異次元 | ナノ


異次元 
【吸血王】
 




「昭、夏侯覇。それくらいにしろ。これ以上、話を長引かせても時間の無駄だ」
「相変わらず仲が良いな、お前達は」

司馬師がぴしゃりと言い、賈充は薄ら笑いを浮かべながら両者を眺める。

「仲が良いってどこがだよ。俺、部下にいじめられているだけなんだけど。ていうか、こいつ年棒を5倍にしろとか言うんだぜ?無茶苦茶だろ」

司馬昭は憮然とした表情で夏侯覇を指差すが、当の夏侯覇は素知らぬ顔でそっぽを向く。

「無茶苦茶なのはお前の方だ。すまなかったな、夏侯覇。愚弟には私の方から後できつく言っておく。ついでに昭の給料からお前への慰謝料分を取り上げて、お前に渡すように手配する」
「……うおっ!本当ですか!?」
「ああ。さすがに5倍は無理だと思うが、お前が多少の贅沢は出来るような額を没収しておいてやろう」
「ありがとうございますっ。さすがは司馬師殿、感謝致します!」

司馬師の言葉に、夏侯覇はぱぁっと目を輝かせた。

「え〜!?ちょっと待ってくださいよ、兄上。そりゃないって……!」

突然の事態に司馬昭は慌てふためくが、司馬師は厳しい視線で弟を睨む。

「自業自得だ、馬鹿め」
「そうだぞ、子上。お前は今まで夏侯覇に散々迷惑をかけてきたのだからな。むしろ、この程度で済んで感謝すべきところだ」

司馬師と賈充は冷たい物言いで司馬昭を説き伏せる。あまりにも二人の言っていることが正論過ぎて、司馬昭はもはや何も言い返せない。

「うっ……。わ、わかりましたよ。反省してますって」
「ふん。ならば素直に後で預金証書を見せろ。お前の反省が口だけではないかどうか、私が確認してやる」
「はいはい、兄上。ドーゾお好きなだけご覧ください」
「はい≠ヘ一度でよろしい」
「了解でーっす」

司馬昭は投げやりに返答する。そんな二人のやりとりに、被害者である夏侯覇もやれやれと苦笑した。

司馬師と司馬昭は同じ血を引く兄弟とは思えないくらいに見た目も性格も正反対だ。

二人とも親に似て端麗な美貌の持ち主ではあるが、司馬昭は長身で筋骨隆々の漢らしさ溢れる容姿、司馬師も鍛えられた筋肉質な体型だがシュッとして隙のない衣装のせいか弟よりも幾分着痩せしてパッと見は細身に見える容姿と、それぞれタイプが違う。

性格も弟の司馬昭は軽くて緩めな感じ、兄の司馬師は父親似で冷静沈着、常に落ち着いていて実際の年齢差以上に弟より遥かに大人びた雰囲気がある。

(だが……)

賈充は司馬師と司馬昭の二人を見比べて思う。

確かに見た目も性格も全然違うが、この二人は本質的には非常に似通っているところがある、と。

それは一見陽気に感じる司馬昭と、クールに感じる司馬師が内に秘めた苛烈さだ。

司馬師は常に冷静で、感情に乏しいように見える。しかし、その内面は非常に激情家であり、内に秘めた情熱は司馬昭以上かもしれない。普段は冷静沈着な彼だが、あくまでも表面上のもので、内面では本音をあまり周囲に漏らさない。

それは司馬昭も同様である。普段は気さくに感じる男なので意外に感じるが、実の兄である司馬師や主従関係を超えた親友である賈充などある程度心を許している相手には本心を垣間見せることがあるものの、よく観察すれば他人とは一定の距離を置いている。

一度必要だ≠ニ考えれば、どんな手段をも厭わない。手段のためなら何かを犠牲にすることも辞さない。

武者人形の如く整った甘いマスクを剥ぎ取れば、その下には父親である司馬懿譲りの酷く冷酷な一面も持ち合わせている。その二面性こそがこの兄弟の魅力であり、ある種の危うさでもあると言えよう。

そして、司馬師と司馬昭の2人はこの曰く付きの性格を互いに補完し合い、協力して物事に対処することで強固な絆を作り上げ、名軍師である父親を補佐しながら、司馬一族は今や我が国の中枢を担う存在にまで昇りつめていた。

兄弟がこのまま何事もなく、これからも共に司馬懿の遺志を継いでいけたら、と賈充は思う。それでいて、同時にいついかなる時も、決して油断してはならない≠ニも思うのだ。

(冷静な兄上である司馬師殿が付いていれば子上も滅多なことでは暴走しないと思うが、若さゆえの無鉄砲さや未熟さが、この先思わぬ形で命取りになるかもしれん)

司馬昭と司馬師の両者が手を取り合って支え合えば、それはきっとこの国の未来を明るく照らす光となるだろう。しかし、逆に2人のどちらかが道を誤ったなら……その可能性はゼロとは言い切れない。

(子上は若い。そして、父親である司馬懿殿から受け継いだ才能をまだ完全に使いこなせているとは言い難い)

司馬師はそういった弟をしっかりと見守り、支援してやっているように見えるが、それでも万が一ということもある。

司馬昭が己に課せられた使命を見失い、愚かな真似をしでかすことのないように陰ながら監視し、何かあった時には全力でそれを阻止してやるのは彼の家臣であり一番の友人でもある賈充の務めだ。

だからこそ、司馬師や司馬昭に近づく者には常日頃から目を光らせる。少しでも彼らに悪影響を及ぼしたり、災いを呼ぶ可能性のある存在が身近に現れたら、どんな小さな芽でも摘み取っておく必要がある。

───たとえそれが、彼らと親しい関係にある人間だとしても。

「ハァァァ……。でも今回の騒動で楼礼(ロウレイ)殿にもドン引きされたのが結構辛いなあ。廊下で会った時、『夏侯覇様、お聞きしましたよ。いかがわしくて不潔極まる御本をお読みになっているんですってね』ってジト目で言われちゃったし」

夏侯覇様はもっと清廉潔白な男性だと思っておりましたのに。がっかりです!!と若い女性にぶつけられた強い非難の声を思い出し、夏侯覇はガクッと肩を落とす。

「楼礼って、あの侍女か。マジで?もうあんなところにまで伝わっているのかよ」

ひゅう、と軽い口笛の音を響かせて、司馬昭は感心したように呟く。

楼礼というのは、とある貴族女性に仕える女官の名前だ。年はまだ16か17くらいだったかと思うが、その年齢に似合わぬ大人びた肉体を持つ魅惑的な少女である。

無駄な肌の露出もなく、女官らしく控えめな服装に身を包んではいるが、布の上からでも分かるほど豊かに育った胸元は男達の目を釘付けにするレベルの威力を備えており、

『とても16、17の小娘だとは思えん』
『未だ幼さを残す顔立ちには到底似合わぬあの巨乳……あのムッチリとした尻……けしからん……実にけしからん!』

と男性陣の期待と興奮を煽りまくっている。

どう見ても美少女、と断定出来るほどに特別優れた容姿とまでは言えないが、あどけない雰囲気と可愛らしい童顔、小柄で華奢ながらに出るところはバッチリ出ている見事な身体つきは多くの男性から見ても十分に好ましく、並み居る女官たちの中ではかなりの男性人気を誇る女性だった。

「ほう。それは災難だったな」

夏侯覇を労わるような言葉の響きとは異なり、どこか面白がる雰囲気を漂わせながら司馬師は微笑む。

「全くです。楼礼殿はああ見えて結構女官仲間の人脈も広いですし、彼女に伝わるということは遅かれ早かれ城中に伝わるも同然ですよ。一応事の経緯は説明しておきましたけど、どこまで信用して貰えるかは……。あー、気が重い」

夏侯覇はまたしても憂鬱そうに嘆息したが、そんな彼を見つめる司馬師の眼差しは依然楽しむような気配を孕んでいる。

「心配しているのは城中に悪評が広まるということだけか」
「へっ」
「その女には悪く思われたくない、という気持ちも少しはあるのではないか?」
「えっ?そ、それは……」

夏侯覇は驚いたように目を瞠ったが、すぐに気まずそうな表情になる。

「そりゃ、そうですよ。俺だって武将である前に一人の男ですもん。自分より年上のオヤジや母親みたいな年齢のおばちゃん連中に好き勝手言われるならまだしも、年下の可愛い女の子に嫌われるのはやっぱりキツイです。若い女から正面切って『夏侯覇様ってサイテー!』って言われたんですよ?あーやだやだ、思い出したらまた落ち込むぜ……!」

夏侯覇の言い分に、司馬師、司馬昭、賈充の三名は納得した。

女だって、全く好みではない脂ぎった年配男性からああでもないこうでもないと言われるより、一緒の空間にいるだけでちょっぴり胸がときめくような若く美しい男性に『あなたって最低の女性ですね』と言われる方が遥かに傷つくと思う人は多いだろう。


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