異次元 | ナノ


異次元 
【吸血王】
 




(な……っ)

衝撃が大きすぎて言葉が出ない。そんな名無しを見て、賈充は低く喉を鳴らした。その嘲笑にも似た笑い方が、余計に彼女の羞恥を煽る。

「これで分かったか?俺が予約を取ったのはこういう部屋≠セ。薬が効いた後、すぐに事に及べるようにな」

痺れ薬という単語に、現在自分が置かれている状況。そして前方に広がる寝室の存在を認め、名無しは目の前が真っ暗になるような絶望感に襲われた。

つまりこの男は最初からそのつもりで、自分を犯そうとしていたのだと───嫌でも理解してしまったから。

「やはりお前は馬鹿だな。俺の真意も分からぬうちにノコノコと呼び出しに応じるなど、あまりにも無防備すぎる。俺がどういう男か分かっていると言ったが、その上で俺の誘いに乗ったのか?」
「それ、は……」

彼の言う通りだ。まさかこんな展開になるなんて想像すらしていなかったのだから、不用心だと罵られても仕方ない。

ここ最近賈充とはよく話していたし、以前ほど意地悪をされなくなったので、愚かにも、気を許していたのかもしれない。

どうしてこんなにも馬鹿なんだろう、と後悔と自己嫌悪で涙が出そうになる。

よく考えれば分かる事だったではないか。

賈充ほどの男性が、何の目的もなく急に自分みたいな人間に接近してくるはずなど────有りはしないのに。

「い、や……」

ガクガクと膝が震える。逃げようとしても、体が思うように動かない。なんとか逃げようともがく名無しだったが、男がそれを許すはずもなく、あっという間に距離を詰められ、腕を掴まれてしまった。

「おっと。暴れない方がいいぞ。無意味な怪我をする」

部屋の外は中庭に面した廊下だ。ここで騒げば、当然誰かが様子を見に来るだろう。普通ならば。

『……注文は以上だ。何か用事があれば呼ぶが───それ以外は一切構うな。二人にしてくれ』
『かしこまりました』

名無しの脳裏に、先程の光景が蘇る。賈充はこの店の人間は、費用を払えば客側の大抵の要望に応える『裏の店』だ≠ニ言った。

ならば、彼のあの台詞もその要望の一種ではないのか。この部屋で何が起ころうが、何が聞こえてこようが、邪魔をするな、と。

残念なことに、この推理はおそらく間違ってはいないだろう。だとすれば、自分はもう逃げられない。逃げる術がない。

「今更ではあるが、一応聞いておいてやろう。名無し……、お前は子上の女か?」

名無しは目を見開いた。このような状況で、賈充は一体何を考えているのか。司馬昭とは確かに親しい間柄であるとは思うが、それ以上は何もない。

何故そんなことを聞くのかと疑問に思いつつも、緩慢な動作で首を振って否定する名無しを見て、賈充はしたり顔で頷く。

「ならば良い。もしお前が子上とそういう関係だった場合、俺はお前を殺さねばならんところだった」

(こ、殺す……!?)

さらりと告げられた言葉に背筋が凍る。彼の事だ。きっとこれも司馬昭のことを思っての発言なのだろうが、賈充の目は本気だった。

「では次の質問だ。誰か好きな男はいるか。交際相手はいるか?」
「…い、いませ…っ」
「それなら別に構わないだろう。お前が黙っていれば、誰にも知られることはない」
「…っ。そ、そ…んな…!」

必死に異を唱える名無しだったが、賈充は彼女の言葉などまるで聞こえていないかのように名無しの腕を掴んで彼女の体を引き上げる。

「お喋りはこれくらいにして……そろそろ始めるか」

その言葉を合図に、男は名無しを抱きかかえて寝室へと足を向けた。寝具の手前まで近づくと、布団の上にドサリと彼女の体を投げ出す。

男は部屋の隅にある行燈に火を入れた後、ゆっくりと名無しの上に覆い被さった。そのまま彼女の顔の横に手をついて、至近距離で見つめ合う形になる。

「か…じゅ、う…。ど…どう、して…」
「さあ、どうしてだろうな」

賈充は名無しの顎に手をかけて、強引に顔を上げさせた。そして、そのまま噛み付くように口付ける。

「ん……っ!ふ……」

唇を塞がれたまま、舌をねじ込まれるような激しい口づけに呼吸もままならない。酸素を求めて口を開けば、さらに深く貪られる始末だ。

抵抗したい。男の舌に思い切り噛みついてやりたい。

そんなイメージを思い描くだけ虚しく、賈充が告げた薬のせいか、思うように体に力が入らない。せめてもの反抗として顔を背けようとするも、それすらも叶わず。

「んっ、んぅ……っ!」

息苦しさと絶望感で、目尻に涙が滲む。それを指先で拭った男は、一度唇を離すと、ククッと機嫌よく笑う。

「いい顔だ。今からもっと泣かせてやる」

その言葉を聞いた瞬間、名無しは恐怖のあまり体を震わせた。男は再び顔を寄せ、耳の裏から首筋にかけて舌を這わせていく。

「いっ……!」

チクリとした痛みと共に、首の皮膚に男の歯が食い込む感触がする。そのまま歯を立てられて、強く吸い上げられた。

それは首筋だけに留まらず、鎖骨や肩など、複数の場所に赤い印を刻んでいく。まるで自分のものだと主張するかのように。

(こ……んなの……おかしい……)

自分は賈充と付き合ってもいなければ恋人でもない。それなのに何故こんな真似をされなければならないのか、全く理解できない。

賈充は何が目的でこんなことをするのだろう。ただ自分の性欲処理をしたいだけならば、彼ほどモテる男性であれば、他にいくらでも相手はいるだろうに。

「どう…し、て…、こん…な…」

息も絶え絶えになりながら、辛うじて言葉を絞り出す。すると、賈充はキスマークをつける作業を中断して顔を上げた。

「ここまできて、まだどうして≠ゥ?……まあそうだな。無駄なお喋りは終わりにしようと思ったばかりだが、何も理由が分からぬまま好きでもない男に無理やり手籠めにされるというのも、哀れだと思ってやらんこともない」
「て、ご、め……」

身の毛のよだつ単語を何でもないことのように告げる男の態度が信じられず、名無しは呆然とオウム返しするのがやっとだ。

「大まかな事情は先程述べた通りだ。名無し、俺はお前と子上の仲がこれ以上深まることを危惧している。俺の目から見て、お前のような女は子上が覇道を歩むにあたって悪影響を及ぼしかねん」
「…な…」
「お前は子上の心の柔らかい部分を突き刺す。この先の展開によっては、子上の弱点になり得る。と、なればだ。その前に手を打っておく必要がある。……つまり、そういうことだ」

そこまで言うと、賈充は再び名無しの首筋に舌を這わせ始めた。今度は先ほどとは逆の首に歯を立て、痕を残す。

「や……っ!」

ビクンと体を跳ねさせる名無しを見ても、男は残酷な行為を止めない。首筋から鎖骨、胸元にかけて、いくつもの赤い花が執拗に散らされていく。

「ちが、い、ます…!私…、子上とは…何も…っ」
「そうかもな。今は。だが、今後どうなるかは分からん。子上とお前が親しいのは事実。そうとなれば捨て置けん」
「そん……な、こと……」

反論しようとしても、カリ、と男が自分の肌に歯を立てる度に、微かな痛みと甘い痺れに襲われて思考が停止してしまう。


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