異次元 | ナノ


異次元 
【※ただしイケメンに限る】
 




「きゃっ…、夏侯覇様だわ!」
「夏侯覇様、こんなところでお会いできるなんて感激ですっ。今からどちらへ行かれるのですか?」

男の姿を認めた途端、近くにいた女官達がにわかに色めき立つ。

「おー、お疲れ。今から昼飯でも食べに行こうとしていたところだよ」
「そうなんですか。夏侯覇様は、何をお召し上がりになられるのですか?夏侯覇様のお好きな物とか、私、知りたいですぅ」
「んんん…、そうだなあ。今日はどっちかっつうとガッツリ肉でも食べたい気分かなあ。あんたたちもしっかり食べろよ。人間、食べられる時に食べておかないと、肝心な時に力が出ないからさ」
「はーい!ありがとうございますっ」

きゃっきゃっと、自分に話しかけられたことに心底嬉しそうな声を上げて喜ぶ女官達の様子を目に留めて、夏侯覇は苦笑した。

男性にしては小柄な部類に入る160pの身長に、童顔なせいか実年齢よりも異様に若い外見をもつ夏侯覇だが、中身は父親譲りの性格を持つ立派な武将だ。

その身長と顔立ちも相まって、カッコいいというよりも可愛いというイメージが沸きやすく女性達の母性本能をくすぐりまくりであるものの、良く見ると非常に端正な面持ちの美青年。

女達の華やかな嬌声や媚びるように甘い眼差しは、いつだって自分にまとわりついている。

物心ついた時からそれは十分に自覚しているし、もういい加減慣れたような気もするが、それでもやっぱり意識すると肩が凝っちまうわ、というのが夏侯覇の本音だった。

慕ってくれるのは男として有り難い事だが、たまには女の声のしない静かなところでのんびりと過ごしてみたいぜ…、などとモテない男性達が聞いたら怒り心頭レベルの贅沢な悩みを抱きつつ、ふと前方を向いた夏侯覇の視界に見知った二人の人物が映し出された。

夏侯覇から見て左側斜め前方の廊下と右側斜め前方の廊下からそれぞれ歩いてきた人々は、丁度Y字路の左右が交わる点で顔を合わせる。

「!」
「……あっ」

左右から近づいてきた人物は、司馬師と名無しだった。

落ち着いた足取りで歩いてきた司馬師と、急いでいたのか、小走りに近い速度で歩いてきた両者はここに来て相手の姿を認め、互いを見つめる視線が絡まる。

「……お前か」
「……子元……」

ぽつり、と、二人の唇から同時に言葉が零れる。

声をかけよう、と思った。

遠くから「おーい!」と呼ぼうと思った夏侯覇だが、そう告げたきり、互いに二の句が継げずに相手の顔を見たままでその場に立ち尽くす司馬師と名無しの様子を目の当たりにして、やっぱりやめておこうと思い直す。

何だか変だな。あの二人。

司馬師殿と名無しって、前からこんな風だったか?

俺の記憶の中にある二人の関係は、もっとこう、名無しが明るく司馬師殿に声をかけていたような。

彼の父親である司馬懿殿と一緒に仕事をしている関係からか、司馬師殿と名無しは一緒に遠乗りに出かけたり、仕事終わりに城下町で食事をする事もあるくらい、そこそこ親しい間柄だったように思うんだけどな。

そんなイメージを抱いていた夏侯覇の予想を外れ、今目の前にいる二人の間には微妙な緊張感が走っている。

いつも通りの涼しい顔で立っている司馬師の美貌からは、彼の真意を読み取ることは困難だ。

しかし、名無しの方はと言えば興奮からなのか焦りからなのか、微かに頬を上気させ、彼女の瞳には困ったような色が滲んでいる。

えーと。なんだこれ。俺の知らないところで喧嘩でもしていたのかな。

ひょっとして、やばいところで会っちまったかな。

もしかして、修羅場?

夏侯覇が居る場所が上手い具合に太い柱のすぐ後ろだった為、司馬師達には自分の存在が気付かれずに済んでいるようだ。

声をかけるか、知らないフリをして通り過ぎるか、いやいや、俺はその手前の廊下を曲がって食堂に行きたいんだけどなあ…、などと夏侯覇が考えている内に、低い男の声が聞こえてくる。

「……今から休憩か?」

先に沈黙を破ったのは司馬師だった。

その言葉につられるようにして、名無しが短く声を絞る。

「うん……」
「食事はもう取ったのか」
「まだこれからだよ。食堂にお昼ご飯を食べに行こうと思っていたところ。子元は?」
「奇遇だな。私もだ」
「えっ」

司馬師の返事を耳にした名無しは驚いたように顔を上げたが、それは柱の陰から話を聞いていた夏侯覇も同様だった。

(ええっ…、二人とも食堂に行くところだったのか!?まじかよー、このまま俺も出ていくと完全に鉢合わせなんだけど)

目指す方向が同じなのだから今さら引き返す訳にもいかず、夏侯覇はギョッとした顔をする。

「では行くか」
「……。その……」

軽く頭を傾けて食堂の方へと促す司馬師の対応に、名無しはますます困った素振りで男から視線を反らす。

「早く行かないと目当てのメニューが無くなるぞ。ああ見えて、城の奴らには結構人気の場所なのだからな」
「……子元。良かったら、先に行ってくれないかな?私、忘れ物をしちゃって」
「ほう。ならば一緒にお前の部屋に戻るとするか。実は私もそちら方面の部署に顔を出す用事があったのを思い出した」
「!そ、それは…」

司馬師が形の良い唇に薄い笑みを浮かべると、名無しの顔にサッと怯えの色が走った。

─────見抜かれている。

司馬師に抵抗できない苦しさと、己の考えを見透かされている敗北感に染まった切ない色だ。

名無しは脳内で思考を巡らすようにして一旦視線を伏せたが、やがて諦めたのか、ふうっ…という小さな吐息を漏らすと共に男の顔を見返した。

「ごめんなさい、子元。やっぱり後で取りに戻るから大丈夫」
「そうか。では問題ないな。行くとしよう」
「……。」
「どうした。何故歩こうとしない。いい加減、遅くなるぞ?」
「……。子元、私……」

まるで男と一緒に歩く事を拒否しようとするかの如く、名無しは食堂に向けて足を運ぶ動作を拒む。

普段から人懐っこく、誰に対しても分け隔てなく親しい態度で接する彼女にしては珍しい。

(おお…、まじか……。やっぱり喧嘩でもしてたのかな。あの名無しが、他人にあんな接し方をするなんてよっぽどだぜ。司馬師殿に、相当キツイ事でも言われたとか?)

まあ、有り得る。

司馬師は父親譲りの輝くばかりの美貌を持ち、鍛えられた筋肉を纏うしなやかな体躯と、女心をくすぐる低く魅惑的な声は同性の目から見ても悔しくなるほどにイケメンの条件を兼ね備えているものの、中身もまた父親に似て外見からは想像できないレベルのとんだ怪物だ。

氷のように冷淡で、一部の隙もない美貌と同様に、彼は女性に優しくもなければ甘くもない。

司馬家の男とは思えないほどに気安い態度で女に話しかける弟とは対照的に、突き放したように冷徹な双眼で女を見る事はあっても、愛を囁く事など皆無だろう。


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