異次元 【熱視線】 「それより、もしよければ隣を空けてくれないか。こうしてずっと立ったままでいるのも結構疲れるのでな」 「……えっ」 「俺も今日は少し飲み過ぎたし腰にきてる気がする。その石、デカイからあと一人くらい座れるだろう。もうちょっとそっちに寄ってくれないか?」 そっち、と顔を軽く傾けて移動を促され、名無しの頬が余計にボボッと染まる。 なんと宗茂が自分の隣に座るというのだ。同じ石の上に。 確かに宗茂の言う通り名無しが横に詰めればもう一人くらいは座れると思うが、だからといって大分余裕がある訳でもない。 もし空いたスペースに宗茂が腰掛けるとしたらかなりの至近距離だ。 「……どうぞ……」 ここにきて断る理由を探してみた所で、いい案なんて浮かばない。 そう思い、覚悟を決めた名無しは同意の言葉を述べると横に移動し、宗茂が座れるだけの場所を空けた。 本当は嫌だ。宗茂とこうして二人っきりで座るなんて。 そんな事したらドキドキしすぎて死んじゃうかもしれないと思っても、大好きな宗茂に、間近から、強い眼差しと低くてセクシーな声でそう求められたら名無しは頷くしかない。 「どうも」 宗茂は短い声で礼を告げて、名無しの隣に腰を下ろす。 きっと、先に入浴してさっぱりしてから宴に参加したのだろう。 名無しの傍に腰掛けた途端宗茂の体からふわりと石けんの良い香りが漂ってきて、名無しの心臓がドキンと跳ねた。 「……そ、そう言えばまだちゃんとお祝いしていなかったね。気が利かなくてごめんなさい。結婚おめでとう、宗茂。正式な伴侶も得て、これであなたも立派な一家の大黒柱だね」 自らの動揺を覆い隠すように、ふと思い出したような口調で名無しが述べる。 「なんだ。もう君の耳に入っていたのか。実はそうなんだ」 一瞬『ん?』というような顔をしたものの、宗茂はあっさりとギン千代との結婚の話を認めた。 「急な決定だったから俺自身もビックリしている。……が、俺を養子にしたそもそもの動機が立花家の跡取りを絶やさない為に男子を迎えるという事なのであれば、そういう可能性もあるかもしれないとは思っていた」 一口に養子と言っても目的は様々である。 単に男がいないから本当に自分の息子の代わりとして育てるか、それともすでに子供はいるのだが頼りない者達しかいないので血にはこだわらずに他の所から優秀な者を迎え入れるか。 養子は養子で一人の息子として別に嫁を用意するのか。それとも自らの娘と結婚させて、名実共に一家の跡取りとして迎えるか。 ギン千代の父・立花道雪が選択したのは正式な跡取りとして迎える事であり、宗茂なら大切な一人娘を任せても大丈夫だろうと太鼓判を押したのであろう。 「ギン千代と宗茂ならきっとお似合いの夫婦になれると思うよ」 「そうか?君がそう言ってくれるなら有り難いのだが」 「ギン千代は強くて、真っ直ぐで、凛々しくて、男性顔負けの武術の腕前と度胸を備えていて……。それでいて思いやりがあって女性的な面もあって、鎧を脱げば一人の女性としても本当に美人でスタイルが良くて、頭も良くて……」 「ふ……。なんだ、ベタ褒めじゃないか。君にそう言われていると知ったら彼女もきっと喜ぶだろう」 この時宗茂に語る名無しの言葉は決して嘘偽りなどではない。本心からきた言葉だった。 共に戦う同僚武将として名無しはギン千代とも何度か一緒に戦場に出ているし、プライベートな面でもそれなりに交流がある。 名無しが戦場で負傷した際、名無しの背中を守るようにして敵と戦い、手を貸してくれたギン千代。 名無しがギン千代を労おうとして手料理を作った際、最初は『…この立花にか?』と面食らった顔をしていたが、ちゃんと残さず食べてくれたギン千代。 普段はキリッとしていて一分の隙もないくらいに鋭いオーラを纏っているけれど、食べ終わった後にはほんの少しだけ微笑んで『美味だった』と褒めてくれたギン千代。 立花の家を守る為に、女だてらに武人としての生き方を全うすべく厳しい鍛錬に身を委ねてきたギン千代。執務の合間、ちょっとでも空き時間があれば自分を高める訓練を怠らないストイックなギン千代。 普通に女性の衣装を着て化粧も整えたらどれだけ麗しい美女になるだろうか、と容易に予想出来るくらいに勇ましい鎧姿でも美しいギン千代。凛とした佇まいの男装の麗人、ギン千代。 名無しはギン千代を褒める言葉はいくらでも出てくる。ギン千代との思い出や彼女の姿形なら目を瞑っていてもいくらでも思い出せる。 一人の女性として、友人として、人間として。つまりはそれだけ大好きなのだ、ギン千代の事を。 男性として大好きな宗茂の事だけではない。自分にとっては恋敵────でもあるギン千代の事も同じくらいに大好きなのだ。ギン千代は名無しにとっても大切な友人なのだ。 だからこそ、自分の正直な気持ちと二人の事を応援したい気持ちが重なり、それらが複雑に絡み合い─────余計に苦しいのだ。 「……そうだな」 名無しの言葉に同意を示すようにして、宗茂が重ねる。 「君の言う通り、ギン千代はとても強い女性だ。美しいだけでなく内面もしっかりしていて芯がある。剣の腕も立ち、戦場を駆け抜ける姿は戦の女神のような神々しさと頼もしさだ。立花の娘としてその名に恥じない誇り高く厳格な性格で、彼女はきっとよい女領主になるだろう……」 正直な見解を述べるといった様子で、宗茂が夜空を見上げながら静かに語る。 宗茂とギン千代が仲良くしているのは嬉しい。二人が夫婦になるのは一同僚の立場として嬉しい。 心の半分では確かにそう思っているはずなのに、宗茂がこんな風にして率直にギン千代への思いと賛辞を述べる度、名無しの心はひっそりと傷付いていた。 宗茂の事は好き。ギン千代の事も大好き。ギン千代が宗茂に褒められるのは嬉しい。 ────なのに、どうして。 自分でもよく分からない負の感情に、名無しは悩む。 宗茂は何も悪くない。ギン千代だって悪くない。 でも、二人が結婚するというだけでこんなに辛い思いをしてしまうなんて。宗茂の妻になる女性だと知っただけで、あんなに大好きだったギン千代に対してこんな感情を抱いてしまうだなんて。 自分でも上手く抑えきれないくらい、強烈な感情。醜い感情。 そんなモノが他ならぬ自分自身の中にあったという事自体、名無しにとって二人の結婚以上に認め難くて何よりも苦しい出来事だった。 [TOP] ×
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