異次元 | ナノ


異次元 
【茨の檻】
 




「自分でも抑えきれないほどの衝動が込み上げて、俺が俺でなくなりそうになる。周囲の者に迷惑をかけるより、娼婦を買った方が早いと思ってな」

肉体的には疲れているはずなのに、セックスしたくてたまらなくなる事がある。

オスは極度の疲労や生命の危機を感じた時に、本能的に己の子種をばらまこうとして性欲が増すという場合があるという説をどこかの学者が唱えていたような気がするが、彼もそんな感じなのだろうか。

自分ならば疲れている日はさっさと風呂に入って寝たいと思うので、そこからさらに運動できるなんてさすがは馬超だと法正は思ったが、それでも新しい疑問が湧いてくる。

「分からないでもないですが、馬超殿ほどの色男には意外ですね」
「俺が色男…?どこがだ。そういうのは、そこにいる男や貴殿のような男を指す言葉だろう」

はあ?と言いたげな面持ちで、馬超は即座に否定する。

(この男、素で言っているのか?)

謙遜でもなんでもなく、どうやら本気でそう思っているように思える馬超の反応に、法正はまじまじと眺める。

この城内において、否、三国全土を見渡してもトップクラスのイケメンに属する腹立たしい容姿の持ち主なのに、まさかの無自覚だと言い張るのか。

「あなたが、ですよ。女性人気も高い馬超殿のことなので、わざわざ娼館になど行かなくてもいくらでもお相手が見つかるだろうと思いましたので」
「女性人気が高いのは、そこにいる男や貴殿のような」
「ああ、もう結構です。馬超殿の天然具合は十分堪能しましたので」

片手を顔の前に挙げて男の言葉を遮る法正に、そうか、と馬超は素直に応じた後、会話を続ける。

「他人と比べたことがないのでよく分からんが、娼婦達によるとどうやら俺の行為はかなり激しい部類に入るみたいでな」

分かる。

突然のカミングアウト、それもごくプライベートな情報をあっさり晒す馬超の正直さと素直な性格に驚くが、その内容に法正は素直に同意した。

馬超は傍から見ても憎らしい程に完成された鋼の肉体を持つ若者だ。

戦場で見せる彼の雄々しい武者ぶりから考えれば、きっと夜の方も激しいのだろうなというのは想像に難くない。

「要は内部を傷つけかねない、他者を破壊しかねない行為だということだ」

普段よりもグッと低めた声で、馬超が告げる。

「娼館の受付では間違いなくその女を指名して一対一の行為を行っていたはずなのに、いつの間にか違う女になっていたり、複数の女を相手にしていた事も何度か経験した」

途中で俺が呼んだのか?それとも、商品を壊されては困ると思った店側が女を追加したのか?これ以上俺の相手を勤められないと思った娼婦が仲間に救いを求めたのか?よく分からない。

身体は大丈夫なのか。何か異常があったらすぐに言ってくれ。医師を呼ぶし、治療費も全額払う。

終わった後で心底謝罪し、二倍、三倍の料金を払おうとしても女達は全員受け取らない。

真実を教えてくれと頼んでも、みんな決まって

『そんなのいいんですよ、旦那。あたしたちの間で遠慮なんて』
『旦那みたいな色男に抱いてもらえるなら、お金なんていらないし、むしろこっちから払いたいくらいですよ』
『大好きな馬超様に壊されるなら、あたし、本望だもの』

と笑うだけだ。

「無論、俺自身も気を付けるようにはしているのだが、夢中になっているとそこまで気が回らない時もある」

まあ、こんなものは全部、所詮ただの言い訳に過ぎないのだが。

笑うような気配を纏いながらも、馬超の目は決して笑ってなどいない。

「俺の中でも自覚がある以上、身近な女で発散させる訳にはいかんだろう。そういうこともあって、基本的に素人の女には手を出さないようにしているし、金と引き換えに俺の激情を受け止めてくれる娼婦達にはいつも感謝している」

別にプロの女だからといって傷つけていい訳ではない。

しかしながら、彼女たちはやはりプロだ。

普通の女性に比べて男を受け入れるのに慣れているし、相手によってやり方を変えたり、セックスの際に苦痛を和らげる方法も熟知している。

それ相応の対価と引き換えに、客を『ただの紙幣』と認識し、様々な嗜好や性癖を持つ男性の相手を割り切ってこなしてくれる娼婦達の存在は、自分にとってまさに救いの神だ。

そう語る馬超の眉根は、きつく寄せられていた。

「そうはいっても、さすがに今日はその気にならん。女や子供に槍を向けるのは、俺だって本意ではない」
「……でしょうね」
「それなのに相変わらず体の奥が昂ぶる。精神的には疲弊しているはずなのに、戦場の匂いは無条件で俺を高揚させる。体は熱を持て余すが、脳は拒否する。そういう日は、一人将棋をすることにしている」
「ほう」
「それなら誰にも迷惑はかけないし、嫌な記憶からも逃れられると思うからだ」

研ぎ澄まされた男の眼光が、周囲の壁へと注がれる。

いつ出会っても感情豊かで情熱的で、真摯な眼差しが印象的な馬超からすると、遠慮がちに視線を彷徨わせる今の彼の姿はらしくない≠ニ感じた。

だが同時に、なるべく素人女には手を出さない、時には一人将棋で我慢するという男の言い分が、とても彼らしいとも感じた。

「ここ最近、ずっと一人将棋が続いているのでな。いい加減飽きてきたので、貴殿に声をかけたという訳だ」
「いいでしょう。悪党の本領を発揮して、あなたを徹底的に追い詰めて降参させてやりますよ」
「おお、面白い。望むところだ!」

久々の対人戦とくれば、やはり燃え上がるのだろう。

勢いよくザバッと浴槽から立ち上がる馬超の姿を、趙雲が呆れ顔で見上げる。

「だから、前を隠せと」
「もう出るからいいだろう。大目に見ろ」
「お前という男は…。勝負事となるとすぐに熱くなるその性格、何とかならないか」
「悪いが性分なのでな。次はお前だぞ趙雲。確か今までの勝敗は四対四で引き分けだったな?今度は負けんぞ。法正殿を制した後で、お前も叩きのめしてやる」
「その台詞、そっくりそのまま返してやろう」

剣を含んだ馬超の宣戦布告をものともせず、趙雲は笑いながら反論した。

ゆっくりと、両者の眼光が妖しい光を宿す。

馬超の言葉通り、元より昂ぶっていた肉体だ。

激しい戦闘を終えた後、入浴する事で沈められていた何か≠ェ再び水面から浮上し、辺りを伺っているかの如く、不穏な気配。

勝負事と聞いて直ちに呼び覚まされるのは、武人としての闘争心か、血生臭い死闘の記憶なのかは分からない。

羊の皮を被った狼が、皮の隙間から僅かに尻尾の先を覗かせているような不気味さを覚え、法正はゾクリとした。


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