異次元 【熱視線】 「正式な式の日取りと流れが分かったら教えてね。私の司会、何分くらい時間が貰えるのか…それに合わせてちゃんと長さも考慮するから。お祝いの花束も用意しなきゃいけないし、新生活を送るに当たって役立ちそうな贈り物も……。宗茂、何か欲しい物があったらギン千代と相談した上で遠慮無く言ってね!」 如才なくテキパキとお祝いの言葉を述べる名無しだが、その顔には彼女には似合わない職業的な笑みを浮かべていた。 多分他人が見ればすぐに分かるくらいの作り笑いを貼り付けているのが自分でも分かっているだろう。 名無しの瞳が戸惑い気味に一瞬揺れ、赤い唇が言葉に迷うようにして微かに動く。 「もし今後宗茂がギン千代の事を泣かせるような事があったら、私……絶対に許さないんだから」 ダメだ、また涙が出てきちゃう。我慢しなきゃダメ。 もし宗茂やギン千代と二人の結婚の話をする機会があったら、笑顔でお祝いするって決めたじゃない。そう自分で決めたじゃない。 明るく元気一杯『おめでとう!』って言うって決めたはずだったじゃない。綺麗な心で二人の門出を祝福するって心に誓ったはずじゃない。 全てが完璧に出来なくたっていい。 嘘でもいいから、精一杯の笑顔を作って宗茂とギン千代をお祝いしなきゃダメ。 「改めまして結婚おめでとう、宗茂!」 ニッコリ。 満面の笑みでそう締めくくり、名無しは男に向かってペコリと頭を下げる。 言えた。ちゃんと言えた。 やれば出来る。そう自分で自分を褒め称え、名無しは石の上から立ち上がる。 「じゃあ私、先に戻るね」 優しく告げて名無しがその場から立ち去ろうとした刹那、宗茂の力強い腕が名無しに彼女の腕に伸びていた。 パシッ。 「───名無し」 (……あ) 男らしく節ばった宗茂の手に自分の手を掴まれている事を悟り、名無しの鼓動がドキンッと大きく弾む。 宗茂に掴まれた瞬間、名無しの全身は極度の緊張と不安に支配された。 だがそれは、嫌がって怯えている訳でも宗茂を拒絶している訳でもない。 むしろ、名無しは大好きな宗茂に触れて貰える事に対する歓喜の情を覚えていた。 でも、こんな光景を誰かに見られたら変な風に誤解されてしまうかもしれない。 それは結婚を控えている宗茂やギン千代にとっても、そして同じ軍に所属する名無しにとってもきっとよくない結果に繋がるだろう。 (拒絶しなくちゃ) 慌てて宗茂の手を振り払おうとした名無しの手を、逆に宗茂が逃がさないとでもいうかのようにさらに強い力でギュッと握り締めた。 「……さっきのあれは、全部嘘だったって言うのか」 強く威厳に満ちた、その上どこか甘さを帯びた声音で宗茂が問う。 名無しは、宗茂の端整な美貌と切れ長の黒い瞳をじっと見つめたまま、恐る恐る『はい』と答えた。 「ただの嘘で、君はあんなに真剣な顔で泣けると言うのか?」 宗茂の言葉に、名無しは驚いて口から心臓が飛び出そうになった。 「本当の事を言ってくれ。名無し」 有無を言わさぬといった宗茂の厳しい口調に、名無しの体がブルッと震える。 ああ、神様。どうしよう。 どうしよう、神様。助けて下さい。 大好きな人が私を見ています。 溶けそうなくらいに熱い彼の眼差しが、灼熱の炎となって私の全身の皮膚をメラメラと焼いていきます。 宗茂。貴方にこうして見つめられるだけで、私は本当に死んでしまいそうになるの。 その色っぽくてハスキーな声で貴方が私の名前を口にする度、私の胸は張り裂けそうになる。 いっそ彼と二度と会わなくてすむように今すぐ地球の反対側に逃げることが出来たなら、どれだけ楽になれるだろうか。 「……ずるいよ宗茂。いつもみたいにもっと意地悪な顔をしてくれればいいのに。私の言う事なんて、いつもみたいに軽く受け流してくれればいいのに……」 「…名無し…」 「ねえ宗茂。どうしてそんなに優しい目で私を見るの。どうして私を引き留めるの……?」 「落ち着いて聞いてくれ名無し。俺は君を虐めたい訳じゃない。ただ、真実を……」 真実? それが一体何だっていうの。何の意味があるっていうの。 それを明らかにする事で、何か状況が変わるとでも? 「どうして今夜の宗茂はこんなに優しいの?どうしてそんな風にして甘い声で私を呼ぶの……?」 「名無し。目を反らすな。こっちを向け。ちゃんと俺の目を見ながら話を聞いてくれ」 「だって今まで一度も私の名前なんて呼んでくれた事なかったのに。今日初めて呼んでくれるなんてずるい。こんな風に手を握られたら、余計寂しくなっちゃうじゃない」 「名無し……」 「呼ばないで、お願いだから。こんな風に引き留められたら、もっと長く宗茂と一緒にいたくなっちゃうじゃない。今ですらこんなに苦しくて仕方ないのに、もっともっと宗茂の事が好きになっちゃうじゃないっ!!」 名無しは喘ぐようにして本心を吐露すると、彼女の体のどこにこんな力があったのだろうかというくらいに強い力で宗茂の手を振り払った。 ついさっきまで宗茂にずっと握られていた手の平が、燃えるように熱い。 まるで本当に火傷か何かを負ってしまったかのように、単なる錯覚とは思えない程に男と触れていた部分がジリジリと焦げ付いていく。 急速な勢いで、名無しの全身にたちまち火の手が回っていく。 重傷だ。 「名無しっ!!」 普段クールな彼には似合わない程の焦りに満ちた声で、宗茂が名無しの名前を叫んでいる。 それを彼女自身気付いていながら、名無しは耳を塞ぐようにして男の声を完全無視して走り出し、その場から逃げ出した。 ほんの一時の間だったけど、宗茂と二人きりで過ごせた事は嬉しかった。 出来ればあともう少し。許されるなら、少しで良いから長く彼の傍にいたかった。 でもそれは望んではいけない事だ。だって彼は他の女性の夫になる人なのだから。 余計な期待をしてはいけないのだ。その期待は裏切られるだけだから。 失った体温が虚しく感じられるだけだから。一人残された自分の姿が、余計に惨めに感じられるだけだから。 ひとしきり中庭を駆け抜けた名無しは振り返って背後に宗茂の姿が見えない事を確認すると、ホッと安堵したように溜息を漏らしてようやく足を止める。 名無しはキョロキョロと周囲を見回し、誰にも見付からなさそうな柱の陰に身を潜めた。 そして疲れたようにしてそのままヘナヘナッと足下から崩れ落ちると、名無しは体を丸めるようにして蹲る。 暗がりの中で、一人で泣いた。 もしこの近辺に誰かがいたらよくないと思い、懸命に声を押し殺して呻くように泣いた。 冷たい夜風が名無しの体の周囲を吹き抜け、ざわりと鳥肌が立つくらいに己の体温が急激に下がっているのを感じたが、そんなものよりずっと深刻な哀しみと絶望が名無しの心を覆い尽くしていた。 宗茂が自分の名前を呼んだ時。 告白した直後、不意に抱き締められた時。強い力で、ギュッと彼に自分の手を握られた時。 真剣な面持ちで、引き留められた時。彼の熱い視線で、頭の天辺から爪先まで体中を貫かれた時。 名無しは体の自由を奪われるのと同時に、もっと奥底にある自分の魂まで彼に囚われてしまったような気がしていた。 ─END─ →後書き [TOP] ×
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