異次元 | ナノ


異次元 
【一妻多夫】
 




確かに司馬師の言う通り、全く別の課に所属している名無しには本来何の関係もない話であるが、こういった職場での飲み会は、文字通りの飲み会という以外に業務の一環≠竍仕事の付き合い≠ニいう一面を含む。

飲み会という行事の趣旨をそのように捉えていた名無しは、懇親会のお知らせを見て悩んだ結果、出席にチェックを入れて返した。

今までにも暑気払いや忘年会、新年会のお知らせなど何度も目にしていたものの、仕事との兼ね合いでなかなか予定が合わずに欠席してばかりだったので、この機会に少しでも顔を出しておこうと考えたからだ。

この日、司馬懿は曹丕の供をして現在建築中の砦の視察に出かける事になっていた為、日程的に彼が参加する可能性がゼロであった事も名無しにとっては大きい。

同僚という名の調教師…、もとい、鬼コーチが不在であるという点から、

(これなら、今回の飲み会はあんまり緊張しなくて済む。久しぶりにリラックスして他の人とお話出来るかも)

と思い、彼女の中でより参加しやすく安堵する要素の一つになっていた。

曹丕と司馬懿が昨日から城を空けていなければ、あのようにして司馬師や司馬昭に襲われることもなかったのかもしれない。

しかし、彼らがたまたま現在名無しの傍から離れているからこそ、昨晩の一件やキスマーク諸々も含めて即座に彼らに悟られる、という恐ろしい結末を僅かな時間ながら回避できているという見方もある。

今となっては、曹丕達が不在だったのは名無しにとって不幸だったと言えるのか、それとも、逆に幸いだったのか……。

「最近は全然職場の飲み会に出席していなかったから、たまには顔を出した方がいいのかなって思って参加希望を出したの。私はお酒が強い方ではないけれど、1〜2時間だけの参加もOKって書いてあるし、それならあまり気負わなくても大丈夫そうだなって」

名無しは、出欠表に記入した時の気持ちを思い出しながら答えた。

職場の飲み会には参加したくない。そう思っている人々も結構いるのではないだろうか。

どちらかと言えば名無しもそうだった。

一口に職場、会社、組織の飲み会と言っても、所属する場所が変わればその内容や雰囲気は千差万別だ。

『飲みニケーション』などと言う言葉まであるが、職場の飲み会であれば全員参加するのが当然のこと。

断る人間は空気の読めないやつ≠ナあり、付き合いの悪いやつ∞自己中心的で、協調性がないやつ≠ナあり、実際にその手の人間は出世コースから外されるという報復まで受ける。

そんな職場もあれば、参加しようがしまいが各自の自由、断っても何の影響もない、職場の人間関係よりプライベートを優先させるのは至極当然の事、それ以前に職場の飲み会という存在自体が無いという職場もある。

前者は往々にしていわゆる古い体質の職場に多く、名無しの所属しているこの場所もまたそういった体質に近い物があった。

そもそも、彼女が籍を置く『城』という空間や『軍隊』という組織自体が元々古くからある規則や規律を脈々と受け継ぐ存在であるのだから、有りがちといえば有りがちな環境だろう。

しかも、古い体質なのは出席云々という部分だけではない。

軍人、兵士、武将、貴族、王族といった具合に体育会系だったり、身分の高い男性達が多くを占める城内では、女性にする考え方もまた旧体質に属する男達が多い。

────いわゆる男尊女卑≠ニいうやつだ。

女に教育など必要ない。変に知識のついた女など小賢しい。男のする事に素直に従わず、口答えをして鬱陶しいだけだ。

女は若ければ若いほどいい。二十歳を過ぎた女などただのババアだ。10代最高。

女など、男に尽くして子を産むだけの存在。女は専業主婦が至高。女は黙って家庭に入って夫をひたすら立て、家事や育児をこなし、夫の求めに応じて涙を流して喜んで股を開き、ただひたすら喘いでいればいいのだ…etc.

よって、飲み会の席でも女性の出席者はかなりの高確率でセクハラを受けるケースが多い。

さすがに王族の姫君であるとか、権力者の妻や婚約者であるとか、高位の武将と交際しているというような女性達であれば男達も恐れおののいて手を出せないが、中の上程度の身分の女性や交際相手のいない女性、身分の低い女官達などは格好のターゲットだ。

酒や食事を運ぶ給仕の女官達などは平気で胸元に手を入れられたりするし、名無しとて酒の席で隣り合った男に太腿を撫でられたり尻を揉まれた事も一度や二度ではなかった。

曹丕や司馬懿、郭嘉や鍾会、そしてここに居る司馬兄弟の隣に座っていた時にはそのような目に遭った事など一度もなかったので、今思えば周囲に対する無言の圧力というか、彼らにずっと守られていたのかもしれない。

しかしながら、今回の飲み会にはそういった意味での親しい相手は誰も同席しておらず、その点が大きな不安と言えば不安である。

そうは言っても、いつまでもずっと他人に守られている立場ではまずくはないか。

一人じゃ参加できない≠ネんて、子供でもあるまいし。

いい年をした大人の女が職場の飲み会一つ満足にこなせないようでは何かと問題があるのでは…等々、散々熟考した上で参加を決めたのが名無しの結論だったのだが、彼女は根本的な部分で勘違いをしていた。

一人で参加できなかったとしても、問題があるのは別に名無しの方ではない。

彼女は何も悪くなど無く、むしろ問題があるのは完全にその手の男達の考え方であり、彼らの方が純粋に悪いのだという事を。

(前回から考えると数カ月ぶりの飲み会かなあ)

普段から一緒に仕事をしている知り合いが一人もいないのはちょっと寂しいし、出席者の中で男の人の割合が多いのが不安だけど、いつまでも仲達や郭嘉達に甘えている訳にはいかないもんね。

よしっ、頑張ろう!

「え。名無しが参加するんですか?二課と三課との合同懇親会って…、ちょっと待って下さいよ!二課といえば、確かあの────」

司馬昭は司馬師と名無しの会話を聞いた途端に驚いた声を放ち、兄が持っているお知らせに手を伸ばす。

「……!いけないっ、もうこんな時間!?ごめんなさい二人とも、私、もうそろそろ行かなくちゃ。始業の準備だけしたら一旦戻ってきて鍵をかけ直すから、鍵はそのままでいいよ。じゃあ、またね!」
「って、おい!名無しっ!!」

司馬昭の制止も聞かず、名無しは仕事道具を抱えて部屋を飛び出して行ってしまった。

予想外のスピードで自分達の前から消えた名無しの後姿を呆然と見送った後、司馬師と司馬昭は改めて件のお知らせに視線を戻す。

「……知り合いがいるのか?昭」

書類を見つめたまま、司馬師が問いを口にする。

「ええ。別に親しくはないんですけど、顔と名前だけは知っていると言いますか。色んな噂を聞いた事がある奴が何人かいるっていうだけで。兄上の方は、誰かご存じの相手がいらっしゃるんですか」
「ざっと見た感じ、4〜5人いるな。私も別段交流のある相手ではないが、名前は聞いた事がある。と言っても、良くない噂だが」
「誰です?」
「二課の一番上の行と三番目。三課の最後とその上。……中央のこいつもだな。他にも見たような名前がいそうだが……」
「へえ、そうなんですか?俺はそいつらは全然知らないです。やっぱり兄上と俺の情報網は違うんですねえ」

複数の名前を示す兄の指先を追うようにして、司馬昭が書類を覗き込む。

「お前はどいつだ?」
「俺はどっちかっていうとここに書いてある二課の弦義(ゲンギ)、伏威(フクイ)、応矯(オウキョウ)ですかね」
「ふむ…。知らんな。どんな奴らだ」

司馬師に尋ねられ、司馬昭が眉根を寄せる。

「あー、なんていうか、クソガキ三人衆ですよ。いつもこの三人でつるんで、ロクでもない事ばかりしているって話です」
「何でお前がそれを知っている?それは信頼できる情報なのか」
「二課の女文官や、こいつらに仕えている女官の中に俺のセフレが3人くらいいますんで」
「本当は?」
「えっ」
「セフレは何人だ?」
「……えーっと」

短い問いに、非難の色は混じらない。

切れ長の目でじっと自分を見つめる司馬師を見て、司馬昭はコホンと小さな咳払いを一つ零すと、観念した素振りで口を開く。


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