異次元 | ナノ


異次元 
【一妻多夫】
 




安心して眠れる夜、などという物を過ごした最後の日は、一体いつの事だったか。



司馬兄弟による二度目の凌辱を受けたのは昨夜の事。

永遠に続くかと思われる程に執拗に責められ、嬲られ、虐げられ。

もうやめて、許して下さいと許しを請う声すら枯れ果てて、精も根も尽き果てた状態でぐったりと司馬昭のベッドに横たわり、完全に意識を失ったのは大体何時くらいだったのだろう。

ただでさえ肉体的に消耗しきっていたはずなのに、辛い事に次の日はどうしても休めない日だと覚えていたからなのか、それともこれ以上彼らと同じ空間で過ごす事への強い恐怖心からなのか、どうやら自分は奇跡的に目覚める事に成功したようだ。

名無しは同じベッドで眠りに就いていた司馬師と司馬昭を起こさないようにと慎重にベッドを抜け出すと、重い体を引きずって懸命に自室に戻った。


─────完全な朝帰り。


柔らかな朝の光は、本来なら名無しの最も好む物だ。

だが、男の部屋から朝帰りするシチュエーションなど、彼女自身は全く希望していなかった。

(こんな所を、誰にも見られる訳にはいかない)

どう考えてみても完全なる被害者は名無しであるはずなのに、何故こんな風に思わなければならないのか。

自分から望んだ訳ではない事の為に、まるで罪を犯した罪人のように人目を避け、息を潜めてよろけながら歩いて帰らなくてはならないなんて、酷く悲しくて、惨めだ。

そうして両目一杯に涙を溜めながら名無しが自室に戻ったのは、今から二時間ほど前。

このまま一週間でも一カ月でも、一年でも、休めるものなら延々と休みたい。

だが、それによって周囲に余計な心配をかけたり、普段と違う事をして不審に思われる事の方を名無しは恐れた。

(こんな事、誰にも言いたくない)

己の身に起こった悲惨な出来事を、城内の誰にも知られたくはないのだから。絶対に。


勿論─────曹丕や司馬懿も含めて。


「……支度、しないと……」

蚊の鳴くような声でポツリと呟くと、名無しは仕方なくといった素振りででタオルを抱き寄せ、ノロノロと緩慢な歩みで浴室へ向かう。

準備をしなくちゃ。

無理な体勢を何度も強いられたせいで、体中のあちこちの筋肉が悲鳴を上げているのは重々承知の上だ。

しかし、このままベッドに倒れ込んで延々と眠り続け、体力回復と現実逃避に努める事が出来る自由などどこにある?

この城内に、今の名無しの状況に対して助けを求められる相手など存在しないし、相談できる相手もいない。

親しい相手はそれなりにいるが、むしろ親しい間柄の相手だからこそ言えない、決して知られたくない出来事もある、というのが名無しの本心だった。

名無しが休んでいる間、代わりに働いて養ってくれる相手もいないし、こんな時間から突然休みを申し出て代理出勤してくれる相手も思い浮かばない。


時間がない。




「ううっ…、ひどい顔……」

愛用している化粧台の鏡を覗き込みながら、名無しは深い溜息を零す。

念入りに体を洗い、髪の毛を整え、丁寧な化粧を施してはみたものの、やはり完全に普段通りというのは不可能だ。

とりあえず目元の隈は大分ましになったような気がするが、自分の顔付きに疲れの色が残っているのは否めない。

一日に何度も性行為をして『お肌がツヤツヤになっちゃった♪』、とか。

複数の男性と乱交をして体中に大量の精液を取り込み、『うふふ。おかげでめちゃくちゃ若返ったカンジ♪』などと発言する女性も世の中には存在するようだが、自分にとっては到底信じられない話だ、と名無しはしみじみ思った。

セックスの際に女性が男性の性器を受け入れる体の構造である事と、情事によって人間の男性の精気を奪い尽くす女性型淫魔・サキュバスのイメージから『吸い取る』という発想が生まれるのだろうか。

……などと名無しなりに想像してみるものの、名無しの場合、男性との性行為で精気を吸い取られているのは毎回常に彼女の方だ。

曹丕といい、司馬懿といい、その息子である司馬師や司馬昭達といい、彼らの基礎体力には驚くべきものがある。

げっそりと疲れ果てた顔で、何とか残りの力を振り絞って出勤する名無しとは逆に、この男達は前日よりも明らかに『回復した』というオーラを身に纏う。

それこそ男性型淫魔・インキュバスの化身であるが如く、名無しからエネルギーを根こそぎ奪い取って己の栄養分に全変換したと言わんばかりに、彼らは普段にも増して色気と妖気を帯びて美しく、若々しく、瑞々しい容貌で出勤してくるのだ。

(やっぱり、私の体力が無さすぎるのだろうか)

自分の努力が足りないのだ、と己を責める名無しだが、別段彼女が劣っている訳ではない。

世の普通の男性に比べて、曹丕達が完全なる『桁違い』なのである。

人間、誰しも今までの経験に基づいて物事を考えてしまうものだ。

普通の男性と一度でもセックスをする機会があればすぐにその違いに気付けるだろうが、とてつもなく運がいいのか、逆に悪すぎるのか、彼女の場合は今まで100%特別枠な男としか行為をした経験がない、という恐ろしい事実を名無しは知らない。

「これ、どうやったら早く消えるんだろう」

先程よりも深い溜息と共に、名無しの眉が悲しげに下がる。

鏡に映る彼女の白い首筋には、くっきりとした赤い跡が二つ存在していた。

言うまでもなく、司馬師と司馬昭によって強引に付けられたキスマークだ。

薄い物なら化粧で何とか隠せるが、ここまで濃い物だと隠し通すのは困難である。

ただの虫刺されです、と誤魔化すには不自然すぎる形と色味は、到底言い訳できる類の物ではない。


もしこれが曹丕や司馬懿の目に一度でも触れたとしたら─────確実にバレる。


(かと言って、『どうしたらキスマークって消えると思う?』なんて、他の人には絶対に聞けないし)

交友関係の種類や個人の性格によっては簡単に聞ける質問だとしても、名無しにとっては非常にハードルの高い内容だ。

自分の事ではなく『友達の話なんだけどね』、とかなんとか言ってまるで他人事のように話を振る方法も無い訳ではないが、全く動揺を見せずにしれっと他人に嘘を吐くことも、曹丕達に怪しまれないように周りに聞いて回る方法も、名無しには難しい。

「どうしよう…。とりあえず首元まで襟のある服を着て、念の為にその上からさらにストールを巻いて、首元を全面的に隠して…」

真剣に悩んでいるせいか、完全に心の声が独り言となって外の世界に零れ落ちている事にも気付かず、名無しはストールを巻く手元に意識を集中させる。


「無駄な努力してるなぁ……」
「!!」


突然、背後から聞こえてきた謎の声。

名無しが驚いて振り向くと、精悍な顔立ちをした美男子が高い位置から彼女を見下ろしていた。


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