異次元 | ナノ


異次元 
【一妻多夫】
 




「…えっと…」

隣で眠る半裸の男に目線を戻した名無しの表情が、動揺に曇る。

この光景だけ目にすれば、十人中十人が『事後』だと思うであろう二人の姿を鋭利な双眼で捉えつつ、司馬師はげんなりした面持ちで唸る。

「そいつはただの押しかけ男だ。自分の部屋で寝ればいいものを、図々しくも私の部屋まで着いてきた」

心底煩わしげな口ぶりで司馬師が説明してくれた内容によると、あの時名無しが完全に意識を失った為に、仕方なく司馬師が彼女を自分の部屋まで運んでくれたとの事。

本来であれば名無し自身の部屋に連れて行くのが筋ではあるが、宴会場からの距離的な関係で名無しの部屋よりも司馬師の部屋までの方がずっと近く、また、遠い位置にある名無しの部屋までわざわざ運んでやるのが面倒だったから、だそうだ。

名無しの様子がおかしい事に気付いた時、司馬師と司馬昭は即座に互いの役割を振り分けた。

宴会好きで、普段から色々な人々の席を渡り歩いている司馬昭であれば、突然弦義達の席に押しかけても何の違和感も無い。

そしてまた、宴席に留まり続ける事があまりなく、普段から時々外の空気を吸いに席を外している司馬師であれば、途中で抜け出てもそれほど不審に思われない。

あの場で瞬時にそう判断した司馬昭が酒を持って弦義達の足止め役を引き受け、代わりに司馬師が自然な流れを装って部屋を抜け出し名無しの後を追ったという訳だ。

この私が、なんでまた。

苛立ちを覚えつつ慣れた手つきで女の衣服を剥ぎ取り、部屋の隅に適当に投げ捨ててとりあえず名無しをベッドに寝かせた後、司馬師は弟の加勢をする為に再度宴会場へと足を向ける。

司馬師が戻った時には、司馬昭は弦義一味の足止めに成功し、すでに大量の酒を追加して飲み比べが開始されているところだった。

そこに何食わぬ顔をして司馬師も参戦し、二人がかりで弦義・応矯・伏威の三人を完全に酩酊させた後で、司馬師が部屋に戻って寝ようとしたら何故か司馬昭もついてきた。

名無しが下着姿で寝ているのを目にした司馬昭は一瞬驚いたような顔をしたが、司馬師が事情を説明するといつもの調子で『はあ、そうですか』と返事をし、大きなあくびを一つ漏らすと名無しの隣に腰を下ろす。

自分の部屋に戻れと司馬師が訴えるも、

『だって眠いし、無理です』

と言って上着を脱ぎ、あっという間に上半身裸の状態になって司馬師の制止も無視してベッドの上で横になり、すぐに寝息を立て始めた────というのが事の顛末らしい。

「……。」

名無しは言葉を失う。

この恰好で何も無かったと言われても、普通は信用できないだろう。

もし自分の恋人や伴侶、または自分自身がそういう状況に置かれていたとしたら、はいそうですか、とそう簡単には納得しないはずだ。

ましてや、『あんな事』をしたという前科のある彼らだ。

しかしながら、確かに名無しの体には何の痕跡も残っておらず、これといった違和感も感じられない。

確かに司馬師も司馬昭も、もともと女性には一切不自由しておらず、女日照りの続いている男性に比べてみればそれほどガツガツしていないタイプ……本来は、だ。

司馬師のストレートな語り方からは、この期に及んでつまらない嘘を吐いているようにも思えない。

「そ…う、だったの…」

掠れた声が、名無しの唇から漏れる。

何の気まぐれなのかよく分からないが、要するに、司馬師と司馬昭が弦義達の魔の手から自分を守ってくれたという事なのだろうか。

そんな事になっていたとは全然知らなかった。

「う…、もう朝…?」
「!子上…」

司馬師達の会話で意識が呼び戻されたのか、司馬昭が呻く。

眠りを妨げられ、虚ろな眼をした司馬昭は窓の方に顔を向けると、不満げに眉間を寄せる。

「なんだよ…まだ薄明りの状態じゃんか…もうちょい寝かせてくれ…」

夜が明けたばかりの時間帯である事を感じ取り、二度寝の体勢に入ろうとする弟を見て、司馬師が溜息を吐く。

「自分の部屋で寝ろと言っているだろう。お前みたいなでかい男がいたら私が眠れないだろうが」
「ん…、多少詰めれば何とかなるんじゃないですか…」
「男と添い寝など真っ平ごめんだ」
「俺だってそうです」
「今度私のベッドに勝手に上がったら、お前のベッドを破壊してやる」
「可愛い可愛い実の弟に対して、冷たいですねえ…。繊細な俺と違って、兄上はソファーでも平気で寝られるでしょう?」
「それはお前だ」

名無しは兄弟のやり取りを愕然と聞いていたが、やがて何かに気付いたように慌ててシーツを手繰って自らの身体を覆い隠すと、今更ながらに赤面した。

「子元、子上。そういえば弦義殿達はどうしているの?本当に、あの人達が…」

司馬師の推測からすると名無しをこのような目に遭わせたのは弦義達だという話だが、彼らが酒に薬を混入するという直接的な現場を目撃した訳でもないので、にわかには信じ難い。

「あー、あいつらね…。俺と兄上で尋常じゃない量の酒を飲ませてやったから、今頃意識が飛んでいるんじゃないの。俺達が退席する時、全員立ち上がれない状態で床の上に倒れていたっけ」

意識がない!?

名無しはそこまで酔いつぶれる程の酒を飲んだ事がないので実感が湧かないが、想像するだけでもかなり危ない状態なのではないだろうか。

「それって大丈夫なの!?意識がないなんて…」
「さあな。あれだけ飲んだら急性中毒で死んでいるかもしれん。実際に脈を測って死んでいるのを確かめた訳でもないので、分からんがな」

驚愕する名無しを無視して、司馬師があっさりと言い放つ。

「俺的にはそっちの方がいいんだけどさ。生かしておくとろくな事をしない奴らだっていうのは確かだし、また懲りずに名無しを狙ってくる可能性もあるし。いっそ三人とも倒れてくれれば、まとめて始末が出来て話が早いのに」

上半身だけを起こした姿勢で、司馬昭は淡々と語る。

話し方こそのんびりとしているが、司馬昭の顔付きを見る限り、ただの冗談で言っているとは思えない。

「…そんな…」
「名無し…。自分が何をされたのか本当に分かっているのか?お前は知らないだろうが、話を聞く限り奴らは札付きのワルだ」
「……っ」
「お前だけではなく、今までにも大勢の女達が同じ目に遭っている。権力者の息子なので何も咎められていないだけだ。おそらく、これからもな」

まあ、私や昭も人の事は言えない訳だが。

肝心な部分は言葉に出さず、心の中だけで司馬師は述べる。

(飲み比べを持ち掛ける利点は、『他意はなかった』と言い逃れが出来る事だ)

宴会は日常の延長線上の行為であり、殴り合いや殺し合いといった直接的な暴力行為とは違う。

よって単なる酒の席でのやり取りであり、つい羽目を外し過ぎてしまっただけなのだ、と。

これで万が一、本当に弦義達が命を失ったとしても、自分達に悪意など何も無いのだと。

まさかこんな事態になってしまうとは
もうその辺にしておいた方がいいんじゃないですか、って俺も一応止めたつもりなんですけどねえ…

大袈裟に驚いたり悲しむフリをする事で、あくまでも『不幸な事故』であると主張出来る。

そんなこちらの心の内など、名無しは一切知る必要はないし、教えてやるつもりもない。


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