異次元 | ナノ


異次元 
【吸血王】
 




(排除すべきか……?)

そう考えてはみたものの、『すぐには無理だ』と思い直す。そんなことをして、それが発覚して司馬昭に知られたら最悪である。

自分と司馬昭の付き合いは長く、大抵の事なら彼も『賈充。お前って、ほんとおっかないのな』といつもの台詞と共に受け流してくれるだろうが、さすがに名無し殺害事件に関してはどうだろうか。

もし司馬昭が彼女に異性としての好意を寄せているのだとすれば、下手にこの女を殺し、その上、それがもし自分の仕業だとバレたら男の信頼を失うことにもなりかねない。

となると、まずは司馬昭の本心を確かめるべきだとは思うが、藪をつついて蛇を出す≠ニいう諺もある。

蓋を開けてみれば単純な友愛や仲間意識というだけだったにも関わらず、近しい人間から『あいつのことをどう思っているんだ』としつこく聞かれることにより、逆にそれが切っ掛けとなって相手の事が気になり始めてしまう。無意識に抑え込んでいた己の本心に気付いてしまう。そんな愚かなことだって起こりかねない。

(さて、どうしたものか)

────あの女の命を奪うほどの危険は冒さず、それでいてあの女を完全に無力化するにはどうすればいいのもか。

司馬昭達と酒を飲み交わし、いつものように彼らとくだらない話で盛り上がる夜だというのに、賈充はここ最近ずっとそのことで頭を悩ませていた。

無論、司馬昭や司馬師の手前、それはおくびにも出さなかったが。





「司馬昭殿。少々飲みすぎではないのですか」
「いーや、俺はまだまだ飲めるぜ?」

司馬昭と司馬師、賈充はその夜もいつものように、仕事終わりに酒を飲んでいた。前回と異なるのは、他1名の参加者が夏侯覇ではなく、この日は鍾会だということだ。

司馬一族の男達は酒豪だ。普通の人間であればとっくに気分が悪くなって吐いているか、急性アルコール中毒で倒れ、そのままあの世行きになっていてもおかしくない量を摂取しても、司馬師も司馬昭も平気な顔で飲んでいる。

彼らほどの速度ではないにしても、鍾会や賈充達も既に酒瓶を数本空にしていた。

もはやすっかり見慣れた光景とは言え、あまりにも常人離れした司馬昭の飲酒量に突っ込みをいれずにはいられない鍾会はまだきちんと受け答えができるレベルで意識がはっきりしているし、賈充に至っては素面同然の顔つきである。

そうはいっても、底なしの酒飲みと同じペースで飲めばあっという間に酔いが回る。鍾会や賈充には、そろそろ切り上げた方がいい頃合いだろう。

「子上、お前もうその辺にしておけ。明日早いと言っていただろう」

また寝過ごされたりサボられては困ると思った賈充は司馬昭が手にしている酒瓶を取り上げ、飲み残しを自分の杯に注ぐ。まだ飲むとぐずる司馬昭を窘めつつ、賈充はさりげなく話題を変えた。

「しかし、こう男ばかりだとむさ苦しいな。名無しとやらは誘わなかったのか?」

こんなもの、決して本心からの言葉ではない。むしろこの場に来たら迷惑である。あくまでも彼女の名前を出した時の司馬昭の反応を見たかっただけの行為。

「ん?あいつならどうせまだ仕事───」
「ああ、その名前を聞いて思い出しました。そういえば彼女が今日、男に告白されているのを見ましたよ。昼休憩の時間だったかな」

司馬昭の言葉を遮り、鍾会が割って入った。賈充の言葉で本日見かけた名無しの記憶が思い起こされたらしい。

「……は?告白?」

司馬昭の声色が、ワントーン低くなる。酒や灯りのせいではなく、表情が僅かに変わったのを賈充は見逃さなかった。

「はい。皆が退室した後の会議室で」

鍾会は何事もなかったかのように平然と答え、手元の杯に酒を注ぎ足す。

「……告白って、誰にだよ」
「さあ?生憎、私とは普段関わり合いのない部署の人間のようでしたので。筆記具を忘れて取りに戻ったら、たまたまその現場に居合わせただけです。身なりからするとおそらくそこそこ良家の子息か、役人の誰かかと」
「あいつ、何て答えたんだ」
「それは知りません。立ち聞きするのもなんだと思いましたし、聞く前にその場を離れてしまいましたから」

男の問いに鍾会は素っ気なく返し、杯に口をつける。司馬昭はその様子を無表情でじっと見つめていたが、やがて『そうか』とだけ答えて、賈充に奪い取られた酒を奪い返そうとこっそり手を伸ばす。

「子上、これ以上飲むな。酒はもうやめとけ」
「だって、それはお前が勝手に───」
「とにかく駄目だ。明日の為にいい加減控えろ」
「……ちぇっ」

司馬昭は不服そうに短く吐き捨てる。まだ飲み足りないのか、空になった杯を名残惜しそうに眺めていたが、やがて諦めるように杯から手を離した。

「で?名無しは、その告白にどう答えたんだよ」
「それは知りません…、って二回目ですよこれ。ついさっき答えたばかりの内容ですのに、もう記憶を失ったのですか。やはり酒の飲みすぎではないのですか。それとも若年性痴呆症ですか?」
「いいから教えろって。告白してきた相手、俺より背が高かったか?年はいくつだった?」

司馬昭は鍾会を問い詰める。まるで尋問でもしているかのような口調だが、鍾会は特に気にした風もなく淡々と応じた。

「質問が多いですね。背丈は私より頭一つ分くらい高かったかと。そもそも190p近いあなたよりも背が高い男なんて、滅多にいないですけどね。年は……20代後半か30代前半くらいではないかと思いますよ。あくまでも推測ですけど」
「ふーん」

司馬昭は小さな声で呟いて、横に置いてあった水のグラスを一気に呷った。ぷはーっと大きく息を吐き、手の甲で口元を拭う。

「なんでそんなことが気になるんですか、司馬昭殿」
「なんでって、そりゃこんな面白い話を逃すわけないだろ。下手すりゃ一週間か二週間か、長い間このネタで名無しを思い切りからかったり、からかったり、延々とからかったりできるじゃん」
「からかうしか言っていませんけど。相変わらず下衆ですね」

鍾会はうんざりした視線を司馬昭に向け、遠慮のない言葉の棘で刺す。

「つまんねーの。せめて相手の名前さえ分かればなあ……」
「そんなに気になるなら、直接彼女に聞けばいいじゃないですか」
「聞けるかよ、そんなこと。俺もそこまで無神経じゃないし」
「逆じゃないですか。あなたから無神経さを取ったら何が残るんです」
「お前なぁ、また俺に喧嘩売ってるのか?ん?」
「いえいえ、滅相もない。ただ私は事実を言ったまでです」

鍾会と司馬昭が軽口を叩き合うのを黙って聞いていた賈充は、彼らを尻目に考える。

(どこまでが子上の本音だ?)

自分が知らないところで彼女が誰かに告白されたと聞いて、面白くなかったのが本音なのか、それとも鍾会から聞くまでその事実を知らなかったので、いじりやすい他人の恋愛沙汰を耳にするのが出遅れたと思って悔しがっているだけなのか。

鍾会の言う通り、司馬昭という男は下衆なからかいや悪戯といった子供じみた真似は簡単にできるくせに、妙なところで変にプライドが高いせいで本心を素直に表に出せないところがある。

……この反応だけでは分からない。前者ならまだいいのだが……。

「……まあ、でも、名無しは断ったのではないかと思いますよ」

鍾会は口元に手を添え、何やら考える素振りをみせながら述べる。

「何でそう思うんだよ」
「廊下に戻った際、丁度知り合いに会ったのでその場で10分ほど立ち話をしていたのですが、その間に例の男が会議室から出てきたのです。その時……」

鍾会は少しだけ間を置き、視線を司馬昭と司馬師、賈充にぐるりと向けながら先を続ける。

「男はひどく不機嫌な様子でした。少なくとも、告白して色良い返答を貰った男がする表情ではなかったように思います。おそらく、望む答えが得られなかったのではないでしょうか」
「……へえ。ま、別にどうでもいいや」

鍾会の言葉に、司馬昭は短く返す。その表情はいつも彼が見せる涼しさで、言葉通り特に何も感じていないようにも見えた。


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