異次元 | ナノ


異次元 
【茨の檻】
 




「どうだろう。頼めるかい?法正殿」

女の肩越しに覗き込んでくる文宋を、法正は静かに見つめ返す。

「ご要望とあれば」

いつも通りのふてぶてしい笑みは剥がれ、代わりに目の前の中年男に対する怒りと嫌悪感が彼の肺腑を満たしていく。

「はははっ…さすがは法正殿。それでこそ諸葛亮殿に並ぶ蜀の軍師だ!」

してやったりという表情で、文宋は高らかな笑い声を上げる。

「いやぁぁぁ…激しい…気持ちいい、気持ちいいよぉぉ…!またイク、イクぅぅ…」

法正と話しながらも勢いを増していく文宋の腰使いに内壁をガンガン責められて、少女の脳が溶けていく。

口端からとめどなく溢れる涎で唇を光らせ、完全に男に身を委ねた様子で腰を振りまくる少女の姿は、もはや雄の欲望通りに動く白い肉人形でしかない。

「くく…、若い女は快楽に対する耐性が低すぎるのが困りものだな。子種が欲しくて疼きまくっているのか?けしからん…まだ幼さを残す面立ちだというのに、実にけしからん」
「ひぎっ…あぁぁ…気持ちいいですぅ…。もっと奥まで…ほうせ、い、さま……」
「ようし、イッていいぞ。大好きな法正殿に見られながら、違う男の精液をたっぷり注がれて孕むがいいっ!」

爪先をピンッと反らせて喘ぐ少女の腰を掴み、文宋は何度も力強く腰を打ち付ける。

一口に50才近くといっても個人差があるとは思うが、それでも年齢に似合わぬ耐久力と精力を見せつける文宋の絶倫ぶりは、彼自身も何かの薬を使用しているとしか思えない。

「ああああ───っ、イクうぅぅ───っ」

もうこれ以上は、見るに堪えない。

一際大きな声を上げて絶頂を告げる少女の悲鳴を聞きながら、法正は文宋に頭を下げ、別れの挨拶を示した。

そして彼らに背を向けた後、一度も振り返ることなく部屋の扉に手をかける。

廊下に出ると、ここまで法正を案内してくれた使用人が扉のすぐ横に立っていた。

あれほどの嬌声であれば外に居る者にも多少は聞こえているはずだが、使用人の若い男性は無表情でその場に控えている。

己の主のこのような行為などすでに慣れっこであり、扉の向こうで何が行われているか全て承知の上ということか。

「お帰りでございますか?法正様」

まるで何事もなかったかのように、上品な笑みを浮かべる端麗な青年。来た時と変わらずに豪奢な輝きを放つ調度品たち。

重い扉を一枚隔てるだけで、この世の天国と地獄が二つに分かれているように思える。

いや、一部の男たちにとっては、向こう側の穢れた世界もまた立派な極楽≠ネのか。

「帰る前に、奥方様にお目通りを願いたいのだが」
「承知致しました。それでは、ご案内致します」

世の中は、狂っている。

だからこそ、殿のような人格者が世の中には必要であり、俺のような悪党もまた目的を達するためには必要なのだ。

「…高名な軍師様は、まるで運命を司る女神の如く、世の中の先を読むとか」

怪しげな占い師や人相師を見るのと同様の眼差しで、使用人が法正を見る。

例によって慇懃な態度を崩してはいないが、丁重な言葉とは裏腹に法正に対する敬意は微塵も感じられない。

どこか珍しいものを見るような、珍獣を見るような、好奇心半分といった視線。

「やはり法正様も、ご自身の未来が読めるのですか?」
「───分かるさ。己の惨めな運命くらいはね」





「法正殿。法正殿!」

誰かに呼ばれた気がして振り向くと、10メートルほど離れた先で見知った若者が手を振っているのが視界に映る。

男が立ち止まったことを知り、その人物は足早に近付いてきた。

「ああ、良かった。法正殿は歩くのがとても速いので、追いつけないかと思いましたよ」

人懐っこそうな笑顔を浮かべ、ホッと唇を綻ばせる若者の名前は姜維。

法正と並ぶ名軍師・諸葛亮の後を継ぐに値する人物と評価され、天水の麒麟児と称された若き将だ。

劉備の傍を固める関羽や張飛、諸葛亮たちと比較すればまだ年若い武将だが、サラサラッとした頭髪と同じ色の茶色い瞳には隙がない。

年齢や性別、身分を問わず、誰に対しても丁寧な口調で接する姜維には優等生然とした雰囲気があり、薄い唇には生来の生真面目さが滲んでいる。

その上、見た目まで非常に整っているときている。これでは女たちが騒ぐのも無理はない。

「これは姜維殿。俺のような者を呼び止めるとは物好きな方ですね。俺に何か御用でも」
「丞相を見かけませんでしたか?夕刻までにどうしてもご相談したいことがあって執務室を訪ねたのですがご不在で…。書斎にもいらっしゃいませんし、中庭にもいらっしゃらず、ずっと探しているのです」

心当たりのある場所はある程度探したつもりなのですが、と呟いて、姜維が口元に手を添える。

「失礼ながら、諸葛亮殿の事であれば俺よりもあなたの方が詳しいでしょう。残念ですが今日は一度も諸葛亮殿にはお会いしていないし、姜維殿ですら予想できない場所であれば、俺が見通せる道理はないのでね」
「そうですか…。用もなく出歩く方ではないと思うのですが、困りましたね」

望んだ答えが得られぬ失望と困惑に、姜維が知的な眉間を歪めた。

「質問に質問で返すようで恐縮ですが、実は俺も人を探していましてね」
「おや。誰でしょうか」
「名無し殿ですよ。どうやら部屋にはいらっしゃらないようで」

法正が肩をすくめると、姜維の眉がぴくりと動く。

「……名無しに何か御用でしょうか?」

低い声が、間近で落ちる。

僅かに細められた姜維の双眼に、何故かぞくりとするほどの冷気を感じた。

「いや、別に大した用事じゃないんですけどね。先日筆先が折れた時に名無し殿の筆を借りたので、お返ししたいと思っただけで」
「そうですか。この後、ちょうど彼女と打ち合わせをする予定でしたので、私でよろしければ法正殿よりお預かりして私の方から返しておきましょうか」
「親切なご提案痛み入ります。ですが、受けた恩は直接返すのが俺の流儀でして」
「それはそれは。差し出がましい申し出をして、大変失礼致しました」

迷いなく答え、流暢に言葉を紡ぐ姜維はいつもと変わらぬ穏やかな笑みを浮かべている。

それなのに、姜維の目つきから不穏な気配を感じ取り、法正は警戒する。

(…警戒…?)

そう。これは一種の警戒だ。

自分が彼に対して放つ感情こそがまさに己に向けられているものの正体だと悟り、法正は微かな驚きを覚えた。


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