異次元 【一妻多夫】 「だから朝一で様子を見に来たって訳。ああその、これはつまり、あれだ…。って一から十まで全部言わなきゃならないのか?あー、めんどくせ!」 戸惑う名無しの視線を受け止め、司馬昭が犬歯を剥き出しにする。 普段のチャラチャラした軽い空気を残しつつも、司馬昭は彼にしては随分真面目な部類に入る表情で名無しの顔を見返した。 「ほら、あれだろ?世間の噂によると、セックス以外の事もするんだろう。それ以外でも時間を作ったり、会いに行ったりするんだろう?本命相手≠チていうやつは」 男が放った言葉の意外さに、名無しは思わず息を飲む。 確かに、彼らは不可解な事を言っていたような記憶がある。 『つまり、私や昭を選べば────他人に言える♀ヨ係になれる、という事だ』 『名無しが望むって言うのなら、何なら明日からでも俺と名無しは付き合っていますんで≠チて公言してもいいですよ』 必要とあらば、父親である司馬懿に言いに行っても構わないとまで。 だがそんな事を突然言われても、信用できるはずなどなかった。 いくら名無しの前で耳触りのいい言葉を紡ごうと、言葉だけでは何の証拠にもなりはしない。 そして、司馬兄弟達の普段の態度からはそれを証明する為の手立てなど有りもせず、また、実際に証明しようと行動するなど天地がひっくり返っても有り得ないだろうと思っていた。 だからこそ、司馬昭が何を言おうとしているのか、司馬昭が何を考えているのか、混乱する思考のせいで名無しは理解が追い付かない。 「ぶっちゃけ、未だにどうすればいいのか良く分かってないんだけどな。周りの奴らが言ってた事とか、飲み会の席で聞かされた恋愛相談だの愚痴だのを思い出して、多分こういう事なのかなーとか思ったり」 「……。」 「今までの俺の人生における女との関係性って、≪セフレ≫と≪それ以外≫・≪ヤッた事がある女≫と≪まだヤッてない女≫の二種類しか存在していなかったもんだから、それ以外の関係性の構築とか未知の世界な訳よ、正直な話」 「……。」 「だからこういう方面における俺は全くの未経験、いわゆる童貞のような立ち位置な訳で…。多少不手際があっても大目に見てくれよな、というか。出来れば優しいお姉様…、いやいや違う、浮気じゃない。誰でもいいって訳じゃないぜ?」 「……。」 「優しい優しい名無しさんに、チェリーボーイな可愛い俺を手取り足取り、腰取り、色々とリードして頂けたらこれ幸い!……なーんて」 口調こそ軽いノリに聞こえるが、語る司馬昭の表情は酷く真面目だ。 眉間に軽い皺を寄せながらポツポツと語る司馬昭の様子から察するに、彼の中ではこれでも相当言葉を選んでいるつもりなのだろう。 長々と説明するなんてめんどくせ、といういつもの司馬昭が見せる態度から考えれば、自分の疑問に答える形でこんな風にしてちゃんと話してくれるだなんて嬉しい、感激ですっ!!などと、キュンと胸を打たれ、絆されそうになる女性がいてもおかしくはない。 世の中は色々な考え方の人間がいる。 全く同じ事をされて、同じ事を言われて、同じシチュエーションに陥ったとしても、受け止め方は人それぞれ。 そして、当の名無しと言えば、司馬昭の言葉に全然感動しなかった。 ≪セフレ≫と≪それ以外≫・≪ヤッた事がある女≫と≪まだヤッてない女≫の二種類しか存在していないとか、よくもまあそんなクズ男発言をいけしゃあしゃあと出来るものだ。 優しく手取り足取り、腰取りリードして欲しいというのなら、私ではなくどうぞ他のお綺麗なお姉様方に頼んで下さい。 子上の馬鹿っ。 もう、最っっっっっ低!! 「……子上……」 「な、なんだよ名無し。何怒っているんだよ、おい……」 「……。」 「頼むから、そんなに冷たい目で見ないでくれよ。俺、また何かお前の気に障るようなこと言っちまったのか?」 「……。」 「いやー、待てよ。これ以上俺にどう説明しろって言うんだよ。俺なりに一晩悩みに悩んで考えた末の言葉なんだぜ?これでもダメだとか、無理ゲーだろ…」 ハーッ、と深い吐息を零し、司馬昭が項垂れた。 溜息を吐きたいのは、むしろこっちの方である。 珍しく気落ちした様子の司馬昭の姿を目に留めて、先刻まで自分の体内で湧き上がっていた怒りが徐々に薄れていくのを名無しは感じた。 無論、今でも十分すぎるくらいに自分は怒っている。 今更何を言われたところで、司馬師と司馬昭の事が許せないのは山々だ。 しかし、こんなトンデモ理論を平気でかましてくる男の姿を改めて間近で目にしていると、湧き上がる感情の種類が次第に変化していく。 怒りをはるかに超えて、困惑と呆れ、絶望と虚無感の方が強いのである。 (子上、本当にそう思っているのかな。本当にこれが子上の中で言う限界説明なんだろうか) わざとでも煽りでもなく、本気で心底からそう思っているのだとすれば、司馬昭は完全に自分とは異なる価値観の元に行動しているという事だ。 ここまで来ると、まるで哺乳類と爬虫類、もしくは地球人と宇宙人と同じくらいのレベルで異なった存在だとしか思えない。 全く別の言語を操る相手との意思疎通を図るのが困難であるように、そんな別次元の世界に住む相手に名無しがどれだけ言葉を尽くしても、 『自分の気持ちを分かって欲しい、どういう事をされると悲しくなるのか知ってほしい、嫌がる事はしないで欲しい』 などと求めるのは、それこそ司馬昭にしてみれば外国語の如く意味不明な内容であり、無理ゲー≠ネのかもしれない。 「子上…。本当に、私の気持ちが分からないの?」 幾分落ち着きを取り戻した面持ちで、深い溜息を漏らしながら名無しは男を見上げる。 情事の余韻がまだ残っているのか、司馬昭を仰ぐ名無しの眼差しはどことなく気怠げで、同時に香り立つような色気を秘めていた。 ゆらゆらと、揺れるような瞳で真っ直ぐに見つめられ、司馬昭がたじろぐ。 「……っ。やめてくれよ本当に。朝からキツイってその目は。腰にくる」 「……。」 「ああもう…、俺に何を言わせたいんだよ?名無し。さっきのが俺の中でのギリギリ限界ラインだってのに。あれ以上言うのは無理。俺、照れるし。照れたりとかもするし……」 唸るように声を絞り出し、切なげな風情で頬を僅かに上気させた司馬昭の表情の、なんという美しい変化だろう。 男がこのように伏し目がちになる事は滅多にない出来事だが、恥ずかしそうに逸らされた彼の瞳を間近で見る機会を得て、思ったよりも長く濃い睫毛に飾られている事をこの時初めて名無しは知った。 (相変わらず、半端でない美形だなあ) 採用時に見た目審査があるのかどうかは知らないが、どういう訳か美形武将が大勢いるこの城で長年過ごして美顔にはすっかり慣れという名の麻痺状態になっていた名無しでさえ、至近距離でまじまじと見てしまうと意識が奪われそうになるくらいに司馬昭は美男子だった。 [TOP] ×
|