異次元 | ナノ


異次元 
【一妻多夫】
 




「ふうん。そうなんですか。あなたが……」

弦義はそう告げたきり、何も言わずにじっと名無しを見つめた。

じっくりと、頭の天辺から爪先までまるで名無しという女性を品定めするような目線だ。

「…あの、私が何か…。私の顔に、何かついていますか?」
「!」

どことなく居心地の悪さを抱き、たまらずに名無しが男に疑問をぶつけてみると、男が瞳を大きく開く。

「これは失礼致しました。あの高名な司馬懿殿と共に執務に当たられている名無し殿にお会いできるのは初めてでしたので、幾分野次馬根性が出てつい見つめてしまいました。噂通り、とてもお優しそうな方ですね」
「噂、ですか?」
「仕事熱心で、誰に対しても優しい。頑張り屋で素直、料理上手で気配り上手。内心『俺の嫁』と呼んでいる男達が何人もいるとかいないとか。あくまでも、僕が耳にした限りの噂ですが」
「そ、そんな…、それはさすがに言い過ぎです!私なんて全然そんな風ではありません。仕事でも仲…、じゃなくて、司馬懿殿にまだまだ教えて頂いたり怒られる事ばかりで…」
「ははっ。別にいいじゃないですか、謙虚な方だなあ。それに…、あなたのような雰囲気の女性、僕はとっても素敵だと思いますよ」
「えっ」
「端的に言えば、好みです。噂に違わず…魅力的だ。ああ、すみません。こんな話をしている場合じゃなかったですね。席をお探しでしたっけ?」
「は…、はいっ…」

この日初めて出会ったばかりの相手からさらっと『好み』だと告げられて、名無しはたじたじになる。

良く見れば、とても仕立てのいい服を着ている。きっとそれなりに地位の高い男性だろう。

それなのに、自分のような新参者の女にも気を遣って声をかけてくれる。

優しそうな男性だなあ……。

「とは言え、ざっと見た感じ、どこが空いているかなんて良く分からないですよね。ああそうだ。もしよろしければ、僕の居るテーブルに来ませんか?確か女性も数人いましたし、僕の同僚もいますけど」
「え…。よろしいのですか?ご同僚達と楽しく過ごされている所に、私がお邪魔してご迷惑ではないでしょうか」

男性ばかりの席ではなく、女性も何人か居るというのは心強い限りだが、そんなところに自分が参加するなど邪魔者ではないかと名無しは案じた。

「全然!男の同僚は僕も含め20代のやつらばかりで、若い世代が多いんで、ちょっと騒がしいかもしれませんけど。もっと年上の方がお好きですか?40代、50代の上司がいる席とか」
「いえ、そんな…!二課と三課の方にはあまり面識がありませんのに、いきなり上司の方とご一緒させて頂く方が何だか緊張しちゃいます」

名無しが思わず両手を顔の前で振って辞退の意を表明すると、つられるようにして弦義が笑う。

「あはははっ。ですよね!でしたら、僕たちの席にご招待致しますよ。さ、こちらへどうぞ」
「あっ…」

親しげに右手を掴まれ、名無しは反射的にびくりと肩を震わせた。

女性をエスコートするのに手馴れているのか、そんな名無しの様子を別段気にする事もなく弦義が彼女の手を取って自分の席へと誘導する。

あれよあれよという間に、弦義の席に連れて来られてしまった。

弦義が名無しを連れて歩いて来るのを目撃した同僚らしき男性が、弦義に向かって声を張り上げる。

「おっ。急にいなくなったと思ったら女性を連れて帰るとはお前も隅に置けないなあ」

すると、その声で気付いたのか、その隣に座っていた男性も名無し達の方を向く。

「弦義。そちらの方は?」

名無しが自己紹介をしようと口を開くよりも、同僚の紹介をする弦義の対応の方が早かった。

「ご紹介致します、名無し殿。こちらの馴れ馴れしい男が伏威。で、こちらの女みたいな顔した男が応矯。二人とも僕と同じ二課の同僚です」

弦義の話によると、先程声を張り上げた黒髪短髪の体育会系っぽい男性が伏威で、長い髪を片側で纏めている男性が応矯という名前のようだ。

並んでいると全く正反対のように見える二人の男性だが、どちらも弦義と同様にかなり整った顔の持ち主で、普段から女性に不自由していなさそうな印象を受ける。

「初めまして。私は名無しと申します。お知らせを拝見して、二課と三課の合同懇親会に今日初めて参加させて頂きました。どうぞよろしくお願いいたします」

名無しが礼儀正しくお辞儀をすると、弦義は微笑みを浮かべながら伏威と応矯にそれぞれ視線を送る。

「なんとこの名無し殿は、司馬懿殿と仕事をされている方らしいぞ。ほら、あの噂の」
「!!」

名無しを見る伏威と応矯の目が、驚きの色とともに大きく見開かれた。

「へえ…。この女性が…」
「……。」

先刻、弦義が名無しに見せたのと同じ反応が二人の男性に表れた。

ジロジロと、半ば無遠慮に感じるくらいの強い視線が名無しの全身を舐めるように絡みつく。

「おいおい。いくら名無し殿が素敵な女性でも、そんなに見るのは失礼だろう。気を悪くしないで下さいね?名無し殿。こう見えて、伏威も応矯も中身は結構いい奴らなんですよ」
「こう見えて、は余計だろう弦義。名無し殿、良かったらここに座って下さいよ!残念ながら、俺と応矯の隣しか空いていないけど」

ハハハ!と豪快に笑いながら、伏威が自分と応矯の間を大きな手でポンポンと叩いて合図する。

(そ、そうなんだ。本当は女性の隣が良かったんだけど、仕方ない…)

ここまで連れてこられた以上、そして弦義達が厚意で言ってくれているのだとしたら、それを断るのはさすがに野暮というものだ。

意を決した名無しは失礼します、と呟いて、両隣に頭を下げつつ伏威と応矯の間に着席した。

「…意外だな」
「えっ?」
「仕事に対しては人一倍厳しいと評判の司馬懿殿のシゴキに長い間辞めずに耐えているというのだから、どれだけタフな女性かと思っていたんだけど。てっきりもっと気が強そうで女丈夫みたいなタイプを想像していたのですが、そうじゃないんですね」

女性と見紛う顔立ちの応矯が、頬にかかっていた髪を耳にかけながら名無しに語りかける。

纏まっている髪を下ろすと、きっとかなりの長髪だろう。

女性から見ても日々のお手入れが大変そうな長さに思えるが、編み込みを交えてきちんと纏められた彼の髪はとても艶めいていて美しい。

顔の作りは女性的なのに、前合わせの間から覗き見えるくっきりとした鎖骨のラインが男性的で色っぽくて、名無しはポーッと見とれてしまいそうになった。

(弦義殿が正統派美男子という感じで、伏威殿は体育会系のワイルド系イケメン、応矯殿は郭嘉に似たお色気系の優男っていう感じかなあ)

今まで接点がなかったのでどういう人々なのかは全然知らないけれど、こんな感じの男性達ならきっと二課でもモテる方なんじゃないかな。多分。

初対面の印象について名無しがそんな事を考えていると、不意に宴会場の入り口付近が騒がしくなり、女性達のきゃああっ…!という黄色い悲鳴が室内に響く。


「ええっ…、嘘っ。本当に!?」
「ちょっと…、やだっ…見て見て、司馬兄弟よ!!」
「え────っ!本物?本物よねっ!?」


な……、ん……、だと……!?


女性達の嬌声に誘われるようにして部屋の入り口に視線を動かした直後、まるで目玉が零れ落ちるんじゃないかと思うくらいに名無しは思い切り目を見張った。

そこに存在しているのは間違いなく、自分にとって嫌という程に見知った男性が二人。

司馬師と司馬昭だ。


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