異次元 | ナノ


異次元 
【吸血王】
 




「まあ分からないでもないけどさ、そんなに気にするほどかねえ。お前、ひょっとしてあの女のこと、好きなのか?」
「はあ!?違いますよ。どんだけ年齢差があると思っているんですか。何でも貪る司馬昭殿じゃあるまいし」
「俺もそこまでがっついてねえよ。何だよ、夏侯覇。人を発情期の犬みたいに言いやがって」
「彼女のことをどう思っているかとか、二人の関係性云々などというものとは全然別の問題で、美少女に嫌われたらそれだけで泣きたくなる。カワイイ子に嫌われたら素直にヘコむ。それが世の男ってもんでしょう」
「はあ」

夏侯覇の熱弁に、司馬昭はやる気のない相槌を打つ。

「ま、別に楼礼程度の女にどう思われようが気にしないけどな。俺はあの手の女、好みじゃないし」
「……えっ。落ちている女性は何でも拾う司馬昭殿が、ですか?」
「どういう意味だよ、それ」

司馬昭は不満げに唇を尖らせるが、元々の原因が己の行動にあると自覚している為か、それ以上夏侯覇の非難を追及することはない。

説明するのが面倒くせ、と言わんばかりに肩を竦めつつ、うんざりしたような口調で司馬昭は論ずる。

「まだ小娘だから仕方ないっちゃ仕方ないが、楼礼って結構我がままな所があるだろ?周りの男どもが皆自分のことをちやほやしてくれて、可愛がってくれているせいか、何かあったらすぐに頬を膨らませて拗ねるし」
「ああ…、言われてみればそんな一面もあるかもしれませんね。まあでも、それくらい許容範囲じゃないですか?それも彼女の魅力の内でしょう。それに、同じ侍従同士の関係なら男相手にもそんな部分を見せるかもしれませんけど、目上の人間や赤の他人に対してはちゃんと礼儀正しくしているように見えますし」
「いや、そういうんじゃなくてさ。外向きの顔≠フ話をしているんじゃなくて、その親しい関係≠ノなってからの話をしてんだよ。ああいう女って、一見愛想が良く思えても親しくなった途端にあれこれ要求してきたり、年齢を重ねるごとに自分が一番じゃなければ気が済まない性格になっていくんだよな」
「……え……」
「そんで自分の男がちょっとでも冷たく感じたら、別の男友達に愚痴を言って、本気にした男友達から『そんな奴とは別れて俺んとこに来いよ』って言われたら『そんな…。私のせいで〇〇君に迷惑なんてかけられないよぉ…』とか殊勝なことを言いつつ次の週にはもうそいつとセックスしてそう。んで、何かの拍子で男と仲直りでもしたら何事もなかったかの如く『やっぱり私にはあなたしかいないって分かったの!』とかふざけたことを抜かしつつ、ちゃっかり本命のところに戻ってくるってのがお約束。あの手の女って、普通にそこら中にいるよなぁ」

見てきたの!!??

さながらその現場を実際に目撃したかのように話す司馬昭に、夏侯覇は人知れず冷や汗をかく。

実はそうなのだ。驚くべきことに、司馬昭の推測は全て的中している。

何故なら、実際に彼女はその高い男性人気を武器に何人もの男を手玉に取っており、夏侯覇はつい先日も

彼女に浮気されて捨てられた。まだ付き合って二ヵ月も経っていないのに
落ち込んでいる彼女を支えたくて何度も食事を奢ってあげたし、送り迎えも喜んでしたし、親身になって連日遅くまで相談に乗ったのに、結局俺を振って元の彼氏のところに行ってしまった。今までの時間は何だったんだ
楼礼に振られたショックからやっと立ち直れたところだったのに、また彼女から連絡がきて、やっぱり俺のことが好きだって言ってくれたんです。俺、今度こそ彼女の本命になれたって信じていいんですよね!?

と泣いて訴える自分の部下数名から相談を受けたばかりであった。

一介の女官や兵士達の恋愛模様や痴話喧嘩といった些末な出来事が司馬昭みたいな権力者の耳に一々届くとは思えないし、ただの女官である楼礼と彼が何度も接する機会があるとも思えないのだが、たった数回、または遠目から彼女の行動を眺めただけで司馬昭は何やら不穏な雰囲気を感じ取ったらしい。

(相変わらず、他人を見る目だけは無駄に鋭いんだよな。司馬昭殿は)

普段はどんなに適当にしていても、この男の眼力だけは侮れない。だから敵に回すと厄介なのだ。

内心では感心しながら、夏侯覇は素朴な疑問を司馬昭にぶつける。

「いやいやいや…。何だか見てきたかのような事を仰いますね。っていうか、別に司馬昭殿は楼礼殿とそれほど親しいわけでもないですし、実際に彼女と付き合ったわけでもないはずなのに、なんで当事者でもないのにそんなことが分かるんですか?」

それが不思議でならないし、何でそんな風に言い切れんの?と胡乱な眼差しを向ける夏侯覇の声に答えたのは、司馬昭とは別の人物だった。

「大して接点がなかろうが、分かるだろう。それくらい」

司馬昭よりも更に低い、よく通る落ち着いた声が室内に響き渡る。彼の実兄である司馬師だ。

「詳細までは知らずとも、普段その人間が周囲に見せる顔や異性との接し方を耳にすれば、ある程度の性格や特徴は推測出来る。何も難しいことではない」

手にした盃に視線を落としつつ、司馬師は薄く笑う。

「えええ…、そういうもんですか?確かに司馬師殿程になれば断片的な情報でも色々とお分かりになるのかもしれませんし、人を見る目は自然と養われるものなのかもしれませんが……」

夏侯覇は困惑したように眉を下げる。

司馬師殿が言うことなら一理あるのだろうけれど、俺にはよく分からんなあ……と顔に書いてあった。

「では、男女が逆の立場で考えてみるがいい。例えば女友達から片思いの相手や交際相手の話を聞いたとして、お前はどう思う。相手のことが全く分からんか。これっぽっちも相手の人間性が想像できんか?」
「……!」

司馬昭の問い掛けに、夏侯覇はハッとしたような表情を浮かべる。

「それは……、そうですね。少なくともある程度の情報を得られれば、それなりのイメージが湧きますし、何らかの助言くらいは出来るでしょう」
「そうだろう。同じ男の目線で考えて、実際に会った事も相手の顔を見たことすらなかったとしても、事前情報の時点で何だか嫌な奴∞いけ好かない野郎だな≠ニ感じる同性はいる。それは女側とて同じこと。男友達から軽く話を聞くだけで私なら、絶対に友達になれないタイプ∞嫌な女!≠ニ感じる種類の女は存在する。本能的、直感的にな」

その相手と付き合っている、もしくは結婚している当事者ではなく、ただの友人や赤の他人として話を聞くだけの第三者という立場だからこそ、余計な私情や身贔屓を挟まずに客観的な視点から物事を判断することが出来る。

その結果、話を聞けば聞くほど、『何であんなやつと付き合ってんの?』『そんな人間のどこが良くて結婚したの?何で未だに離婚しないの?』と疑問に感じるケースというのは多々あるものだ。

「無論、その程度の内容で確実にそうだとまで相手の人間性を断じることは出来ない。だが何となく、その女とは付き合いたくないな、と感じるような負の印象は受けるものだ。楼礼とやらの話は私も少し小耳に挟んだ程度ではあるが、昭と同じく、深く関わりたいとは思わない。要するに、そういうことだ」

司馬昭、司馬師と話をしていくうちに、夏侯覇は段々と納得していった。その感覚を上手く言葉で説明するのは難しいが、何だか、分かる気がする。

「確かに、それはあるかもしれません」

流石はあの司馬懿の実子。彼らのような男性達であれば、まかり間違っても悪い女に捕まって振り回されるなどということはないだろう。

それに、この男達なら逆に女の方が騙されたり、いいように利用されたりしそうな気がする。なんとなく。

───司馬昭殿も司馬師殿も自分の容姿や頭脳が優れていること、更にはそれを有効に利用する術を十分過ぎる程熟知しているのだから。

「いやー、勉強になります。そう考えるとやっぱり名無しは本当に安全牌ですよね。名無しが我がままを言って他人を振り回すところとか見た事ないですもん」

あいつはお人好しだから、どっちかと言えばいつも他人に振り回されているような気がするけれど。

そう言外に滲ませて、夏侯覇は腕くみしつつウンウンと頷く。


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