩にそっと頭を預ける。彼女の柔らかい髪が首筋に触れてくすぐったいが、それすらも心地良い。

「子上、あのね……。これはね、その……。今日はご主人様の日だから……」
「ご主人様の日?」

司馬昭は即座に聞き返す。

ご主人様の日って、何だそれ?聞いたことすらないんだけど。

っていうか、ご主人様って誰だよ。例の鬱陶しい飼い主≠フ事か?夢の中でまでそんな話は聞きたくない。

俺以外の男だったら許さねえぞ、と司馬昭が内心憤慨していると、名無しは頬を一層赤らめつつ、意味深な瞳で司馬昭を見つめた。

「子上、前に言っていたでしょう?子上はこういう服が好きだって。たまには名無しにもそんな恰好して欲しいんだけどな。そうしたら俺、もっと色んなこと頑張れるのに≠チて。だから、その……」

えー!?俺、そんなこと言ったっけ!?

どんだけ欲望に忠実なのだ、夢の中の俺は。現実では一度もそんな発言したことないぞ。

確かに名無しに頼んでみたいと思ったこと自体は何度もあったが、言う前から断られるのが分かっていたので言わなかった。

それにも関わらず、夢の中の自分は果敢に挑戦したようだ。『彼氏の権利』とやらをフル活用したのかもしれないが、恐ろしいまでのチャレンジャー精神である。

「だから、今日は子上のために頑張ってみたの」
「……へ?」

名無しの返事に、司馬昭は目を丸くした。

「だって、好きな人には喜んで欲しいでしょう?今日はせっかくの記念日だし、こういう恰好で子上をお出迎えする『ご主人様の日』にすれば、子上も喜んでくれるかなって思って……」
「───!!」

瞬間、司馬昭の心臓は爆発寸前までバクンッと弾む。

(やばい、これはやばい)

俺の理性が限界を迎えそうだ。いや、もうすでに突破寸前まできているかもしれない。

まさか名無しの口から、自分に向かって好きな人≠ニいう言葉を投げかけてくれる日が来るとは思わなかった。しかも、こんな風に彼女の方から胸を押し付けて、蕩けるような上目遣いというオプション付きで。

夢の中の自分は、本当によくやったと思う。ご褒美に今度酒でも奢ってやりたい。

「子上に内緒で準備するのは大変だったけど、気に入って貰えたなら良かった。私、こういう服を自分で買ってみたことがなかったし、全然知識もなかったんだけど、メイド服って思った以上に色々な種類があるんだね」
「確かにそうかもな」
「子上の好みも分からないし、でも子上には内緒でって思ったからどれを選べばいいのか悩んじゃって、同じ男の人の意見を聞いてみようと思って鍾会と夏侯覇に相談に乗ってもらったの。二人に尋ねたら『これだったら司馬昭殿も気に入ってくれるんじゃないか?』って言われたから……」
「はぁ?あいつらに相談したのか!?」

ちょっと待て、それは聞き捨てならないぞ。

司馬昭はすかさず名無しの肩を掴み、グイッと彼女を引き離す。突然の行動に面食らったのか、名無しの顔付きが戸惑いの色に染まる。


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