異次元 【吸血王】 「俺、もう死にたい」 肺腑の奥底から絞り出すようにして、夏侯覇が漏らす。 「これ以上城内で変な噂をばら撒かれたら、俺はもう詰んだも同然。マジで死ぬ」 手にした盃をぐぐっと力の限り握り締める男の双眸は、死んだ魚の如く濁っている。 「おいおい。いくら何でもそこまで落ち込むことないだろ?元気出せって夏侯覇」 「ありがとうございます…じゃ、ねーって!本当にもう!誰のせいだと思っているんですか、司馬昭殿!」 ポンと軽く肩を叩いて男を慰めようと試みる司馬昭の言葉を遮り、夏侯覇が叫ぶ。 「いや、だからそれは、俺がうっかりお前の部屋に忘れ物をしちまったからだよな?それについてはすまん」 「すまんで済んだら警察は要りませんよっ。大体、何でいつも俺ばかりがあなたの悪戯の尻拭いをさせられなきゃいけないんですか。いい加減、勘弁してくださいよ!」 「だってしょうがないだろ。俺ってこう見えても結構うっかり屋さんだし、そういう人間だと思われてるから」 「……それ、自分で言いますか?普通」 司馬昭の発言に呆れ果て、夏侯覇はもう何度目なのか分からない溜息を吐く。 城内には大小含めていくつもの部屋が存在しているが、今、彼らが酒を飲み交わしているのはその中の一室だった。 大広間や大宴会場程の広大な空間ではないとはいえ、主に貴族や武将たちが会議や接待に利用する部屋なので、天井も床も石造りでそこそこ広く、机や椅子も高級な品が置かれている。 「というか、どうして毎回俺の部屋を休憩所代わりにするんですか。他にも良さそうな場所、いくらでもありますよね?」 「いやだって、お前の部屋はちょうどいいんだよ。俺の部屋から割と近いし、日当たりも良好で、窓からすげーいい風が入ってくるし」 気まずそうに頭を掻きながら、司馬昭は酒盃に手を伸ばした。 「それに、他の奴の部屋はやたらと広い上に調度品も凝り過ぎていて、落ち着かなくてさ。その点、お前の部屋は適度に簡素だし、物も少ないから落ち着くんだよ」 「……それって褒めてます?けなしてます?」 「両方かな」 「はぁー。そうですか、わかりましたよ。そんなに俺の部屋が気に入ったと仰るなら、司馬昭殿の部屋と交換してください。あなたの部屋、俺の3倍くらい広いですもんね?」 「それは却下。だって、俺って結構物を溜めこむ性格だろ。今ですら収納場所が足りないのに、これ以上部屋が狭くなったらマジでキツイ。ていうか、この話はもう止めようぜ?いい加減不毛だし」 「あなたにとってはそうなんでしょう。あなたにとってはね」 「ま、まあまあ……。そう怒るなって夏侯覇。なっ?」 司馬昭はへらりと笑って、夏侯覇の怒りを受け流す。 「それより、今日は久しぶりに気の合う野郎同士で飲めるんだし、もっと楽しい話をしようぜ?」 「楽しくないですよ!俺からすれば!!」 「そんなこと言うなよ。ほら、この酒も美味いぞ?飲んでみろって」 司馬昭は夏侯覇の抗議を無視し、彼の杯に酒を注ぐ。その態度にますます腹が立ったが、結局、夏侯覇は差し出された酒を無言で一気に飲み干した。 司馬昭が語る不毛≠ニいう内容の詳細は、今から数時間前に遡る。 この日、いつも通り司馬昭は仕事をサボって城内を右往左往していた。どれだけ厳重な監視の目も関係なく隙を見て脱走を企てようとするし、自由という特権を手にする為には手段を選ばず、その行動力にも定評があるのが司馬昭という男だ。 彼を擁護するとすれば『だからと言って司馬昭はただの不真面目な男ではない。こう見えて、やる時はやる男である』という類の主張も挙げられないことはないが、とにかく司馬昭はこの城内においてまさに一・二を争う『自由人』。そう表現するのが一番しっくりくると思われる。 そんな訳で今日も今日とて脱走に成功した司馬昭だったが、サボりの間の暇潰しも兼ねてなのか、その腕にはピンクな本が数冊抱えられていた。男子の大好物・エロ本である。 司馬昭は時折、懇意にしている書店から届いた新刊のエロ本を持ち出しては、適当な場所を見つけて休憩がてら読み耽っていた。 「あー、今日はどの本にすっかなー」 天気のいい日の中庭の木陰だったり、人気のない書庫の奥だったり、普段はあまり使われていない倉庫の中だったりと、司馬昭は様々な場所で新刊読破に精を出していた。 昼間から堂々と仕事をブッチして自由気ままに遊んで暮らすという非常識な行動を常としながら、『さすがに人前で堂々と読むつもりはない。俺はこう見えて常識人だから』という、彼らしい矛盾した理由の元に。 「よし、今日はこの新刊で決まりだな!」 司馬昭が選んだのは『ふたなり美人四姉妹の乱交汁ダク中出しセックス』『奴隷落ちした猫耳娘が肉便器にされて孕まされる〜大乱交ハーレムの夜〜』の2冊だった。 ふたなり≠ニいうのは、漫画や小説と言った創作の世界におけるファンタジーな性癖要素としての『男性器と女性器を両方有する人体』を指す。 女体はエロい。でもチンコもエロい。それなら女体にチンコが生えていたらもっとドエロくなるのでは!?という発想からきたものなのかどうかは不明だが、大抵の場合は女性の体がベースであり、男性器を備えながらも立派なおっぱいや綺麗な女性器も有しているパターンが多く見受けられる。 もう一つの方はいわゆるケモ耳系というもので、獣のような耳や尻尾を生やした女の子が登場するもの。 こちらは主にファンタジー的な世界観で見かけることが多く、人間の女性とほぼ変わらないボディにただ単に動物の耳や尻尾が付いただけの擬人化っぽいものが主流に感じるが、逆にほぼ動物のままのボディがベースで人間の言葉を話す存在と交わる『獣姦寄り』の物まで色々とバリエーションがある。 司馬昭が手に取った2冊のジャンルはどちらも一定の市民権を得ており好きな人にはたまらない部類の物ではありつつも、同時に偏った思考故に好む人と苦手な人に大きく分かれる作品傾向でもあるのだが、基本的にエロに対する許容範囲が広い司馬昭には何の問題もない。 (お。今日は夏侯覇は出かけてんのか。やったぜ!) 夏侯覇の部屋の前を通った際、司馬昭は部屋の中から人の気配がしないことに気付いた。そういえば夏侯覇に話したいこともあったので、部屋の主の帰宅を待ちながらエロ本を読むのも悪くない。 そう思った司馬昭は、遠慮なく夏侯覇の部屋に足を踏み入れた。上司だからといって部下の部屋に勝手に入っていいという訳ではないのだが、夏侯覇とは気心の知れた中でこれが初めてでは無いという条件も重なり、司馬昭は毛ほども気にしない。 (さーて。じっくり楽しむとするかな) 来客用のソファーに深々と腰かけ、司馬昭は意気揚々とエロ本を読み始めた。 最初の方こそワクワクしながら鼻歌交じりに目を通していたものの、読み進めているうちに司馬昭はあることに気付いた。この女性キャラクターの顔立ち、この話の展開、何だか見覚えがある。どこかでこれと同じ物を見たような……。まるでデジャヴだ。 あれ?これってひょっとして俺、城下町の本屋を覗いた際に一回立ち読みした内容だっけ?そう気付いて、司馬昭はパラパラとページを捲る手を止める。 「……やっぱりそうだ。この話、先週立ち読みしたエロ本と同じじゃねーか」 その時はざっと流し読みしただけで表紙や題名までは覚えていなかったのですぐには気付かなかったが、もうすでに知っている物だったとは。 なかなか面白い内容だと思っていたのでこうして再度読める事に喜びを感じつつも、楽しみに待っていたのが既読本だったということでどこか残念な気持ちも抱く。 だったら別に急いで読まなくてもいいかな、と思って司馬昭は持っていた本を机に置き、次の本へと手を伸ばした瞬間、コンコン、と扉をノックする音が室内に響いた。 [TOP] ×
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