異次元 | ナノ


異次元 
【一妻多夫】
 




(確かに、昭の言う通りかもしれんな)

もし、昭の言う奴らの人物評が全て事実だと言うのなら。

今日自分達が来なければ、名無しの身にどんな事が起こっていたのか想像に難くない。

大勢のいる場所で騒ぎを起こすような愚かな弟ではないと知っているが、それでも今後の展開によっては拳が飛びかねない司馬昭に代わり、自分が三人組の元へ行くべきか。

ここまでのやりとりを時間にするとほんの数分ほどだが、それでも司馬師と司馬昭が幹事と別れた後もその場で話し込んでいるのを気にして、どうしたんだろう?と言いたげな視線があちこちから飛んでくる。

これ以上この場に留まっても、悪目立ちするだけだ。

「そろそろ行くぞ、昭。二人で動くと目立つから単独で動く。私は挨拶も兼ねて左側の列から攻めていくから、お前は右半分を頼む」
「承知しました。宴会は俺の主戦場ですので、お任せあれ」

司馬昭は兄の言葉に頷くと、にっこりと笑う。

すでに司馬師と司馬昭の両者には、普段通りの『外向け』の顔が作られていた。

名無しが自分達との関係を表に出したくないと望む以上、名無しの隣を占領したり、長時間キープして見張り続ける事は不可能だ。

だとすれば、他人に悟られないように適度な距離を保ちながら、それでいて名無しの周囲の動きに気を配っておかなければならない。




(凄いなあ…。さすがは子元に子上)

遅れてきたにも関わらず、何の躊躇いもなく人の渦の中へ突入し、しかも自然に溶け込んでいる二人の姿を目の当たりにして、名無しは深々と感心していた。

さすがに彼らの方が名無しよりは交際関係が広く見知っている顔も多いだろうと思えるが、それでも完全に別の課の飲み会であり、別段親しいと言える相手がいないという条件はそう大きく変わらないはず。

それでもなお、求められれば慣れた所作で握手に応じたり、何人もの相手から同時に話しかけられても器用に応じている司馬師と司馬昭を見ていると、こういった社交の場における彼らの経験値の高さを感じずにはいられない。

「お久しぶりです、燕尾殿。先週行われた城壁の補修工事の件では大変お世話になりました。父も燕尾殿が紹介して下さった技師達はいずれも腕が良く信用できると申しておりまして、心より感謝している次第です」
「なんと!お父上の司馬懿殿からそのようなお言葉を賜れるとは、身に余る光栄です。こちらこそ、その節は誠にありがとうございましたと司馬懿殿に是非よろしくお伝え下さい」
「承知致しました。そういえば、燕尾殿のご息女が先月お健やかな男児を出産なさったとか。確か初孫ではありませんか」
「おお…!そのような事を、司馬師殿がご存じだったとは…!そうなのですよ、待望の初孫で、しかも男児を産んでくれたのです!無事に跡取りが生まれた事がそれはもう嬉しくて…」

普段それほど付き合いのなさそうな相手に対しても、司馬師は見事に会話をこなし、しかも相手のごくプライベートな話題にまで言及している。

司馬師さえその気になれば、ここにいる全ての人間と個人的なやり取りが出来そうな勢いだ。

恐るべき情報収集能力、そして記憶力の高さである。

「いやいや、それはさすがにないでしょう。相変わらず冗談がお好きですねえー」
「もう…、司馬昭殿ったら!冗談などではないです。私、本気です!」
「へえ、そうなんですか?でも、俺はどっちかっていうとご主人の気持ちの方が良く分かるかなあ。こんなに美人な妻を貰っていたら、俺だって色々とヤキモチくらい焼きますって」
「まあ、うふふ…。司馬昭殿って、お上手なのねっ」

兄とは全く方向性が異なるが、司馬昭もまた笑顔で近隣の人々と話題を繋いでいた。

一見ただの軽薄なトークに思えるが、相手によって態度を変えているようで、堅物相手にはそれなりに真面目な話を、世間話や下ネタトークが好きそうな相手にはそれなりに緩い話題を振っている。

司馬懿の息子として父と一緒に酒席に臨む機会も多々ある以上、『人の多い場所は苦手で…』『人見知りなので…』なんていう甘えや言い訳は許されない。

誰と一緒に居ても、どんな場所でも、司馬一族の人間として如才なく振る舞うスキルが彼らには求められる。

何よりも名無しを感嘆させたのは、さっきからあんなに大勢の人からお酒を注がれ、次々に飲んでいるというにも関わらず、司馬師も司馬昭も酔っている気配を微塵も感じさせないという事。

≪酒に酔って醜態を晒すなど司馬一族の人間にあるまじき事であり、他者の前でそのようなみっともない姿を見せるなど言語道断≫

というのが司馬懿の持論だが、どれだけ飲んでも顔色一つ変えない司馬師と司馬昭の姿を見る限り、父の教えはしっかりと息子達に継承されている。

元々それほど酒が強いという訳でもなく、2〜3杯飲んだだけでほんのりと頬が赤くなり、フワフワした気分になりやすい名無しからしてみれば、何杯飲んでも平常運転可能な司馬師と司馬昭は化け物としか思えない。

「何やら考え事かな?名無し殿」

半ば羨望交じりの目でぼんやりと司馬師達を眺めていた名無しに気付き、応矯が呼びかける。

「さっきからずっと司馬師殿と司馬昭殿を見ているように思ったんだけど。やっぱり名無し殿もああいうタイプの男性が好きなのかな。ひょっとして名無し殿も実は隠れファンとか、司馬兄弟の追っかけとか?」
「ち…、違います!私、そんな風じゃ…」

応矯の質問に、名無しはブルブルと首を左右に振って答える。

「その、何と言いますか。司馬師殿も司馬昭殿も物凄い勢いでお酒を飲まれているので、単純に凄いなあって思いまして」
「ああ…それは確かに。さっきから凄い飲みっぷりだもんねえ。あのお二人は酒豪揃いの武将達の中でもかなり上位に入るらしいけど」
「そうなんですか…」
「実際に目にしてみると圧巻だよね。あそこまで強いと、名無し殿がすっかり目を奪われてしまうのも仕方ないか」

テーブルで頬杖をつきながら、応矯もまた司馬師達の方に視線を向けた。

飲み会開始から一時間ほどが経過して酒が進んできた為か、名無しに話しかける男の口調は出会ったばかりの時に比べてかなり砕けたものに変化している。

「いいじゃねえか。さっすが男子!ってもんだろう。女じゃあるまいし、やっぱ男は酒が飲めてナンボだよなー。なっ、名無し殿!」
「え、えーっと…」

唐突に同意を求められ、どう答えたものかと名無しは返事に詰まった。

名無しに対して砕けた口調になっているのは、応矯だけではない。

この伏威という男、最初はそこそこ普通にしていたものの、酒が回ってくると途端に周囲の女達に対して馴れ馴れしさを発揮し始めた。

『いいじゃねえか、別に減るもんじゃないしよぉ』
『これくらいで恥ずかしがるなよ。そんなにぶりっこすんなって!』

同じテーブルに着いている女性だけでは飽き足らず、トイレに行く為であったり知り合いのいるテーブルに移動する為にたまたま自分の近くを通りがかった女性までにも食指を伸ばす。

お尻を触るだの、裾をめくるだの、腰を抱き寄せるなどやりたい放題。

体育会系の軽いノリと言えば聞こえはいいが、やっている事は立派なセクハラだ。

「で、名無し殿。さっきの質問だけど、あんたは結局どれが好き?」

ニヤニヤと、笑みを張り付けた伏威から投げつけられた問いの下品さに、名無しの眉間に他人からは分からない程度の微かな皺が寄る。

普段の仕事内容やお互いの出身地、好きな食べ物、休日の過ごし方等を語り合っていたのは飲み始めて最初の頃だけで、途中からは段々話の内容がいやらしい方面へと進み出し、今やセックスの際、名無しはどんな体位が一番好きか≠ニいう質問まで平気で振られている状態だった。

名無しがどんなに曖昧な返答でお茶を濁しても、他の話題に切り替えようと試みても、

『なあなあ。いーじゃん。もったいぶらずにさっさと教えてくれよ』

といつまでも絡んでくる始末。

よほどの事では他人に腹を立てる事のない名無しでも、さすがにこれには辟易した。

────いい加減、しつこい。


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