異次元 【吸血王】 興味のない相手、どうでもいいと思っている女からのアプローチなど、ゴミみたいなもの。どんなに熱烈な告白でも、どんなに高価な贈り物を貰っても、何の感情も動かない。時間の無駄。 ……とまで彼らが思っているのかどうかは分からないが、言外にそのような雰囲気を感じ取り、名無しは人知れず大きな溜息を吐く。 自分は女なので、彼らのような男性に恋焦がれ、玉砕覚悟で告白する女性側の気持ちを考えると切なくなってしまうし、どうしても彼女達に同情してしまう。本当に罪作りな男達だ。 「ねえ、賈充。この中に、少しでもいいからいいなと思う女性はいないの…?」 だからつい、そんなことを聞いてしまった。彼の恋愛事情を聞いても仕方がないし、興味本位で聞くような質問でもないことは重々承知しているのに、聞かずにはいられなかったのだ。 「いいなと思う女……だと?」 案の定、男は不快そうに眉間を歪める。当然だろう。 見合いの話に対して『とにかく断りたい』と主張し、その策を練る為にわざわざこのような場を設けているというのに、その相談相手から『誰ならいい?』と問われれば、本末転倒だ。 「あ……、ごめんなさい。変なことを言って……」 やはり聞かなければよかったと後悔して謝罪すると、賈充は表情を崩さぬまま言い放つ。 「ならば逆に問う。お前はこの中で、どの女なら俺に相応しいと考える?」 「……え」 唐突に返された問いに、名無しは困惑した。 正直、この資料に挙がっている女性達はどれも似たり寄ったりだ。16歳、24歳等年齢的には幅があるものの、大体10代後半から20代前半で収まっている。 それだけではなく、賈充に持ち込まれる縁談というだけあってどの女性も見目麗しく、家柄もいい。良家の子女、大商人の一人娘、有名な貴族の娘、と様々ではあるが、どれがいい?と聞かれてしまうとどの相手も甲乙つけがたい。 賈充のような高位の男性にとって、縁談というのは一般市民が思い描くようなものではなく、ある種の契約であり、条件婚だ。 『政略結婚』という言葉があるように、政治家や武将、貴族にとって結婚とは、第一に家と家を繋ぐためのものである。当人同士が好きだから一緒になったのだ、というケースは稀であり、好きだの愛しているだの、そんな感情論が優先されることは滅多にない。 だからこそ、まずは条件で選ぶのが最善手であることは名無しも理解はしているのだが、これだけ数が多いと見比べるのも大変だ。 「どの女性も素敵だと思うんだけど……」 「……。」 一応、思ったことを正直に告げてみたが、男は黙り込んでしまい、表情も変わらない。 分かっている。こんな返事ではダメだということを。でも、なんて言えばいいんだろう。こういう場合、どう言えば一番適切なのだ。 彼の返答を待っていると、やがて賈充が口を開く。 「それでは答えにならん」 「うう…、そうだよね」 「もっと具体的に言え。何でもいい。とにかく俺の立場になったつもりで、お前がいいなと思う女≠ニやらを考えてみろ」 「は、はいっ!」 良かった。ちょっと目付きは鋭くなったけれど、怒っている感じの声ではない。 尊大な命令口調には司馬懿相手で散々慣れている。背筋をしゃきっと伸ばして気合を入れる名無しの姿を目にした賈充が、フッと唇の端を持ち上げた。 「まるで主人に名前を呼ばれた子犬だな」 「そ、そう?」 そうか。自分は犬だったのか。司馬昭には『小動物っぽい』と言われてどんな動物に見えるのか試しに司馬懿に尋ねてみたところ、『オカメインコ』と即答されたので、鳥だと思っていたのだが。 気を取り直して、今一度資料に目を移す。先程男に告げた通り、家柄や資産はどの女性も申し分ないので他の部分にも意識を向けてみることにする。 「あくまでも、私の個人的な感想なんだけど」 そう前置きした上で、名無しは自分なりに感じたことを率直に述べてみた。 「賈充みたいな男性には、3番目か、8番目……、あと、15番目の女性が合うような気がします」 「ほう……。続けろ」 「はい。理由としては───」 男の反応を見て内心緊張しながらも、名無しは資料に書かれている女性達のプロフィールや家族構成、経歴などを読み解きながら、賈充に相応しい女性について自分なりの考えを述べていく。 「3番目の女性の家業は裕福な商家。彼女のお父様は魏の宮廷にも出入りしていた豪商で、貴族や武将たちの中にも知り合いが多い。実家が太いということは何かあった時に助けを求めることも出来るし、大きな商家の持つ人脈と情報網はきっと賈充の業務に関しても役に立つんじゃないかな。一人娘というのも、他の兄弟姉妹との人間関係や遺産相続の問題を考えなくて済むのは見過ごせない魅力だよね」 「……ふん」 「8番目の女性は重臣の娘。父君は長年曹操様にお仕えしている優秀な方だけど、私の知る限りでは、多分賈充とは現時点であまり繋がりのない人物だよね?だとしたら、この縁談を機に一気に距離を詰められるのは大きいんじゃないかな。曹家と古くから関わりのある方が娘婿の父親として賈充の後ろ盾に付いてくだされば、色々とやりやすいこともあると思う。それに……」 「それに?」 「あと、こちらのお嬢様は私、個人的に知っているんだよね。短期間だけど、一緒にお仕事をさせて頂いた事があるの。彼女自身も理知的で教養が深い素敵な才女だし、性格も温厚で優しいし……。彼女がもし、賈充のお嫁さんになってくれたら私も凄く嬉しい」 「……。」 名無しの説明を聞いた賈充は、無言で目を伏せた。何やら考え込んでいるようだ。 何か気に障るようなことを言ってしまっただろうかと不安になるが、とりあえず最後まで話を続けることにする。 「えっと、最後に15番目の女性だけど……」 「もういい。十分だ」 「えっ」 途中で話を遮られ、名無しは面食らった顔をした。 まさかここまで語らせておいて、もういい≠ヘないだろうに。自分なりに一生懸命考えた上での意見だったのだが、何か悪いところでもあったのだろうか。 「あの、もしかして何かダメだった…?」 おずおずと尋ねると、賈充は男らしい眉を吊り上げて不機嫌そうに名無しを睨み付けた。 明らかによろしくない様子に怯みそうになるも、勇気を出して見つめ返す。すると男は暫しの沈黙の後、素っ気ない口調で答えた。 「───大体合っている」 「え……?」 「俺もあえてこの中から絞るとすればその三人だと考えていた。条件や背景その他を考慮した上でな。最後まで聞かなくても十分だ。俺自身としても異論はない」 「良かった…!でも、だったらどうしてそんなに怖い顔をしているの?私、てっきり賈充を不快にさせるような発言をしたのかと…」 「異論がないのが不快なんだ。……馬鹿め」 まるで心を読まれているようで、と。 頬杖をつきながら、賈充はムスッとした面持ちで憎まれ口をきく。そんな彼の態度が普段大人びた賈充の雰囲気とは異なり、どこか子供っぽいものに感じられて、名無しは胸の奥が熱くなる。 「……ふふっ」 「何がおかしい?」 堪えきれずに笑い声を漏らすと、賈充は忌々しいと言わんばかりの眼を名無しに向けてきた。そんな表情もまた可愛く思えて、余計に笑いが込み上げてくる。 [TOP] ×
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