異次元 | ナノ


異次元 
【すんどめ:VS司馬昭】
 




『司馬昭殿はやれば出来る人間』という言葉を、今までの人生においてもう何度耳にしたことだろう。

幼少時から親戚、友人、家庭教師を含め大勢の人間から耳にタコが出来るくらいに聞かされ続けてきた言葉だが、自分にとってそんなものは大きなお世話であり、まさに面倒くせ≠フ極みであった。

稀代の名軍師として国内外にその名声を広く轟かせる父親。その血を色濃く受け継ぎ、まだ年端もいかぬ頃から『天才だ』と賛辞され、何でもそつなく完璧にこなす兄。

そんな傑物達を身内に持つ自分は、いつの間にかあの司馬懿様の息子なのだから∞司馬師様の弟君であれば、きっと…≠ニいう無責任な期待を背負わされる羽目になっていた。

────勝手な事を言いやがって。

超人達に囲まれて、常に比較され続ける人生。その気持ちが他人なんぞに分かるものか。

その重圧に耐え兼ねた結果、「もういいや」と全てを放り出した。父親と兄が嘆息する怠け癖を開花させたのだ。

だからもう放っておいてくれ、と。そうしてダラダラと日々を過ごす日々。

とはいえ、そんな自分を励ましてくれる人間も何人かいた。普段は司馬懿とともに執務にあたり、その息子である司馬師や司馬昭にも家族同然に親しく接してくれていた名無しもその1人。

率直な感想として『良い奴だな』と思った。父譲りの整った美貌や司馬家の権力に惹かれて言い寄ってくる連中とは違い、名無しは自分に対して媚びを売ったりもしなければ、不必要なお世辞も言わない。

彼女が語る言葉はいつも飾り気が無く、それでいて心からの想いがこもっていた。彼女と接する時間が増えていくごとに、ますますその人柄に好感を抱く。

司馬昭にとって、そんな名無しの存在はいつしか特別なものになりつつあった。

自分を見かけた時、いつも嬉しそうな笑顔で「子上!」と呼んでくれる名無し。こちらに向けられる素直な親愛が嬉しかったし、その好意に応えたいとも感じた。それなので、ついこちらからも彼女に好意を伝えるような言動を取ってしまう。

『あー、やっぱ俺、お前といると気が楽だわ。名無し。お前って結構いい奴だよな』
『ふふっ。本当?そんな風に言って貰えるなんて嬉しいな。ありがとう、子上。私も子上のことが大好きだよ』

しかし、いくら自分が思いを示そうとも、名無しがそれに応えてくれることは一度もなかった。

名無しにとって同僚の息子という立ち位置のためか、彼女は常に一歩引いた位置から自分を見ているような節があったし、こちらが近づこうとすればするほど彼女は一歩ずつ後ずさっていくような気がした。

名無しが自分に向ける『好き』は、ただの友愛。loveではなくlike。お友達として好き、仲間として好き、という種類の好意だ。

だからこそ司馬昭は落胆した。結局、自分は彼女にとって恋愛対象にはなり得ないのだと悟ったから。

彼女を異性として意識しているのに、彼女は自分のことなどそういう目で見ていないのだと知って……。

(あー、やっぱ俺って本当に面倒くせえ奴……)

名無しの事を一度は諦めようとした。しかし、諦めきれなかった。

『名無しが他の男と一緒にいるところを見るとモヤモヤする』『名無しに彼氏が出来たら、自分はどうなってしまうんだろう』と、悩みは日に日に大きくなっていくばかりで。




「……じゃ、ねーって。さっきからごちゃごちゃと何言ってんだよ、お前は!」

城内の廊下で立ち止まり、司馬昭は苛立ちをぶつけるように叫ぶ。しかし、声のした方に振り向くと、そこには誰の姿もない。

正確にはそれだけではない。普段はあれだけ大勢の人間が暮らし、貴族や武将、兵士、女官達の姿が行き交うこの廊下が、今は誰の姿もなく静まり返っていた。

自分以外誰もいない城。空を仰げば、まず視界に飛び込んできたのは絵に描いたように見事な満月だった。雲一つない満天の星空に、その輝きを反射するように光り輝く白銀色の月。

こんな光景は今まで一度も見たことがない。困惑する司馬昭をよそに、謎の語り≠ヘまだ続く。



───そして結局、司馬昭は名無しに手を出した。これで二人の関係が晴れて先に進むかと思いきや、驚愕の事実が発覚した。名無しの背後に別の男の影を感じ取ったのだ。しかも、その相手はどうやらこの城内にいるらしい。

(なんでだよ。どうして他の奴なんだよ!そこは俺でいいだろ!?)

司馬昭は失望した。そして強い憤りも感じていた。自分はあれほどまでに名無しのことを想っていたのに、それを裏切ったのは彼女の方。

別に名無しとは正式に付き合っているわけではない。それでも湧き上がる強い感情は理性では抑えられず、この怒りを彼女にぶつけなければ気が済まない。

どうして名無しはいつまで経っても自分の物になってくれないのだろう。

名無しが自分だけを見てくれて、自分だけを愛してくれれば、彼女に対してそれ以上の物は求めない。それだけでこの乾ききった心が満たされるはずだったのに。

何で俺じゃダメなんだよ────



「あーもう!うるせー!いい加減、消えろっての!」

司馬昭は両手で耳を塞ぎながら抗議する。

人の心の中を勝手に代弁するかの如く、本人の許可もなしに好き勝手なことをベラベラとしゃべりまくる不愉快なこの声は一体何なのだ。

どう聞いても自分の声。司馬昭本人のような気がすれば、不思議なことに、完全に赤の他人の声のような気もする。

「おい…。今の声は誰なんだよ。どこにいやがるんだ。隠れてないで出てこいって」

辺りを見回し、姿の見えない誰か≠ノ向かって問いかける。

しかし、やはり返事は無い。シン……とした静寂だけが辺りを支配していた。

(……夢、なのか?これ)

おそらく自分は夢を見ているのだろう、と思った。それも、悪夢の類。

「……ったく、またかよ」

男は舌打ちをして、再び前を向く。

ここ最近、謎の夢を見る頻度が異様に増えているのだ。

しかもその内容は決まって同じ内容。まるで己の人生を朗読し、内省を促すような正体不明の声が漫画や小説のモノローグのように流れて脳内に直接語りかけてくる。

その詳細は見る夢によって様々だが、共通点を挙げるとすれば、どの独白も最終的には何故か名無しとの関係に言及する部分で終わっていることくらいだろうか。

……嫌な夢だ。

正直、辟易していた。一体、自分は何に悩まされているというのか。

そして夢の終わりになると、毎回お約束のように最後に振らされる一文。

───『名無しは、お前と付き合うつもりはない』

先ほどから頭の中で響いていた謎の声が、さも決定事項のようにそう告げてくる。

だが、司馬昭はその言葉に素直に頷くことが出来なかった。納得できないのだ。

だって、おかしいだろう?自分はこんなにも名無しをを求めているというのに、どうして彼女は一向に応えてくれない?


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