異次元 | ナノ


異次元 
【一妻多夫】
 




「あら!名無し殿、お久しぶりです。お元気していらっしゃいましたか?」
「丙鈴殿!こちらこそご無沙汰しております。丙鈴殿もいらしていたのですねっ」

名無しが突然の呼びかけに驚いてそちらの方を見ると、そこには知っている女性が座っていた。

名を丙鈴(ヘイリン)といって、名無しと同じく主に事務を担う女性文官だ。

「あっ…!その髪飾り、先月お見かけした時にも素敵だなあって思っていました。丙鈴殿のお顔立ちにとっても良くお似合いです」
「ふふっ、ありがとうございます。これ、彼氏が誕生日に買ってくれたんです。今まで彼から貰った贈り物の中で、一番のお気に入りなの」
「そうだったんですね。本当に素敵!丙鈴殿はいつお会いしても全然お変わりなく、相変わらずお綺麗ですね。お肌も陶器のように白くて、見るからにスベスベで、スタイルも良くって」
「もー、やだあ!名無し殿こそ、相変わらず素直な方なんだからあ。そんな本当の事をー!」

あはははっ、と明るく笑いながらバンバンと背中を叩かれて、名無しは苦笑しながら思わずよろめいた。

丙鈴は、いつ会ってもはっきりと物を言う美人だ。

城内でも指折りの権力者の父と凄い美人だと評判の母を持ち、母譲りの美貌とスタイルの良さが自慢の彼女。

性格は父親に似てやや野心家で、働かなくても十分やっていける裕福な家庭に生まれながら、キャリア志向の高い性格の持ち主である。

そんな彼女の事だ。この飲み会へも仕事上のメリット有りと判断して参加を決めたのだろう。

見た目が良いだけでなく、頭の回転もすこぶる速いので、男性に迫られた時の扱い方や、セクハラを受けた時のあしらい方も非常に上手い。

確か、今交際している恋人とは近く婚儀を挙げる予定だという噂を聞いた。

自分も彼女のように、酒の席でちょっかいをかけてくるよからぬ男達を上手にかわせたらどんなにいいかと思うのだが……。

「名無し殿にお会いできるって分かっていたら、席を取っておいたのに。今日は司馬懿殿はご一緒じゃないんですか?」
「はい。今日は城を空けておりまして。何か御用がありましたら、お伝えしておきましょうか?」
「うーん、そうねえー、特に無いかしら。司馬懿殿って遠目で見てもすこぶるつきの美男子だし、一度お隣に座ってお話してみたいのは山々なんだけど。確か司馬師殿と司馬昭殿ってお名前でしたっけ?息子さん達も含めてまるでいい男コレクションみたいな親子ですけど、泣かされた女性達って、この城の中だけでも凄く多いみたいだし。父も息子も、みーんな女の敵なんでしょう?」
「えーっと。あははは…」

ひえええ…。本当に、気持ちのいいくらいにズバズバ言う女性だなあ…!

司馬懿や司馬兄弟の話題になると、瞳を潤ませてうっとりと語る女達が多い中、彼女のような品評をする女性は非常に珍しい。

見知った人間がいなくて不安を覚えていた所だったので、このまま彼女の隣に座ることが出来たら自分にとって一番良かったのだが、残念ながらもう席が埋まってしまっているようだ。

「名無し殿、ひょっとして今日のこの面子だとあんまりお知り合いがいないんじゃないかしら。大丈夫ですか?座る場所はありますか?」
「お気遣いありがとうございます。適当に空いている席を探してみますので、大丈夫です!それでは丙鈴殿、ちょっと行って参ります」
「分かりました。じゃあね、名無し殿。良かったら今度一緒に二人で女子会しましょうね!」
「ええ、是非!」

名残惜しい思いを抱きつつ、名無しは彼女に礼を告げてその場を後にした。

女性という生き物は普段から仲のいい者同士で固まって動く習性があるが、元々女性の参加者が少ないこの飲み会ではその傾向がより顕著に表れていた。

すでに知り合いと思われる同士でグループ分けが出来ており、単独で席についている女性は一人もいない。

誰かの所に混ぜて貰おうかと思ったが、そもそも、女性の隣が全然空いていない。

(どうしよう)

ただでさえ大人数の飲み会なので、パッと見ただけではどこが空いているのか瞬時に判断し辛い。

知人がいない為、席に呼んでくれる人間もおらず、キョロキョロと名無しが周囲を見回していると、背後からポンと肩を叩かれた。

「何かお困りですか?」

名無しが振り向くと、知らない男性が立っていた。

柔らかな微笑みを浮かべて名無しを見据える若い男性は、年齢的にまだ20代くらいだろうか。

薄茶色の髪は肩にかかるくらいの長さで、くっきりとした二重にスッと通った鼻筋で、人形のように端正な顔をしている。

曹丕達と同レベルとまではいかなくても、街ですれ違ったら女性達が振り向く程度の結構な美形だろう。

「あ…はいっ。先程到着したばかりでして、どこか空いている席がないかと思って探していたところで…」
「そうですか。この人数だとお知り合いがいても探すのが大変ですよね。もし僕の知っている人間でしたら、一緒に探してみましょうか?」
「それが、二課の方にも三課の方にも、これといった知り合いがいないんです」
「……おひとり、ですか?」

名無しの返事を聞いた瞬間、男の目が意味深な輝きを放った気がした。

しかしそれはほんの一瞬の事で、やはり気のせいだったかと名無しは思い直す。

「今日はどなたかのお誘いで、という訳でもなく?」
「実は、先日回ってきたお知らせを拝見して」
「ああ、あの懇親会の参加募集。それをご覧になって来て下さったのですか?」
「はい。いい機会だなと思いまして、思い切ってお邪魔してみました。他の課ですので、私みたいなのはやっぱりご迷惑でしたでしょうか…」
「いえいえ、とんでもない!紙面に書いてあった通り、どなたでも歓迎ですよ」
「本当ですか?良かった…!」

何だかんだで少し心細さを覚えていたところだったので、親しげに声をかけてくれる存在がいて名無しは内心ホッとした。

胸に手を当てて、名無しが安堵の溜息を漏らしていると、男の薄い唇が笑みを形作る。

「申し遅れました。僕、二課の弦義と言います。あなたは…」
「こちらこそ、名乗りもせず失礼致しました。私は名無しと申します」
「……!!あなたが名無し殿ですか。司馬懿殿と一緒に仕事をされているという、あの」
「ええっ?あ、はい。その…」

驚いた声を出され、名無しは若干言葉に詰まった。

自分は全く目の前の男性の事を知らないが、逆に向こうは自分の名前を知っていた。

普段一緒に過ごしているせいでつい忘れがちになるが、城内で司馬懿の名前は広く知れ渡っており、彼と仕事をしている自分の名前もついでにそこそこ知られているらしい。


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