異次元 | ナノ


異次元 
【茨の檻】
 




だからといって、その辺の男に名無しを任せるなど勿体ない……ではなく、心もとない。

俺はこの女の騎士であり、同時にこの女が尻を振って交尾をねだってもいいただ一人のオスだ。

眠りから覚めた淫姫が悪いケダモノに食い荒らされないよう、俺の匂いでたっぷり印をつけておかなければ。

天地神明にかけて、己の為ではない。

それが彼女の為なのだから。

「…は…っ、ぁ……わた、し…」
「……。」
「ほ…う、せい、どの…」

未だ夢の世界を彷徨う虚ろな眼差しで、名無しが法正を仰ぐ。

しどけなく横たわる彼女の唇は艶やかに濡れており、下半身には男の放った精液がたっぷりかかったままになっていて、法正は陰部がビキッと硬くなるのを感じた。

情事の最中の名無しも十分色っぽいが、情事後の名無しもまた同じくらいに色っぽい。

こんなエッチな顔で見つめられたら、何回でも抱ける。

「大丈夫ですか。名無し殿」
「あ…」

軽く腕を引っぱりながら抱き起こされ、名無しは小さく喘ぐ。

さっきまで命令形だった法正の口調は、普段通りに戻っている。

「こんな状態のあなたを一人で帰すなんて、危険すぎていくら俺でもできませんよ」
「……ぁ、離し……っ」
「今夜はもう遅いし、泊まっていきますか?明日の朝一緒に出勤したら、俺とあなたの仲は疑いの目で見られると思いますけど」
「ほ…法正殿…っ。あなたは…本当に法正殿ですか…!?」

枯れた声を振り絞り、叫ぼうとした名無しの手を法正が掴む。

「わ、私の知っている法正殿は…こんなこと、しません……。本当の…法正殿、は……っ」

男を見つめる名無しの瞳が、悲しげに歪む。

「残念ですが、これが本当の俺です」

法正は悲痛な表情で嘆く名無しの手を取ると、恭しい仕草で彼女の手の甲に口付けた。

そして、物憂げに瞳を伏せた後、突然声を上げて笑い出す。

「く……、くくっ。ははは……!」
「……な……」

何がそんなにも面白いのか全く分からず、名無しは男の高笑いに絶句する。

「こいつは傑作だな…、本当の姿だと?というよりも、その人間の本質なんて、あなたはどれだけ知っているというのですか」
「……。」
「笑うしかないだろう。俺の本性どころか、他の武将の本性だって───何一つ知らないくせに」
「…他…の、武、将…?」

残忍な笑みを浮かべて問う法正にじっと見つめられ、名無しの額に冷や汗が滲む。

自分を射る男の双眼が猛禽の眼だと気付いた瞬間、名無しは己の過ちを悟った。

自分が訪れたのは『尊敬できる仲間』の部屋などではなく、猛獣の住処だったのだと。


要するに、近付きすぎたのだ。法正という男に。


『寒気すら感じるほどに端麗な男』と女性達に言わしめる法正は、咲き誇る大輪の薔薇のように鋭い棘を隠し持つ、非常に危険な男性であった。


付かず離れずの適度な距離を保ったままでいれば良かったのに、欲をかいた先がこの始末。

彼の緻密な仕事ぶりに感嘆し、こんな自分でも彼の役に立てることがあれば何でもしたい、彼にもっと近い場所で色々な事を学びたいと願った結果、知らぬ間に土足で彼の領域に踏み込んでしまった。

法正と親しくなれるのは、嬉しい。

しかし、互いの心が覗き込めるくらいに他人との距離を無防備に詰めるリスクについて、もっと覚悟しておくべきだった。

人の心は、秘密の花園。決して開けてはいけないパンドラの箱。

どうやら触れてはならない類の物に、自分は触れてしまったようだ。


「俺を含めた仲間の真実≠ニやらに、興味がおありならお教えしますが」


誰が、何を、なんてもう聞きたくない。


私が今まで信じてきた物は、何だったのだろう。


法正の、本当の姿。他の武将の本性?自分は今まで一体何を見ていたのか?


煮え滾る地獄の門扉が開く光景が脳内に浮かび上がり、名無しは両手で耳を塞いで逃げ出したい衝動に駆られた。


「疲れましたか、名無し殿。あなたは俺の大切な女性です。無理せず休んでいていいですよ」
「法正、殿……。お願い、します…私…帰り……」
「どうぞ安心してお眠りください。そのまま俺に身を預けて足を開き、喘いでいてくれればいい。俺が勝手に一人で動きますから」
「…ひっ…!」

法正は薄く笑みながら名無しの手を掴み、自分の下半身に招く。

すでに復活して立派に天を仰ぐ凶悪な肉棒を己の掌に握らされて、名無しは足をジタバタさせて男から少しでも離れようと試みる。

「そんなに帰りたければ、ちゃんと部屋までお送りしますよ。俺はこう見えて案外紳士ですのでね。……あなたを徹底的に躾け終わったその後で」
「あ…、もぅ…、いやぁぁぁ……っ」

不吉な予感で名無しは目の前が暗くなり、今度こそ意識を失う。




法正の頭の中で、ガチャリ、と鉄格子の鍵が開いた音がする。

扉の前には、女がいた。


どうして───勝手に開いたの。


女はまるで信じられないモノを見るような表情で、開錠された扉を呆然と見つめている。

……これも、夢の続きか。

(ああ、今こそ意味が分かる)

ここ最近俺を悩ませていた謎の夢は深層心理の表れで、予知夢だったという訳だ。

出口のない監獄を彷徨う哀れな獲物のシルエットは、次第に名無しの姿へと変化する。

厳重な檻の中から這い出た肉食獣は大きく伸びをした後、周囲に外敵の気配がない事を知っているのか悠々と歩き回り、やがて一匹の獲物に狙いを定めた。

≪悪い夢なら、もういい加減覚めて欲しい≫

泣き出しそうに歪んだ顔で、名無しが絶叫する。

逃げ惑う彼女を壁際に追い込み、白い喉笛に喰らいつく無情な獣の正体は、法正自身の姿だった。




『一線を越える』という言葉があるが、意味は踏み止まるべき範囲を外れて≪するべきでない、してはいけない事≫に及ぶことだ。

線を越える者と踏み留まる者の違いは、いわゆる『良心』だの『理性』辺りの強さといったところか。

あなたにとってこの城内は、同じ主君に仕え、志を同じくする仲間達や信頼出来る友人ばかりだと思っているのかもしれないが、残念ながらそれは幻想に過ぎない。

各自神妙な顔付きで茨の檻の中に籠ってはいるが、蹴破ろうと思えばいつでも実行できる。

あなたの前では猫を被り、人畜無害を装っているだけ。言ってみれば、脱獄一歩手前のニセ模範囚だ。

ああ……、たまらない。俺の中では劉備殿と同等に白い心を持つ名無し殿が、そんなケダモノ達の爪と牙で蹂躙されてしまうのは。

ならば悪党の名に恥じず、いっそ俺が汚してしまおうか。

今日に至るまであなたとの間に築き上げてきた人間関係や、流れを全部無視して。



ここから一歩先に進めば文字通り俺の人間性は失われ、あなたとの関係が『一線を越える』。



この法考直と遊んでくださいますか、名無し殿。



他の檻も解錠される前に、今のうちにたっぷり味わっておくとしよう。




─────全ての野獣が解き放たれて、メチャクチャになる前に。





─END─
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