異次元 | ナノ


異次元 
【魂喰いvol.2】
 




裏切られた。


騙された。


司馬昭は分かっていたのだ。自分の兄が何かをしようとしている事を。

そして、そんな兄の気持ちを完璧に理解している上で、名無しを油断させる為だけに、いかにも心底焦っているような声と表情を作って演技していただけ。

拳を振りあげようと試みるも、思うように腕と指先に力が入らない。

自分の脳内でイメージしていた動きの3分の1、いや、下手をすれば5分の1程度の高さまでしか腕が上がらない現実を認め、名無しは悔しさで泣きそうになる。

十分、分かっていた事ではないか。

司馬師も司馬昭も、油断がならない男だと。

自らの欲望を叶える為には、どんな手段をも厭わない男達であるのだと。

何とかして、視界に捉える事は出来ないものか。

プルプルと怒りで小さく震えながら、見えない瞳で懸命に二人の顔を仰ごうとする名無しの頬を、司馬昭の節ばった男らしい指先が優しく撫でる。


「抵抗できない女を強姦するの、ゾクゾクするわぁ…」


卑猥な言葉と共に、ピチャ、と微かな水音が聞こえた。

目が見えなくても分かる。今この瞬間、司馬昭がどんな顔付きをしているのか。

普段は爽やかな好青年にすら見える男の端正な容貌が、体の奥底から湧き上がる穢れた欲情に歪み、その唇を赤い舌先で濡らしてペロリと舌なめずりをしている事を。

「つくづく学ばない女だな。馬鹿が付くほどのお人好しな所はお前の長所でもあるが、私や昭の事を本気で『信頼に値する人間』だとでも思っていたのか?」

欲しい物を手に入れる為なら、我々は何だってする。

例え、法に触れるような事でもな。

しっとりと低く、蠱惑的な司馬師の声が、名無しの鼓膜を震わせた。


「その身体で、逃げられるなどとは考えない事だ。その緩みきった脳みその中と体の奥を……私が徹底的に躾直してやる」


司馬師の口元が笑っているのが、分かる。

弟と同様に、赤く濡れた舌先で唇を舐め取っているに違いない。

囚われの傀儡と化した自らの肉体に絡みつく二人の男の腕が、まるで蛇のようだと名無しには感じた。

そうだった。

アダムとイブが誕生した古代から、確か蛇は悪魔の化身だったはず。

彼らの美貌も、さらさらと流れる髪も、無駄なく筋肉のついた美しい肉体も。

司馬師と司馬昭はいつ見ても完璧な王子様のようにキラキラと輝いていたのだが、その光を放っていた物の正体は、きっと蛇の鱗だったのではないだろうか?


ああ……失念していた。


痛恨のミスだった。


何故、彼らの父である司馬懿の事を思い出さなかったのだろう。


父親譲りの狡猾さと残忍さ、女心を甘く揺さぶる魅惑的な魔眼を所持するこの兄弟は、闇の世界より生まれ出た、魔性の生き物だったという事を。


彼らは人食い……、もとい、狙った獲物の魂までも残さず喰らい尽すソウルイーター。


名無しと知り合う前からとっくに人の心を無くした、まさに美しい悪魔そのものでしかなかったのに。


「さて…、楽しい舞台は整ったが」

司馬師は男の色気に満ちた低い声で短く告げて、室内をゆるりと見渡す。

「さすがに硬い床の上で事に及ぶのはこの女とて辛かろう。とりあえず、ベッドに運ぶとするか」

司馬師は名無しの背中と膝の裏側に両腕を回し、いとも簡単に彼女の体を抱き上げた。

他人を救護した経験のある者なら分かる事だが、意識を失っている人間、脱力している人間の体というものは、普段の状態に比べて予想以上に重たいものだ。

そんな名無しの体重を全く苦にする事もなく、軽々と腕に抱えてお姫様だっこをしている司馬師の姿は、見目麗しい容貌も相まって、さながら『白馬の王子様』のよう。

しかし、彼の身を包む暗黒の気配と、全身からゆらゆらと立ち上るダークなオーラは、むしろ『闇の王子』の名の方が相応しい。

自分の身が突然宙に浮いた事に驚き、名無しは嫌だと身を振るう。

だが十分に力の入らない今の名無しの状態では、司馬師にとって何の抵抗にもならない。

「この辺でいいですか?兄上も上着とか脱ぎたいでしょう。俺が貰いますよ」

名無しを横たえる場所を確保するためにベッドの上に乗っていた物を手早く片付け、司馬昭が彼女に向って手を伸ばす。

「や…、め…て…。子…上…おね…が、い……」

拒絶の意を示すように何度も頭を振りながら、名無しはか弱い声で訴える。

その動作は緩慢で、頭の振りもかろうじて左右にゆっくりと動いた程度だったが、司馬昭は驚いたように目を開く。

「あれ…?完全に動けないものだとばかり思い込んでいたんですけど。ちょっぴりですが、動いてません?声も途切れ途切れになっているけど、全く出せない訳じゃないみたいですし」
「……薬の量が少なかったのかもな」

一応事前に奴隷達を使って人体実験をしたものの、司馬師は名無しへの投与に関しては慎重を期していた。

こういった薬物は投薬量の違いだけではなく、投与対象となる人間の体質によっても効果が異なってくるものだ。

規定量よりも少なくしても、人によっては大きな反応を示し、ショック状態に陥るだけではなく、最悪の場合も考えられる。

そう考えた司馬師は、奴隷達に使用していた量の5分の3程度に調整した薬液を注射器に充填していた。

そのおかげで、名無しは多少の力と発声能力を残しているようだった。

「し…げ、ん……。し、じょう……?」

男達の名を懸命に呼ぼうと試みる名無しの赤い唇から、弱々しい声が零れ出る。

普段のように上手く声を出せず、吐息交じりに溢れるその声音はどことなく舌足らずで甘えるような響きを漂わせ、それが返って男達の情欲に火を点けてしまった。

「ふふっ…。怖いのか?名無し」
「…、ぁ…」
「そうだよなあ、目が見えないのって怖いよな?」

クスクスと、司馬昭が笑う。

「いいぜ、こっちに来いよ。俺にしっかりしがみついていればいいから」
「んっ…、い、や…」

司馬師によってふかふかの高級ベッドの上に下ろされた名無しは、少しでも男達から遠ざかろうと後ずさりを試みる。

だが司馬昭は、そんな彼女の抵抗を見下ろしながら楽しそうに口端を吊り上げると、名無しの体をひょいと抱き起こして名無しの両腕を掴み、自らの首に巻きつけた。


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