異次元 【魂喰いvol.2】 確かに、司馬師と司馬昭の言っている事は、誰が聞いても無理な話≠ニいう訳ではない。 彼らの言う通り、この美しい悪魔の兄弟に憧れ、愛し、彼らに抱かれたい、彼らの恋人や妻になりたいと願う女性達は山ほどいる。 天は二物を与えずどころか五物も六物も、何でも持っている司馬兄弟は、異性の目から見ればまさに『高嶺の花』。 日夜その願いに身を焦がし、叶わぬ思いに泣き崩れている彼女達からすれば、そんな彼らの寵愛を拒む名無しの行為はまさに噴飯ものであり、断じて許しがたいものだろう。 名無しは彼女達とは違って、そういったもの≠ネど最初から望んでいない。 だがそんな名無しですら、いっそ清々しいと思えるくらいの傲慢さで司馬師や司馬昭に説得されると、段々そんな自分の方がおかしいのではないかと思えてくる。 世間一般でいう常識も、倫理観も、道徳も、そんなものは全て無意味で不要だとばかりに嘲笑い。 司馬懿譲りの妖しい眼光を放つ4つの魔眼で見つめられ、拘束され、低さの中に何とも言えず甘さを帯びた妖艶な声で何度も語りかけられると、名無しの意思がドロドロに溶かされて、彼らに洗脳されていく。 情け容赦の無い眼差しで名無しを射抜く司馬師と司馬昭の眼は、まるで竜の棲む洞窟のように底知れぬ暗さと得体の知れない不気味さを兼ね備えている。 二人の眼を、正面から見てはダメだ。 この眼でじっと見つめられると、知らず知らずのうちに彼らのペースに巻き込まれてしまう。 何が理屈で、何が感情で、何が正しくて、何が間違いなのか分からない。 私の頭がおかしくて、彼らの言っている事の方が本当は正しいのだろうか。 私が……、間違っている? 「……名無し……」 名無しをさらなる催眠へと誘う、彼女の名を呼ぶ彼らの美声。 名無しは何かを言おうと口を開きかけたが、あっという間に左右から伸びてきた男達の太い腕の中に抱きすくめられてしまった。 「……随分久しぶりだからかもしれないが、一向に空腹が満たされないのは困りものだな」 「俺もです、兄上。栄養素が全く足りてないって感じがします。こんなもんじゃ全然体中を巡る血が足りない……」 吐息混じりに囁いて、司馬師と司馬昭は名無しの体に回した腕に力を込める。 シュルシュルと巻きつく彼らの体は、まるで獲物に絡み付いて締め上げる二匹の蛇のようだ。 絡み付き、ねじ上げ、獲物の心臓を圧迫し、血液を押し出せなくさせて、殺す。 「う…、あっ……」 悲しげに呻く名無しは苦悶の表情のまま、筋肉質で逞しい肉体を持つ彼らのなすがままになっていた。 もし、万が一。 司馬師と司馬昭があの人達≠フ正体を知った時、彼らは自分に向けている爪と牙を引っ込めて、態度を変えるだろうか。 (違う) そんな事を考えながら、名無しは湧き上がった疑問を頭の中で即座に否定した。 司馬師と司馬昭は何かに似ていると思っていたが、今思えば、前に資料室で読んだ本に載っていたキングヘビ属の生態に良く似ている。 「その涙が流れる様は実にいい……、酷く興奮する」 名無しの頬を伝う涙に気付いた司馬師が、長い指先でその雫を拭い取り、わざと彼女に見せつけるようにしてペロリと舐めた。 「お前の哀願する顔も、許しを請う声も、私の腕の中で乱れる姿も、その全てが私をたまらなく満足させる。お前が意地でも私に逆らおうというのなら、そんな気など二度と起こさぬよう、その身も心も程良く=c…壊してやろう」 一見、機嫌の良さすら感じさせる司馬師の微笑。 地の底から響いてくるように低い笑い声が、振り下ろされた鞭の如く名無しの全身を打つ。 「はぁ……、すっげえ楽しみ……。なあ名無し、俺、焦らしプレイとかまじ勘弁だから。昔のオトコなんかさっさと忘れて、早く俺の事好きになれよ……」 司馬昭はそう告げて愛おしそうに頬を摺り寄せ、名無しの頬に何度もキスしながら囁く。 何か言い返したい、と思った。 しかし、自分に向けられる司馬師の冷たい微笑みと、司馬昭の残酷な笑顔が予想外に完璧すぎて、余計な事を口にするのが憚られるような状況だった。 全身から込み上げる例えようもない恐怖感と絶望感に、名無しは完全に返す言葉を失う。 (この……、兄弟、は……) 眩暈がする。どうしようもなく。 食うか食われるかの二択しか存在しない無情な弱肉強食の世界である動物界では、捕食者が己の獲物として狙うのは大抵自分よりも体が小さく、非力で、餌食にしやすい相手だと相場が決まっている。 だがキングヘビ属は、自分の体格より最大で20%も大きなヘビを殺して飲み込むことが可能な例外種≠セ。 例え毒を持つガラガラヘビや大型のラットスネークと対峙する事になっても、何ら臆することなく立ち向かう。 確か彼らは自分より強大な相手にも怯まず襲いかかり、積極的に攻撃を仕掛けていくんだっけ─────。 名無し。お前と我々の関係性は、聖書に出てくるイブと蛇の関わりによく似ている。 今のお前は、さながらご主人様とやらによって管理された仮初の園に住むイブのよう。 そんなお前に接触し、主人の言葉に従う必要などないと誘惑し、甘言を弄して心を揺さぶり、原罪の林檎を口にするように仕向けるのが我々の目的だ。 裏切りと背信、堕落、姦淫による罪の味。 この世にこれほど抗い難く、甘美な蜜は存在しない。 我々に狙われた以上、お前に逃げ道はない。終わりなんてない。救いなんてない。 そして1度我々の手に落ち、禁断の果実を口にしたのであれば、もはやお前に還る場所など有りはしない。 救いを求めてエデンの園を抜け出したお前の目に映し出されるのは、色取り取りの花が咲き乱れる楽園と見せかけて、その実は一面の焼け野原。 焦土と化した地で悲鳴を上げて逃げ惑う名無しを追いかけ、捕え、拘束し、毒牙で弱らせ、己のモノで刺し殺す。 哀れなお前に出来る事は、その身も心も搾り尽くして溢れ出た体液で我々の乾いた喉を潤し、空腹を満たし、飢えた欲望を満たす生贄となり続ける事だ。 名無し……、お前は餌だ。弄ばれる玩具だ。 そしてお前は、どこまでも可愛い我が虜=B 最早、誰にも何者にも遠慮はしない。 笑えよ、名無し。嬉しいだろう? 我々がお前に飽きるまで、その魂は永遠に我等の物だ。 そんな我々の奸計など露知らず、お前は相変わらず蛇に騙されるイブのように、最後まで我らの言葉を信じよう、良心に縋ろうとするのだな。 私は 俺は ─────お前を手に入れるためなら、どんなに汚い嘘でも吐けるというのに。 ─END─ →後書き [TOP] ×
|