異次元 【恋愛強者】 「はは、司馬懿殿らしい答えだね。いつもながら、あなたと話をすると楽しいよ」 「どこがどう楽しいのかは分からんが、私の主張を理解して貰えたのなら結構だ。という訳で、お前に構っている暇はないのでな。もう行くぞ」 「待ってくれ。確かに私はそれらの宝物を差し出すことは出来ないが、同僚のよしみじゃないか。嫌なら途中で帰っても構わないから、とりあえず話を聞いてくれるくらいいいだろう?」 「私の要求を飲めないなら無理だな」 「冷たいなあ。内政に関わる人間にしか出来ない話なのに」 「私以外にも内政職はいるだろう。暇人で、お前の話に付き合ってくれそうなお人よしでも探せ。以上」 素っ気なく言い捨てて、その場から立ち去ろうとする司馬懿はまるで猫のようだ。 これ以上追いかけたところで、サッと身を翻して自分の隠れ家に戻ってしまうだろう。 「なるほど」 郭嘉は目を瞬かせて司馬懿を見た。 「お人よしか。暇人だとは思わないけれど、一人思い当たる」 「ほう、なら良かったな。ではさようなら」 「そうだね…、司馬懿殿と同じくらいに内務に通じているとしたら名無しかな。彼女なら、私の相談に乗ってくれるんじゃないかな?」 「!」 郭嘉の言葉に、司馬懿が足を止める。 「名無しも多忙だとは思うけど、何と言っても彼女はとても優しい女性だからね」 壁面の窪みに手をつき、郭嘉は眩しそうに城下を眺めた。 「初めは司馬懿殿に相談しようと思ったんだけど、何回頼んでも断られてしまってね。あなた以外、他に相談する相手がいないんだ…なんて悲しそうな表情で訴えれば、きっと彼女は私を憐れんで話を聞いてくれるだろう」 「……。」 「勿論、タダでとは言わないよ。司馬懿殿に対してと同様、それでは彼女に失礼だからね。名無しが了承してくれたら、近々夕食のお誘いでもしてみようかなあ」 「……。」 「個室完備で、とても雰囲気の良い店を知っているんだ。酒を飲むとすぐに体が火照って赤くなる可愛い名無しを優しく介抱しながら、二人で甘い一夜を過ごすというのも素敵だね。私の心尽くしのおもてなしを、名無しは喜んでくれるだろうか?」 郭嘉の目線の先には、城の周囲を行き交う人々の姿があった。 城の門番、任務から戻った武将や兵士、大きな荷物を運び込む職人、通行許可証を手にして門番と話をする商売人達。 城壁の上からは、外の景色が面白い程に良く見える。 「それを私に言う意味は?」 司馬懿は怪訝な顔付きで郭嘉を見た。 あたかもすぐ近くにいる男に言い聞かせるように郭嘉が語るので、当然の質問ではあるが。 「別に…?ただの独り言だよ」 「ただの独り言でそれだけ長い妄想話を垂れ流すのか、お前は」 到底本心とは思えない郭嘉の返答に、司馬懿は嘆息する。 「ああ、ほら、見てごらん司馬懿殿。世間はすっかり冬模様だ。普段よりも沢山衣装を着こんで、かじかむ両手に息を吹きかけて温めようとする女性達の姿は実に健気で可憐だね」 だが当の郭嘉は、相変わらず眼下に見渡す町並みと、寒そうに身を縮めながら歩く若い町娘達の方に目を向けたままだった。 「つくづく懲りない男だな」 先程まで完全に背を向けて立ち去ろうとしていた司馬懿だが、結局、郭嘉が言い終わるまでその場に留まっていた。 司馬懿はいつの間にか郭嘉の方に向き直り、普段よりも幾分険しい目付きを見せる。 「あの女に近付くな、と以前忠告したのを忘れたか」 静かな口調だが、少し威圧的な物の言い方。 たったそれだけの変化で、今までとは確実に空気が変わったのを郭嘉は感じた。 (やっぱりね) そう来ると思ったよ。 そんな司馬懿を見て、郭嘉はくすりと柔らかい笑みを浮かべた。 「曲がりなりにも私と肩を並べると言われる名軍師のお前だ。少々人格に問題有りというのは置いておいて、人並み外れた記憶力と理解力を持っているはずだと思っていたのだが」 司馬懿の声が、段々と凄味を増していく。 「人の話を全く聞いていなかったのか。それとも貴様、もう耄碌したのか。若年性痴呆症か?」 お前′トばわりされるだけではなく、もはや貴様∴オいになっている。 普通の人間であれば思わず萎縮してしまうであろう司馬懿の鋭い眼光を間近に受けても、郭嘉は全く平気だった。 「嫌だなあ。ちゃんと聞いているし、覚えているよ。あなたの言葉をね」 郭嘉はようやく司馬懿に目をやると、笑いながら答える。 司馬懿にとって、名無しは同じ執務室で共に仕事をする同僚だ。 そんな名無しに郭嘉が余計なちょっかいをかける事によって、彼女の心が乱れ、仕事に身が入らなくなったら困る。 名無しの業務の遅れは、彼女とペアを組んで執務に当たっている司馬懿にとっても悪影響を及ぼす。 よって郭嘉が彼女を口説く事で司馬懿も迷惑を受ける。 ひいては、司馬懿に対する妨害行為に値する。 これだけ丁寧に噛み砕いて説明してやれば、馬鹿でも分かるだろう? だからやめろ────、というのが司馬懿の弁だ。 彼の説明だけ聞いていれば、その言い分は一見筋が通っているように思えなくもない。 しかし、はたしてそれだけ≠ェ司馬懿が郭嘉を牽制する本当の理由なのだろうか。 ……少なくとも、郭嘉は全くそう思っていない。 「────あいつには近寄るな。あいつには手を出すな、と」 郭嘉はぼそりと告げる。 「そう言われれば言われる程、逆に近付いてみたくなる。興味を抱いてしまうという厄介な人間も世の中にはいるんだよ。そして、残念ながら私はそうみたいだね」 「……。」 「女衒、結婚詐欺師、浮気常習犯、賭博師、遊女、魔性の女。明らかに危険な人種だと分かっていても、周りがどれだけ必死で止めても、あいつだけはやめておけ≠ニ口を酸っぱくして言い募っても、ふらふらと吸い寄せられていく愚かな人間はいつの時代もいるものさ」 穏やかな口調で語る郭嘉に対し、司馬懿は彼の言葉の裏側を読もうとするような目付きをした。 しばしの間郭嘉を睨むと、呆れ顔で吐き捨てる。 「で、貴様もその愚かな人間だという訳か。ならば、そんな愚者に責任ある職を任せる訳にはいくまい。今日限りで軍師職はクビだな」 「まあそう仰らずに。一つ言い訳をさせて貰えるなら、私の場合はあくまでも『彼女』に対してだけなんだよ。他の事柄に対してはそれなりに冷静な視点を維持出来ると自負しているので、少しは大目に見てくれると嬉しいな」 目元と口元に完璧なまでに上品な笑みを備えつつ、優しい声音で紡がれる郭嘉の言葉はまるで天使の囁きのようだ。 しかし、そうは言っても、やはり軍師は軍師。 必要だと判断すれば、目の前にいる相手は己の望む結果を得る為にはどんな手段をも厭わない冷酷さを秘めている事を、司馬懿も郭嘉もお互いに知っている。 [TOP] ×
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